勘違い
「あ、ありがとうございます…………」
すっかり腰を抜かしてしまっていた有馬さんは、黒のモンスターをあっさりと倒したエイヴィットに対して怯えた様子のまま感謝を述べた。
「気にすんな。戦いってのは、戦える力のあるやつだけがやればいい。それ以外は、それ以外のやるべきことがちゃんとあるはずだ」
エイヴィットは剣を背中の鞘にしまいながらそう言った。
そんな2人に、他の図書館員たちも集まってきた。
「凄いわね……。さっきの剣さばき、やっぱり誰かに教わったものなの?」
「見て見てかなみん! この人、すっごいおっきいよ~! 腕も太~い!」
「お姉、ちゃん。あんま、り、ベタベタ、触ら、ないの」
「えっと……こちらには偶然通りかかったのですか?」
「いやぁ助かりましたよ~。戦い方なんて分からないし、僕たちだけじゃどうなるかと~……」
わいやわいやとエイヴィットの周りに集まる図書館員たち。
みんなと図書館が助かったのは何よりも嬉しい。
嬉しいのだが、何故か少し胸中が落ち着かない。
少し離れていただけで、この場所が何だか知らない場所のようにも思えてきてしまう。
「キョウヤさん……?」
横から心配そうなレスカの心配そうな声が聞こえた。
(大丈夫……俺は、取り残されてなんて――)
「響……也くん……?」
そんな時、俺の耳にいつも聴いて、聴き慣れて、もはや聴きすぎだというくらいの声が聴こえた。
顔を声の方へと向ける。
そこには――
「響也くんっ!」
立花さんだった。
立花さんは俺の名を呼びながら、こちらに駆け寄ってくる。
よく見ると、目尻に涙を浮かべているようだった。
「良かった……! 私、響也くんが危険な目に遭ってるんじゃないかって、心配で……!」
「あ…………」
こちらに向かって駆けてきた立花さんは、そのままの勢いで、俺に抱きついてきた。
女性特有の、髪から香る甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
立花さんの腕が俺の背中に回り、がしっと掴んでくる。
(暖かい…………)
行き場をなくした自分の両腕を見つめながら、抱きついてくる立花さんのぬくもりを俺は感じていた。
「その……ごめんなさい。心配掛けちゃって……」
「もう、本当だよ……! みんな心配してたんだから……!」
そう言いながら、立花さんは俺の胸の中で涙を流していた。
(これだけ心配してくれていたのに、俺は何を考えていたんだろうな…………)
俺は胸の中で子供のように泣きじゃくる立花さんを見て無性に頭を撫でたくなる衝動に駆られたが、ここはぐっと抑えることにした。
「……ん?」
すると、俺の横にいたレスカが頬を染めながら俺と立花さんを交互に見ている姿が視界に入った。
「あ……えっと、その……」
レスカは俺の視線に気付いたようで、慌てて目を逸らす。
……おい待て、なぜ目を逸らす。
「お二人って、そういう関係……なんですか……?」
この少女、顔を赤らめ恥じらいつつもちゃんと訊いてくるのな!
だが残念。俺と立花さんはまったくもって恋人的な関係ではない。
歳的にはそこまで離れていないが、俺の立花さんに対する恋慕はもう既に消失している。
今では美人な親戚のお姉さん感覚だ。
「いや、この人は――」
「あれ……?」
俺がレスカの勘違いを否定しようと口を開いた瞬間、今まで泣いていた立花さんが目元を赤くしながらレスカの存在に気付いた。
「あ、あなたは……?」
「わ、私、お兄ちゃんのところに行ってきますねっ!」
立花さんの視線が注がれていることに気付いたレスカは、まるでこの場から逃げ去るように走っていってしまった。
「あー……」
これはレスカの誤解を解くのを後回しにせざるを得ないようだ。
すると、
「きょーうーやーくーん?」
「へっ……」
声のトーンは高くないのに何故か背筋に凍るものを感じるようなその声に、俺は慌てて振り向いた。
振り向いた先には、明らかに目が笑っていないニコニコ顔の立花さんの顔があった。
「今の子、どこで知り合ったのかなー?」
「ど、どこでってたきつ……」
そこまで言ったところで、俺は自ら地雷を踏み行っていることに気がついた。
――まさか、あんな小さい少女を滝壺で見つけたなんて言えないだろう。
「たきつ……何かなー?」
「え、えっとー……」
一歩、また一歩と立花さんは俺に詰め寄ってくる。
まずい、今思いつく回避する手立てがない!
すると、立花さんは俺に詰め寄った状態で溜息を吐いた。
「はぁ……まさか響也くん、あんな小さい子が好みとは……。お姉さん、ちょっと残念だなぁ」
「ご、誤解ですってー!!」
どうやら、立花さんの誤解も後できちんと解かないといけないようだ。
それから。
自分が図書館の設備を整えるためにやってきたと図書館員全員に伝えてから、エイヴィットたちは早速作業を始めた。
最初はみんな手伝うつもりだったようだが、エイヴィットに「俺たち2人でやったほうが早い」と一蹴されて全員しょんぼりとしていたのは少しクスッとしてしまった。
エイヴィットは懐から何かのアイテムを取り出して、レスカのように呪文のようなものを唱えてそのアイテムを砕く。
すると、みるみるうちに図書館の横に一つの建造物が出現した。
次いでレスカもスキルを発動する。
この開けた周囲を囲うように、ドーム状に光が広がる。
その光はすぐに消えてしまったが、辺りは何か目に見えない力で守られているかのような安心感で包まれていた。
俺の横でその光景を見ていた図書館員全員、口をぽかんと開けてその様子を眺めていた。
かくいう俺も、まさか建物を建てるのがこんな一瞬でできるとは予想していなかったため、みんなと同じような顔でそれを見ていた。
それからエイヴィットたちは新しく出現させた建物の中に入り、5分後くらいに再び出てきてこう言った。
「よし――こんなもんだろ」
「お疲れ様、お兄ちゃん!」
「おう、レスカもな」
……え? もう終わりなの? まだ作業始めてから10分と経ってないよ?
エイヴィットとレスカのおかげで建造された建物は、ともすれば森林奥地に建っているような別荘感を醸し出していた。
建物の主な素材は木で出来ており、図書館の横に設置されているため比べるとそこまで大きくないように錯覚してしまうが、恐らく通常の一戸建てくらいの大きさはある。
「何呆けたツラしてんだ。俺たちにかかりゃ建物ひとつ作るなんざ朝飯前だぞ」
エイヴィットが俺のもとにやって来てそんなことを言った。
「えっと……ちなみにこの建物は、何の建物なんですか?」
「お前がそれを聞くのかよ? ……注文通りの、風呂と洗濯用具が一式揃ってる建物だ」
「た、建物だけじゃないんです?」
「おい、俺たち建設ギルドを舐めるなよ? ギルドを持ってる奴ってのァ、そのくらいしちまうってことだ」
お、恐ろしい……。
しかも、エイヴィットは恐らくあのアイテムを使った以外には特段何もしていないはずだ。
まさか、「風呂と洗濯用具一式が揃った建物を出現させる」なんてアイテムがあるのか?
そんなことを考えていると、エイヴィットは再び図書館のほうを向いて、
「こいつはサービスだ。今日は中々いいもんが見れたからな」
そう言って、今度は図書館の方へと向かっていく。
「ちょ、ちょっと!」
てっきり新しい建造物を出現させて終わりだと思っていたので、突然のエイヴィットの行動に俺は慌てて後を追った。
図書館に入ると、エイヴィットは驚いた様子で図書館の内部を見渡していた。
「ほう……こいつァ、中々すげェな」
「ちょっと、急にどうしたんですか?」
「さっきも言ったろ。サービスしてやるんだよ」
サービス……?
だが今エイヴィットは図書館の中にいる。
これ以上別の建物を出現させる、というわけではないのだろうか?
「しっかしまぁ……マジで本しかねェのな」
「そりゃ図書館ですから」
「お前の住んでた世界じゃ、こんなに大量の本がある建物ってのは当たり前にあるようなもんなのか?」
「さすがにここまでの貯蔵量を誇る図書館はそんなに無いと思いますけど、この図書館っていう建物自体はいたる地域にありましたよ」
「そうか……」
エイヴィットは俺の話を聞くと、改めて図書館を見渡した。
俺も釣られて目をやる。
……こうして見てみると、やっぱり圧倒的な貯蔵量である。
どこを見ても俺の背の2倍はあるだろう本棚しか無く、その棚の一番上の段までよろしく本が収納されている。
並び立つ本棚の横には踏み台が用意されており、図書館員が本の整理をする際や、客が上の本を取るときに必ず用いられる。
「この世界じゃ"本"っていう媒体は結構貴重でな。数冊くらいなら持ってる奴もそこそこいるが、数十冊、数百冊とまで行くと、金持ちかやべェ流通経路を持ってる裏の人間しかいねェ」
「う、裏の人間……」
やっぱりこっちの世界でもマフィア的な存在がいるみだ。
できればお世話になりたくないと心から願う。
「ここの本を少しでも売れればかなりの金額にはなると思うが……っと、んな怖ェ顔すんなよ」
エイヴィットは俺の顔を見て両手を挙げる素振りを見せた。
「ま、お前らはここの本をそれなりに大事にしてるみたいだしな。それにお前らは何があってもしぶとく生き残りそうだ」
「はは……それはどうも」
「んじゃまァ、そろそろサービスの方をやらせてもらうとしますかね」