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三 恋愛拒絶


「こまどりの森」は、大手開発会社グループの末端の末端に位置する小さな企業で、本業だけでは採算がとれないため、グループ会社の施設の中の売店を運営する事業を請け負っている。ある日の研修は、人事担当者の引率で、大卒・高卒合同でそれらの施設を三か所見学に行くことだった。

 行きは集団での電車の移動になったのだが、ここでも高卒新人たちは総じてマナーが悪く、友恵はまた落胆を覚えていた。ほんの数日前にステージの運営で(態度や言葉遣いはともかく)仕事ぶりに感心する現場の職員を見て明るい気持ちになっていたのが、すっかりもとの木阿弥になった。

 高卒新人たちは、引率の人事担当者の歩くペースに合わせず、時々何人かが行方不明になる。歩きながら携帯電話やスマートフォンをいじる。騒ぐ。荷物を振り回す。勤務中のはずなのに、しかも電車の中で、携帯電話で通話する人もいた。そしてやはり人事担当者はそれを注意しなかった。

(でもこれ、高卒とか大卒とか……そういうんじゃないよね。私の通学の時に同じ電車に乗ってた高校生、いい学校の子もそうでない学校の子も、こんなにひどくなかったもん)

 専務が『田舎のヤンキーを集めてきているような状態』と言っていたのを思い出した。きっと、秩序を守るのを好まず就職先がないような子が集中してしまっているのだろう。これまで自分の周りにはいなかったが、世間にはこういう、一種「自由」な人たちがいる。友恵は不思議な気がした。普通に二十二年以上生きてきて、いろんな人と関わってきて、それでも知らない価値観や文化の人たちがいるんだなと思った。

 乗り換えで、ややすいた下り電車に乗り込むとき、桑津りえ子が急にダッシュしたので友恵は驚いた。りえ子は、まとめて空いていた席の真ん中に座ると、両脇を手で押さえて友恵と加川紗莉を呼んだ。

「ここ、ここ、三人で座れるよ!」

 他の乗客が友恵と紗莉より先にその席に座ろうと近づいても、りえ子は頑として手をどけなかった。友恵は慌てて近づいていって声をかけた。

「あ、無理に座らなくていいから……」

 りえ子は驚いた顔をして、

「せっかく場所とったのに、とられちゃうよ、座って!」

 と二人をせかした。紗莉は一瞬戸惑ったもののすぐに座り、友恵も目立ちたくなかったのですぐに座った。

(桑津さん、なんかちょっと、オバさんっぽいとこがあるんだよな……)

 研修で、割引チケットの名前を新しく考えてほしいという課題が出たとき、りえ子は「おトクチケット」「特売割引券」という、スーパーのセールのような案を出してきた。「こまどりの森で実施できる新しいことを、なんでもいいから考える」という課題が出たときは、「服や靴の下取りや廃品回収をして、その帰りに温泉に入って遊んでもらう」「野菜の百円市をやる」など、妙に主婦っぽい案を出してきた。

 一方で加川紗莉は浮世離れしているというか、一般で言う「天然」「不思議ちゃん」な気配があって、とらえどころがなかった。こまどりの森の温泉の改善案として、「ガラスの温泉とか素敵ですよね……」とか、「雲の上の温泉があったらいいなと思います」とか、確かにアイデアによって実現は可能かもしれないけれど、取りとめのないことを言って専務や企画課の課長を戸惑わせた。

 友恵はそういう時、「学生の団体サークルなどを誘致する」「家族連れをターゲットに、親子価格を新規に設定する」など、実務的かもしれないが夢のないことしか出てこなかった。

 電車が目的駅に着き、友恵たち「こまどりの森」新人一同は電車を降りた。大卒組はきびきびと、高卒組はだらだらと、駅から歩いてゴルフ場へ向かった。ゴルフ場と人工スキー場が併設された郊外の大型レジャー施設の売店がこの日の最後の見学場所で、ちょうどゴルフ場で開催されていた大きなコンペが終わる時間に合わせて一時間ほど手伝いに入ることになっていた。

 友恵は坂橋とペアでコンペのおみやげを渡すテントに入った。ひたすら「本日はありがとうございました」と言いながらおみやげ品の紙袋を一人に一つ渡していく仕事。他の人は清掃や備品の片付けなどに散っていった。

「本日は、ありがとうございました!」

 友恵は背すじをのばし、笑顔で一人ひとりにお辞儀しながら丁寧に紙袋を渡していった。坂橋も体育会系の青年らしく、目上の人に礼を尽くす態度は堂に入っていた。

 最後の客が会場を出ていくと、人事担当者が友恵たちのもとにやってきた。

「やあ、僕の目利きどおり、二人、立派だねえ」

 嬉しそうに声をかけられ、友恵は首をかしげてみせた。

「今日のこの手伝い、接客があるのはここだけだから、ビシッとした挨拶ができる人を選んだんだよね。グループ会社の上の人からも、新人さんいいの入ったねって言われたよ」

 人事担当者はご満悦の様子で何度もうなずき、

「他の人たちはあと二十分くらいかかるから、ちょっと裏に行ってお茶でももらいなよ」

 と言って二人をスタッフルームへと案内した。

「なんか、他の人はまだ仕事してるのに、悪いね」

 友恵が肩をすくめると、坂橋はニコッと笑った。

「いいんじゃない? 俺たちはその分、気が抜けない仕事だったんだから」

 誰もいない休憩室の片隅で、紙コップのお茶をもらい、友恵と坂橋はくつろいだ。

「大木、大学のサークルも、高校の部活も、体育会系じゃないんだよね?」

 坂橋が聞いてきたので、友恵は一瞬考えて、くるっと首をかしげた。

「美術部とアート研究会でずっと絵を描いてたから、そういうの、かけらもないけど」

「そうなんだよな、確かそんなことを内定者食事会の自己紹介で言ってたと思った。でも、おまえって、変に体力あるし元気だし、気合い入ってるし、挨拶がかなり体育会系なんだよな。親近感わくわー」

 友恵は思いがけない言われように目を丸くした。文化系の自分は、体育会系のノリにはついていけないし、苦手だと思っていた。

「仕事は元気が一番だよ。今日だって、やっぱみっともないヤツを接客にはつけらんねえよ。俺たち、認められたんだと思おうぜ」

 坂橋は勝ち誇ったように満面の笑みを見せた。友恵は「そうかなー」と言いつつ、やはり悪い気はしなかった。

 しばらくすると休憩室に人事担当者が呼びに来て、こまどりの森新人一同は会社への帰途についた。ちょうどバスを一台移動させるついでがあるからと、グループ企業のバスに全員で乗せてもらって、大半の者が眠ったまま運ばれていった。

 友恵はバスの窓から外を見ていた。

(世の中にはいろんな仕事があるなあ……。机に向かってパソコンを打ったり、コピーをしたり、そういうイメージしかなかった。会議で案を出したりするのは最初からイメージにあったけど、ベンチの設営とか、警備とか、売店の運営とか、おみやげ渡しだけの接客とか、正社員の仕事にそういうのがあるとは考えてなかった……。それから明日は一日園内清掃と焼却炉、あさっては温泉の研修だったよね。宿泊コテージの清掃とベッドメイク実習はいつだっけ、あとは、プールが開く前にはプール清掃……)

 通勤が大変ではないというだけで「こまどりの森」に入ったが、毎日新しい経験をさせてもらえて、知らなかった世界にいちいち驚かされる。就職活動中に自覚できなかった自分の欠点のようなものも教わった。思いがけないところで、どうやらちょっとだけ評価もされたらしい。「認められたんだと思おうぜ」という坂橋の笑顔が嬉しかった。

 ぼうっといろんなことを考えていたら、「こまどりの森」の駐車場に到着した。その日はそれで解散になり、会社の寮に住む何名かはそのまま駐車場の裏の道を上がっていった。大卒女子三名のうち二人は寮生で、駅に向かうのは友恵だけだった。男子は寮生二人と通勤組二人がさっさと別れて帰りはじめた。女子三人はちょっとだけ立ち話をしてから解散したので、友恵は一人で園内を突っ切り、正門を出て駅への徒歩五分の道を歩きはじめた。

 真後ろで自転車のベルが鳴り、友恵はちゃんと道の端を歩いていたのでやや不審な気持ちで振り返った。

「お疲れ」

 坂橋が自転車で背後をのろのろ走っていた。

「駅まで、後ろ乗ってく?」

 そう言って坂橋は友恵のやや前に回り込んだ。

「えっ、いいよ、すぐだし」

 友恵は慌てて遠慮した。

「おまえってつまんないヤツだな、こういう時は素直に乗ってけよ」

「いや、あの、えーと……なんていうか、男の子の自転車の後ろ、乗ったことないから」

 必死で断る友恵の様子に、坂橋は幾分怪訝な顔をしてみせた。

「ないの? 彼氏の後ろとか」

「そういう機会、なかった」

 だって三か月だけだったし、それにもうそんな機会はないし……。友恵は胸の中で付け加えた。一瞬、友人でもなんでもない坂橋に、「彼氏とは別れた」と言いたくなった。親しくはないから、「なぜ別れたのか」など、余計なことは聞かれなそうだ。でも、「自分は今、独り者だ」と言うのは恋愛的なアピールをしているみたいだとすぐにあきらめた。

「じゃあ、俺の後ろでデビューしたら」

 坂橋は親指を立てて背後をくいくいと指してみせた。友恵は一瞬だけ迷い、結局は、

「ううん、やっぱりいい、ありがとう」

 と答えて坂橋を追い抜いた。

「なんかおまえって、お堅いのな」

 自転車は友恵の横に緩やかに並び、坂橋は自転車を降りた。友恵は自分の心拍が幾分上がるのを感じたが、それを悟られまいと身を固くした。

 駅までの短い距離を一緒に歩き、友恵は改札を抜け、坂橋はその先の国道へと自転車で走り去った。

(次の恋愛か……)

 友恵は少しだけ、坂橋を意識した。だがすぐに元カレとの別れが暗い影を落とした。

(……同じことが繰り返されるだけだから、私は、恋愛は無理)

 本当は恋愛がしたかった。ただ――恋愛の先に来るものがどうしても怖かった。


 研修も二週間を過ぎたある日の終業後、友恵はりえ子と紗莉と一緒に会社の寮に向かった。寮は二人部屋で、二人は同室なので、友恵がそこに交じっての女子会だった。

「ね、ね、二人は、同期で誰がかっこいいと思う?」

 りえ子が聞いた。脳裏を自転車に乗った坂橋が横切り、友恵は慌てて打ち消した。でも実際、友恵の中では同期の男子四人の中で、坂橋が「一歩近い」存在になっていた。

「うーん……かっこいい、とかって、わかんないな~」

 紗莉が左右に繰り返し首を傾けながら答えた。

「ああ、じゃあ、誰がイイと思う~?」

 りえ子が聞き直した。

「友恵は、友恵は?」

 せっつかれて、友恵はますますドッキリした。なお、りえ子は女子二人を下の名前で呼ぶ。紗莉は「オーちゃん」「くわちゃん」とあだ名で呼ぶ。友恵は「桑津さん」「加川さん」と名字にさんづけだ。

「実はさー」

 結局自分が言いたかっただけのようで、りえ子は自分が先に話しはじめた。

「佐藤翔太よくない?」

 友恵はしばらく「えっと」と考えた。同期男子は四人、明るくて目立つ坂橋、印象のよくない近田、あとの二人はどちらも地味で、印象が薄い。

 紗莉はしばらく「うーん」と考え込んだあと、

「……そうだね、あの人、けっこう、いいかもね」

 と答えた。友恵は「目立たない人二人の、メガネかけてるほうの人だよな」と、顔を思い出して検証していた。あいにく、同期の男子四人は誰をとってもさほど美形というわけではない。佐藤は多分、四人の中で一番口数が少ない。だから友恵にはあまり印象がなかった。

「そうなんだ、私は誰がいいとかないし、佐藤くんも……いいとか、あんまり、ないな」

 友恵はとりあえずそう答えた。りえ子はそれを聞くと、紗莉に向かって、

「お目当てがかぶっちゃったね!」

 と言った。紗莉は驚いて体を少し後ろに引いた。

「お目当てとか、そういう意味じゃないよ。くわちゃん、彼氏いるのに、何言ってるの」

「えーっ、恋愛までいかないよ。だけど同期の男子とは研修の間、ずっと一緒なんだよ? 誰かイイ男チェックしたほうが楽しくない?」

 りえ子は身を乗り出して言った。紗莉は苦笑した。

「私、彼氏以外、興味ない~。いいかもねっていうのは、一緒に仕事しやすそうってこと。佐藤くんは、落ち着いてて、余計なこと言わないし、けっこう優しいよね」

 りえ子がピッと人差し指を立てて、声高に主張した。

「余計なこと言わないと言えば、坂橋は余計なこと言うよね! 私、声がでかいとか、電車の席をオバサンみたいに取るなとか、どうでもいい文句、言われたんだよね!」

 友恵は内心でちょっとだけ「坂橋くんに一票」と思いつつ、どうともとれる反応をしようと首をくるっとかしげた。紗莉も若干首をかしげて、微妙に言い返した。

「そう~? 私、坂橋くんに、何も言われたことないよ? あの人は、なんだかこう、リーダーだなって感じだよね」

 それを聞いたりえ子の声は一段階大きくなった。

「え、じゃああいつ、私にだけ文句言ってるのか! 腹立つな!」

 私も言われたよ、と言いかけて友恵は言葉を止めた。ベンチ運びを一人だけ走って頑張っていた自分が恥ずかしかったし、あの作業を途中リタイアした紗莉に「私は走って運んでいた」と言うのは嫌みのような気がした。「あとの女子二人も、おまえより使えないとか言われたら、お互いやりづらいだろ」と坂橋に言われたことを思い出していた。

「友恵はさあ、消去法なら、誰?」

 りえ子に急に顔を近づけられて、友恵は再度ドッキリした。消去法なら明白に坂橋だ。でも恋愛でもなんでもない、あいまいな親しみにすぎない。

「いや……消そうと思ったら、みんな消えちゃうから……」

 友恵はなんとかそう答えた。

「友恵、つまんない。そういうの、真面目に考えなくていいのに。今ここで、誰にしようかな~って適当に決めて、それをお気に入りにすればいいんだよ」

 りえ子が言うと、紗莉がそれを制した。

「くわちゃん、そういうところから、浮気も不倫もはじまるんだよー」

 その夜は、同期の仲間たちのこと、仕事についてのこと、彼氏との恋愛のことなどで深夜三時まで話し込んだ。そして、ドアを叩かれて「眠れないでーす」と注意され、「すみませーん」と答えて、やっと電気を消した。

 暗闇の中で、友恵はまた、彼氏と別れたと言えなかったことをくよくよ考えていた。りえ子が「なんで別れたの」と聞いてきそうで、怖くて言えなかった。

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