「23.森//3」
こちらの様子を覗う女性の表情は、どこかもの悲しげでどこか緊張しているように感じられた。唐突に言い捨てられた言葉の意味を、ようやく理解することができると、嫌悪の念が沸々と沸いてくる。自分を殺 せと言われ、そのまま「はい、そうですか。」とその指示に従えるはずは無い。アリシアは女性の次の言葉を待つ。
「・・・・・・・。」
だが、幾ら待ってみても、女性はそれ以上口を開こうとはしなかった。逆に、彼女自身アリシアの返事を待っている様に見える。「一体この状況で何と言えばいいんだろう?」アリシアは深く悩んだ。
広場の方からは轟音が響き、異形の者たちの奇怪な雄叫びが聞こえてくる。それらの音が耳の奥で反響して脳を揺さ振り、思案するアリシアにとって邪魔以外の何モノでもなかった。
「うるさい!ちょっとは静かにしてよ!」
気がつけば、そう叫びだしていた。すぐに我に返り女性のほうに視線を戻すと、また不思議な感覚がアリシアを襲う。それは先ほど、女性が同じ言葉を繰り返した時と似た感覚だ。そして、女性は口を開いた。
「アリシア!私を殺しなさい!」
その声はやはりさっきと同じトーンで、同じ呼吸で、同じ仕草だった。また、同じ時間が繰り返されている。アリシアがそう思った刹那、彼女を軽いめまいに似た感覚が襲った。体の力が一瞬抜け、頭がクラクラする。そして、足元がフワリと浮くような感じがした。
「お母さん、私にはそんな事出来ないよ…。」
その声は、自分の中から聞こえたかのように思えたのだが、その実は全く違っていた。口が勝手に動き、思いもしない言葉が勝手に吐き出されているのだ。アリシアは心の中で更に動揺する。何かのスイッチが入ったかのように、口だけではなく全身が勝手に動き始めたからだ。意識だけは確かに自分なのに、行動や発言は誰かに制御されている。なんとも奇妙な感覚だった。
「でもやるしかないのよ、アリシア。お父さんを神のもとへ還せるのは、もうあなた以外に居ないのだから…。」
「……。」
「このまま、あの人を無に還す訳にはいかない。それは、弟神ドルマ様の意思に反することになる。あなただってそれは解るでしょう?」
「……。」
2人の会話が自分の意思とは関係なく進む。それはまるで、客席から悲劇でも見ている感覚だ。意識だけの自分はもはや蚊帳の外、この先の行方を見守ることしかできないで居た。
少し時間を置いて、アリシアは一つ頷いた。それを見た女性もまた大きく何度も頷き、両目には涙を溜めている。その光景が見た時、アリシアの中でも熱いものが込み上げてくるのがわかった。そして気がつくと、アリシア自身もまた涙で頬を濡らしている。何故だか、意識だけのアリシアも悲しくなってきた。真っ直ぐこちらを見つめ涙する女性の姿を見た時から、意識の中のアリシアは悲しみの奥底へと突き落とされていたのだ。
目の前の女性が、未だ誰なのかはハッキリとは解ってはいないのに。自分がどうしてこんな状況に置かれているのかも解ってはいないのに。なんで自分はこんな悲しい気持ちになるのだろうと、意識の中のアリシアには不思議で仕方なかった。
アリシアは涙を両腕で拭い、広場のほうへと視線を移す。そして彼女が見つめる先には、森の木々達を遥かに越えるほど大きな剣があった。その時になって意識のアリシアも理解する。それこそが彼女の言う父親なのだという事に。
「さぁアリシア…私を殺して…そして無への暴走を続けるあの人を救って…。」
涙声で女性は言う。そしてその女性こそが自分の母親なのだという事も、今になって認めることができた。
「あなたは魔剣ギルディアの娘であり、そして女神の名を継ぐ魔剣アリシア…あなたになら必ずできる。」
そう言って母親はそっとアリシアの両手を取った。そしてゆっくりと、自分の心臓の辺りへとそれを導く。
どんどん涙が溢れてきた。涙が邪魔して母親の顔を見ることができない。だが、両手を持たれているせいで、もう涙を拭う事もできなかった。そして、自分の手を持つ母親の両手に力が込められる。いよいよ自分はこの人の尊い命を奪うのだと思うと、更に涙が止まらない。
「アリシア…私はあの人の事も、そしてあなたの事も心から愛している。…私の子供として生まれて来てくれて本当にありがとう…。」
そう言い終わったかと思うと、母親は一気にアリシアの両手を自分の胸へと突き刺した。生暖かい嫌な感覚が伝わってくる。
「イヤァアアァアアアァアア!!!!!」
紅く染まった森に、アリシアの悲痛の叫びが響く。刹那、周りの全てが闇に覆われた。意識がだんだん遠くなっていく。そして…森は消えた…。
※
「イヤァアアァアアァアア!!!」
薄暗い地下通路にアリシアの声が響いた。とっさに状態を起こし、辺りを確認する。今の光景は全て夢なのだとすぐに思った。両頬に生暖かいものを感じ、右手でそれを拭う。それは涙だった。夢の中だけではなく、現実でも涙を流していたのだ。
母親の言葉と顔が脳裏に焼きついて離れない。「あれが、私の母親…。」アリシアは小さく呟き、そして天井を見上げ少し思いにふける。「あれは夢だったのだろうか?」「もしかして自分に残された記憶の断片?」「でも母親にも、あの森にも全く見覚えは無い…。」考えれば考えるほど頭が混乱していく。無い記憶を探ったところで、何も見つかるはずは無いのだ。そして頭が痛くなり、考えるのを中断した。
視線を目の前へと戻すと、そこには人間の形をした肉の塊が無残に地面に横たわっているのが見える。先ほど戦っていた時は辺り一面真っ暗で解らなかったが、今は小さな明かりが点いている。肉の塊に皮膚や体毛のようなものは見当たらない。先の戦いで切り落とした右肩からは、大量の血があふれ出していた。それは人間のモノと同じ紅い色をしている。
紅い血を見た時、急に嫌な感覚が蘇って来る。母親の胸を突き刺した、生暖かい感覚。あれは夢だったはずなのに、今は自分の両手にハッキリと感触の余韻がある。
「お母さん…。」
震える両手を見つめ、アリシアは一人呟いた。
第二十四話へつづく…
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