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一 就職失敗

 四月一日、初出勤を終えた大木友恵は、早くも転職を考えていた。

 就職活動が思うようにいかず、「とにかく正社員ならどこでもいい」と思って就職したのは宿泊型レジャー施設。それなりにステイタスのあるお嬢様学校(共学だが、女子のステイタスが高い)「緑川学園大学」を出ているので、それなりに名のある大企業に就職できるつもりでいたが、箸にも棒にもかからない。頑張り疲れてあきらめの境地で就職先を探した基準は、「他はどうでもいいから、通勤ラッシュで混まないエリアにある会社」。新卒で親元から通うので、地元の駅から下り電車で通えるエリアで少しでも良さそうな会社を探し、なんとか滑り込んだのが、森の中にいくつものバンガローとアスレチック、プール、温泉が備えられた「温泊こまどりの森」だった。

 しかし……。

(法律を守る気がない企業とか、ありえないんだけどー……)

 この日、大卒の新卒者七名と高卒の新卒者十五名の合同研修があり、午前の休憩時間に研修用のプレハブの外の喫煙所で大卒の男子一人、高卒の男子三人と女子二人が喫煙していた。友恵は目を丸くして、思わず人事担当者に問いかけた。

「あの、高卒の方々って、未成年ですよね」

 人事担当者はまるで悪びれることなく、笑顔で回答した。

「ああ、禁止したいんだけどさ、禁止するとトイレで吸うんだよね。一応これまで禁止って言うだけ言ってはいたんだけど、去年、火災報知機が作動しちゃって、今年からは火事になるよりいいかってことになってー」

 いや、それは違法ですよね、トイレでも吸うなと指導するべきですよね、という言葉を友恵は飲み込んだ。

 研修の授業時間も、高卒組の態度はひどいものだった。「電話の取り方」の講習では、大卒メンバーが講師の指示通りに「はい、こまどりの森でございます」と電話を取ると、「真面目にやってるー」「演劇じゃん」と笑いが起こる。高卒組の番になると、もちろん言われたとおりに「はい、こまどりの森でございます」と電話に向けて言うだけ言うのだが、そこから「よっしゃー」と腕を振り上げて仲間たちと大笑いする。電話の講師には電話研修のプロを呼んでいたのだが、友恵は早くも「こまどりの森」の者として、社外の講師に対し申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいだった。

 他の講義や話し合いにしても一日中同じような状態だった。さすがに携帯電話は荷物から出すことを禁じられたので誰もいじることはできなかったが、高卒組はだらけた姿勢で座り、遠慮なく私語をするのがむしろ普通の状態で、しまいには平気で机に伏せて寝る者まで出た。大卒組は緊張の面持ちで全員がビシッと姿勢を正して座り、きちんとメモをとりながら話を聞いている。もはや、「文化が違う」としか言いようがなかった。そして人事の担当者はその様子に何の違和感も覚えないようだった。

(カレシとも別れたし、就職もこんなにヤバいとこに入っちゃった、もう私の人生終わりだ……)

 友恵はひと月半前、人生で初めてできた彼氏と、たった三か月のつきあいで別れていた。公私とも失敗したという思いに追いつめられていた。


 友恵は、見た目も悪くはなく、それなりにお洒落にも気を遣い、恋愛にも当然のように興味があったが、いささか真面目で慎重だったため、初めて彼氏ができたのは大学四年生の秋だった。十一月にサークルの同い年の男の子と付き合いはじめ、別れたのが二月。やっとできた彼氏とのつきあいが長続きしなかったことは、友恵にとって大変なショックだった。

 大学生になったらさすがに「普通に彼氏ができる」と思っていた。

 そこそこの大学に行ったのだから「それなりのところには就職できる」と思っていた。

 でも、普通も、それなりも、難しかった。

 友恵は、次々に襲いかかってくる挫折感に打ちひしがれ、神経質になっていた。


 翌日は大卒生だけの研修となった。

「キミたち大卒の人たちは、いずれウチの施設全体をしょって立つ、幹部として育てていきたいと思う」

 朝一番で、鋭い目をした専務取締役の訓示があった。

「昨日は、高卒生たちの態度でちょっとばかりショックを受けた人もいたんじゃないか?」

 友恵は心の中で、専務の言葉に全力ですがりついた。

(ショックを受けた……って、この会社としても、あの高卒生たちはおかしいって、ちゃんと思ってるの?)

「実は……景気のいい時期などは、うちの会社はなかなか人材が集まらなくて、地方でもあまり評判のよくない高校などに頭を下げて推薦で就職してもらっていた時期がある。今でもそのときの採用のコネは続いている。高卒で就職する人たちの中でも、わざわざ選んで『地方のヤンキー』みたいな子を集めてきているような状態、とも言える。しかも、多くの子が遊ぶ気で来ているから、真面目な子まで集団心理で悪いほうに流れてしまう。

 中途採用やグループ会社からの移籍組には大卒社員もいるが、新卒採用で大卒を採るようになったのは昨年からだ。やはり大卒の子のほうが大人というか、実際に『真面目さ』が違う。でもわが社の多くの職員は、入社当時、ああいう――言ってみれば幼稚な状態からスタートしている。いずれは君たちも多くのスタッフを上手く使っていく立場になるから、最初に高卒生たちの現状を見ておいてほしかった」

 友恵はこの話にいくらか安心感を覚えた。人事担当者は何ら疑問を抱いていないようだったが、専務はあの高卒生たちの態度に問題意識を持っているらしい。

(きっと、専務はまともだから大卒で、人事の人は高卒なんだな)

 友恵は思った。その瞬間、専務がそれを察したかのように言った。

「だからと言って、高卒の子たちを見下すようなことはしないでほしい。この会社は、基本的には、たった十八歳で入ってくれた子たちが頑張り続けて維持してきた。実際、社会でも、大卒だから優秀とか、高卒だから能力が低いとか、そういうことは決してない。まあ……社会を見てこなくて、大学に四年間も閉じこもっていた人は、意識が学歴主義に凝り固まっていることもあるかもしれないが」

 幹部候補生としての大卒新入社員への訓示が終わり、次は会社の組織構造の説明と顧客満足についての講義が続いた。友恵の脳裏には、ずっと専務の声が残っていた。

『社会を見てこなくて、大学に四年間も閉じこもっていた人は、意識が学歴主義に凝り固まっていることもあるかもしれないが』

 自分に向かって言われたような気がした。大学時代、自宅のそばの飲食店でウエイトレスのアルバイトをしていた。自宅のそばには別の大学があるので、アルバイト店員はほとんどがそこの大学生だった。つまり、常に大学生に囲まれて暮らしていた。

 まるで、最初に名指しで「君みたいな、視野の狭い子が役に立たないんだよ」と言われたような気がした。


「こまどりの森」の職員は、事務所の隣にある社員食堂で昼食をとる。弁当を持参して席を使用してもいいので、大卒新入社員女子三名は、お弁当の一人と食堂利用の二人が一緒にお昼を食べていた。

「なんとか、二日目になったら、ちょっと慣れたかなー。実はさ、専務が言ってたとおり、正直昨日の高卒は、ありえなかったわー、ひいたー」

 お弁当持参の桑津りえ子が堂々とした声を張り上げたので、友恵は肝が冷えた。

「ダメだよ、周りの人、ほとんど高卒みたいじゃない。高卒差別みたいに思われたらまずいよ」

 友恵が慌てて小声で制すると、りえ子はエヘッと舌を出した。

 りえ子は、ルックスで上中下に分けたら百人中百人が「上」に分類するであろうプチ美人だ。出身大学は友恵より上のレベルで、はっきりものを言うタイプ。

「でもなんだか、私、短大卒なのに、大卒の人と同じ扱いされてていいのかな……」

 唯一の短大卒、加川紗莉が肩をすくめた。

 紗莉は背が小さくて顔がかわいらしいマスコットのような女の子で、お嬢さん育ちのふんわり優しい雰囲気を常に身にまとう「癒し系」だ。

「でもさー、うちらの同期の男子って、可哀想だよねー」

 りえ子の声に、友恵は定食を食べながら顔を上げた。

「せっかくの同期女子三人、まさかの全員彼氏もちとかねー」

 そう言って、りえ子は笑った。友恵は気づかれないよう、わずかにうつむいた。年末に「内定者食事会」があって大卒七名が集められ、会社から高級レストランでディナーをご馳走されたが、その際に女子三人で「彼氏はいるか」という会話をしていた。当然そのときは彼氏がいたので友恵も「いる」と答えたが、二月にはもう別れてしまった。

「そんなこと、誰も気にしないよ、会社は働きに来るところだもん~」

 紗莉がふんわりと微笑む。

「そんなことないよ、職場恋愛だってよくあることだよ、私たちだって、今の彼氏と別れて他の人と付き合うかもしれないんだよ~?」

 りえ子が反論して、紗莉はますます可愛らしく微笑んだ。

「そうかもしれないけど、そういうことを考える気には、今はならないな~」

 友恵は、きっかけを失い、実は別れたと言い損ねた。


 恋愛はしばらくゴメンだ、と友恵は思っていた。自分が彼氏と別れた「最悪の」理由を誰にも言えずにいた。別れたとうかつに言ったら、なぜ別れたのかを聞かれそうで、友恵は誰に対してもただひたすら沈黙を貫いていた。

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