夏が始まるよ
蝉は今日も鳴く。
「あー暑いよミンミンミン」僕も鳴いてみた。やることがないとくだらないことも口にしてしまう。
7月の後半、しかも昼過ぎなので、外はうだるような暑さだ。
部屋は冷房が効いている。ぼんやり窓から外を眺め、「今日は学校、半日なのか。あれは隣のクラスの……」数人で歩くクラスメイトを見て独りごちる。
僕は高校1年生の、夏休みまで1週間ちょっとというところで学校に行くのをやめていた。
学校が嫌だった訳ではない。友人の類はおらず、クラスで目立つこともなかった。だからと言っていじめもなく不自由もしなかった。
ただ、嫌だったのだ。僕は今年も正しい夏を過ごせないのだろうと思うと胸が締め付けられる。
『正しい夏』というのはあくまで僕の理想のことになる。それを日常的に感じている人も多いだろう。『正しくない夏』を何かと言われたら、今この状況になるのだろう。
僕の少し早い夏休みは3日目を迎えていた。
日記でも書こうか。読む人が読めば遺書になりそうだ。笑えない。
ガンガンとドアを叩く音が聞こえた。ノックではなく、叩いている。そうだ、ブザー壊れてるんだっけ。
ある程度予想していたけど、もう来たのか。そう思った。担任が連絡も寄越さず休んだ生徒の様子を見に来たのだろうと。
その予想はすぐに外れだとわかる。
「達科さーん」
聞き覚えのない声だ。若い女。それこそ同年代の。
「いませんかー?また来ますけど」
どうせイタズラだろう。物好きな奴もいるもんだな。
その日、また訪問者が来ることはなかった。
僕は今、両親の元から離れてアパートで暮らしている。アルバイトの賃金や仕送りでどうにかやっている。意地を張れば家から出なくても生活はできる。イタズラがしつこいようならそうしよう。
翌日、ドアを叩く音で目を覚ました。最悪の気分だ。寝起きで思考がぼやけていたのか、僕は起き上がってすぐに玄関のドアを開けた。
「あ、あの……。はじめまして、達科さん」
誰だろう。同級生ではない女の子がそこにいた。少し俯いているが整った顔立ちなのがわかる。艶やかな黒髪は肩を少し越すくらいまで伸びている。
これは。多分、ハニートラップではないな。
「君は?なぜここに来たんだ。中学生か?」
目の前で顔を伏せて、小柄な体をさらに小さくしている彼女は、僕の母校である支倉中学校の制服を着ていた。
「えっと、私の名前は白野 茉侑です。中学3年生で、多分、達科さんの仲間だと思います」
僕の仲間?今のところ共通点など見当たらないが。
「達科さん、学校行ってないですよね。そ、その仲間なんです」ばつの悪そうな顔で言う。
「なぜそれを?」
「私のお兄ちゃんが達科さんと同じクラスなので」白野 達也だ。名前は知っているが特に面識はない。
「それで、仲間というのは君も不登校だと?」少しぶっきらぼうだっただろうか。男女問わずコミュニケーションをとるのは苦手だ。
「はい。私も昨日から不登校になっちゃいました」と彼女は薄く笑みを浮かべて言う。言ってることはめちゃくちゃなのだが、可愛いなと思ってしまった。
「仲間というのもわかった。だが、なんでここに来た?」ここまでくると悪ノリで聞いてみようと思った。
「私と一緒に、学校復帰の特訓をしてほしいのです」
何を言っているんだろう。
「特訓?どういうことだ」なんだか楽しくなってきた。非日常的な体験をしている。それだけで胸が高鳴る。
「色々やります。コミュニケーションとか」
「僕と君が話すと?」悪い話ではない。裏がないならな。
「はい。今日はもう帰りますが、明日また来ますね」彼女が俯いていないことに気がついた。まるで喜んでいるような。
「わかった。明日まで僕も考えをまとめておくよ」何をまとめるつもりだろうか。
さようならと言い、彼女は去った。ここで少し考えてみよう。特訓に関して、これもいいのではないかと思っている。同じ弱みを持った者といるのは精神的にいいものなのだ。最低な状況において、自分より下がいると思う、思い込めることは幸せなのだ。
明日、彼女が来たら特訓を始めよう。普段と同じ夏、違う夏。まずは行動からだという結論だ。
斯くして僕と彼女のファーストコンタクトは幕を閉じ、新しい夏が始まる。