山羊
初投稿になります。
あにゅうと言うものです。
時代に合わないような語り方になります!
ですが、そんな話し方が好きだ、と言う方もいらっしゃると思います。
至らない点も多くなりますが、よかったらお読みになってください。
私が祖父と祖母の連れで精神科を訪れた時のことだがね、そこにはある種の【狂気】に満ちていたのだよ。
患者の表情から病院の雰囲気に至るまでなんと言うか薄気味悪いものが漂っていて、首筋がヒヤリとしたね。
何と言っても、私の祖父の担当医の顔が忘れられないのだよ。
一度見たら忘れられない、だがこれと言った特徴がなく、ただただ能のお面のような顔なのだよ。
常に同じ表情だが見る角度によって微笑しているようにも見える、怒ってさえいるように見えるのである。
そうだ、描き忘れてはいけないことがあった。
雰囲気についてだ
都会のような喧騒があるわけでなく何方かと言えば神々が祀られている聖域のような荘厳さを持ち、その中に【狂気】が混在しているのだ。
患者たちは皆、旧くからの友、同郷の友人、家族のように話し合っているではないか!
なぜそんな事が出来るのだ?
あなたは今朝会ったばかりの見ず知らずの他人と今まで懇意にしてくださった師弟関係のように話す事が出来るだろうか?
私には断じてできないだろう。
しかし、その一種の仲間意識の基盤となるものがなんであるかは大方検討はつく。
私が思うに、皆【患者】という括りに括られ、私たちは患っています、あなたはどうしたんですか?わたしはこうです。といった風にキズナが生まれているのだろう。
そんなものが簡単に生まれるかと思う人もいるだろう、しかし、このような一例を挙げてみよう。
今にも病気で死にそうな子供を見捨てる人がいるだろうか?
皆に良心があるなら、いないはずだ。
患っている者たちへ向けられる、所謂、同情が生まれるからだ。
少し脱線してしまったな、本題に戻ろうか。
なぜ、私が精神科を訪れたと言うことだ。
まず最初に私の祖父がアルツハイマー要するに認知症を患ってしまったのだ。
私の幼い頃は快活で大酒飲みの祖父、父がいない私にとっての父親代りで私を叱咤する力強さ、家族の大黒柱である自覚から生まれる包容力を持つ雨の様な祖父だった。
今の祖父は、衰弱し、家族の顔がなんとかわかる程度なのである。
だが、今までの恩返しと言うと恩着せがましいが、なんとか孝行したいものだと思い同行した所存だ。
結果から言うと、祖父はその精神科の閉鎖病棟に隔離され半強制的に幽閉されたのだ。
家族内では祖母を除いて皆このことには賛成を示している。
やはり、長年連れ添った祖母には、未練、情があるのだろう。
しかしながら未練や情もあそこまで行くと気苦労が多いだろうなと思う。
突然だが、私には【執着心】と言うものがわからぬ。
確かに、好きな人、大切なものは存在するのだ。
だがしかし、それらの物体、恋愛感情自体に価値を見出せないのである。
物は物、心情は心情だけの役目しか果たさないのである。
そこには、交換の余地がある。
つまりは、唯一無二の【物】など存在せず、私には全てが代用品に過ぎず、おかげさまで世界は濁って見えるのであった。
そして、帰路に着いた私はタクシーの中で考えていた。
患者は皆、同じ様な表情をし、希望がないような目をし、口を半開きで途方もない方向を眺めているだけである。
ならば、家族の厚意で患ってしまった者たちを入院させることは、いわば投獄することと変わらないのではないか?
家族からも突き放され、人里離れた山奥で余命の生涯をただただ浪費するだけになるのでは?
その様なことを考えたらきりが無いし、私はその様なことを歯牙にも掛けない性分なので
、あまり気にすることはないだろう。
ついに家にかえって来た。
母が私を出迎えてくれた。
次の瞬間、母は顔を顰め何か臭うわと言い放った。
そこでやっと私は認識した、病棟に蔓延ってた彼らと同等のもしくはそれ以下の体臭を放っていることに!
素早く、靴を脱ぎ、服を脱ぎ、シャワーを浴び、湯船に浸かって、やっと安心感が湧いて来たのだ。
なんて、小心者の男だろうと思うかもしれない、しかし、あの体臭には常人には耐えきれない生理的な嫌悪感があるのだ。
私は髪を乾かし、床についた。
私は1つの肉塊になりさがる寸前の二匹の牡山羊の様に眠りについた。
そうして、1日は終わりを迎えたのだ。
この小説?を書くにいたった経緯は私の、実体験です。
なんで、書いたのか自分でもわかりませんw
でも、診察の待ち時間暇だったので頭の中で構想を練っていたら、あら不思議気づいたらこのような形で出来上がっていましたw