「21.死に堕ちた天使」
クレイの叫び声で、アリシアも2人の状況の変化に気がついたのか、ゆっくりと振り向いた。そこには肉の塊からの一撃を左胸で受け呆然と立ち尽くすチュリアと、彼女に寄り添い様子を覗うクレイの姿がある。
アリシアはその光景に更なる怒りを覚え、また何度か右手を突き刺した。肉を切り裂く嫌な感覚が、右腕からモロに伝わってくる。だがそんな感覚も、先ほどまでの疲れも忘れるほど、彼女は怒りに我を忘れているようだった。もう確実に肉の塊は生を失っているようで、沈黙したまま動くことは無い。
ドサッという重い音が後ろから聞こえた。だが、今のアリシアの耳には届いてはいないようだ。
「チュリアさん!しっかりしてください、チュリアさん!!」
クレイは床に身を任せる形で倒れこんだチュリアの両肩をしっかりと掴み、何度も何度も揺さ振った。しかし、彼の呼びかけに対しチュリアが返事を返すことは無い。ただ黙ったまま、クレイの力に身をゆだね、ユサユサと揺れているだけだった。
肉の一撃が致命傷となったのだろう。左胸、心臓を直接貫いたのだ、即死は免れられないだろう。
「嫌ですよ…こんなの…俺は絶対に嫌ですよ!!!」
そう叫びつつ、クレイは彼女の胸に突き刺さったままの肉を、両手で一気に引き抜いた。こういう時、刺さっているものを抜いてはいけない。それは一般常識としては当たり前の事だ。何故ならその物体が傷口の蓋になっていて、引き抜くことによってそこから大量の血が噴出すからである。そしてその現象は、例に漏れる事無くクレイに大量の返り血を浴びせる結果となった。心臓の鼓動に合わせ、何度も何度も血が噴き上がる。
その光景にクレイは絶句した。彼は無意識のうちに肉を引き抜いていたのだ。その結果、大量の血が溢れる結果になった。見方を少し変えると、自分がチュリアに対し終止符を打ってしまったのだと、彼は瞬時にそう判断する。その事実が彼の心に重くのしかかり、その積載限度を超えてしまったのだろう。そのまま彼は意識を失い、チュリアに覆いかぶさるように倒れこんだ。
部屋には、アリシアの小さな息使いだけが聞こえている。両肩を上下させ、ゆっくりと確実に呼吸を整えていた。
視線は鋭いまま、目の前の肉の塊に向けられたままだ。やがて、その鋭さを放つ両目から涙が溢れてくる。結局、使いたくも無い魔剣の力を無理に使ったところでこの有様、それが彼女は悔しかった。そして、息を整えることで戦いからの恐怖や、人間ではないにしろ生を奪ったという困惑から開放された事が彼女の涙の理由だった。
「うっ…うぅっ…。」
勝手に声が漏れてくる。喉の奥からこみ上げる嗚咽が、声となって出てしまうのだ。始めは我慢していたが、徐々に息苦しくなってきて、最終的には大声で泣き散らす。
「こんな惨めな自分を今は誰にも見られたくは無い。」「それに、目の前の光景を見たくも無いし、後ろの2人の状況も見たくは無い。」「電気が消えていてよかった…。」彼女は泣きながら、心の中でそう思った。だが、誰かが彼女の心の中を見透かし、絶望の底に落とそうとしているのだろうか。急に部屋の明かりが点いたのだった。
アリシアは急に周りが明るくなったことに気がつき、驚いて閉じていた目を開けてしまう。不意に、肉の塊の強烈なビジュアルが飛び込んできた。
目の前のそれは本当に肉の塊そのものだった。皮膚は無く、もちろん体毛も一切無い、幾重にも巡らされた血管が容易に確認できる。至る所に刺し傷があり、そこから紅い液体が力なく吹き出ていた。それは、まさに自分がつけた傷跡なのだと直ぐに理解する。
肉の丁度中央の辺りには顔があり、白目をむいてじっとこちらを見ている。口は叫びを上げた状態で大きく開かれ、そのまま固まっているようだ。でも、どことなく自分に似ているという印象を受けた。
アリシアの中で、また目を閉じてしまいたいという気持ちと、逃げてばかりではいけないという気持ちが葛藤した。だが直ぐに後者の気持ちが前者を凌駕し、更に観察を続けさせる。不思議なことに、肉の塊を見れば見るほど恐怖心は消えていくようだった。
肉の塊に、腕や足は見当たらない。ただ、様々な所から伸びる触手のようなものがあるだけだ。それらは全て、鋭く研いだ刃物のようで、先端に行くにつれて細く薄くなっている。そしてその先端付近に、2人の黒兵士が覆いかぶさる形で倒れているのが確認できた。先ほどまで暗闇だったせいで、この2人が黒兵士なのだとこの時になって初めて知ったのだ。
黒兵士の周りには、血の海が広がっている。もう2人共生きてはいないだろうと、アリシアはそう思う。それが自分の救えなかった尊い二つの命だと思うと、心が締め付けられる思いだった。同時に肉の塊への怒りが込み上げ、そちらへ向き直り、そして小さく呟いた。
「私はオマエを絶対に許さない…。」
その言葉は肉の塊と、そして自分自身へと向けられたものだ。二つの命を奪った者への警告と、それを救えなかった者への戒めである。
「う…うぅ…。」
「!!」
後ろから急に声が聞こえたので、アリシアは心臓が飛び出してしまいそうなほど驚いた。そして直ぐに、再び兵士たちの方に振り返る。見ると上に覆いかぶさっている方の兵士が、微かにだが動いているように見えた。
「まだ…生きてる。」
そう言いつつ、体は勝手に動く。一つの命を救えたのだという喜びから、兵士の所へと無意識に駆け出していた。
第二十二話へ続く…