豊穣の原石
「シャァァァァ――」
「シャァァァァ――――」
ほぼ同サイズの紅と白の二匹の大蛇が互いをにらみ合う。
真紅の蛇は金色の瞳で。
純白の蛇は藍色の瞳で視線を交錯させる。
「おい、こいつぁ……」
奥でエイヴィットの驚くような声が聞こえた。
――俺が今使ったのは、魔術の本で習得した魔術の一つ、第一層魔術「ドッペルミラー」。
ターゲットしたものと瓜二つのドッペルゲンガーを出現させ、注意を一時的にそいつに向かせる魔術だ。
戦闘力なども完全にコピーするため戦わせることが可能だが……如何せん持続時間が短いのが難点だ。
せいぜい、5分が限界だろう。
「エイヴィットさん、レスカさんっ! 今蛇の注意は逸れています、安全なところまで!」
「ちっ……しょうがねェか……!」
エイヴィットは流石に戦いに慣れているのか、この状況では俺の判断が一番正しいと即座に判断したようだった。
俺の横を通り抜け、レスカを抱き抱えてさらに奥まで走る。
(よし……!)
俺は改めて前を向く。
せめて……せめて、ドッペルミラーの効果が切れる5分間の間だけでも、出来るだけのダメージを与えてやる。
「行くぞ……」
目の前ではドッペルゲンガーに惑わされた真紅の大蛇が未だににらみ合う。
俺はウィンドウを開きいて手を滑らせ、出現させたドッペルゲンガーに指示を出す。
「シャァァッ!」
「シャァ!!」
2体の大蛇が互いの体を噛み付き合う。
噛み付く場所まで同じとは、さすがドッペルゲンガーと言わざるを得ないだろうか。
俺はその間に魔法を発動する。
「喰らえ、第二層魔法――クイックボルト!」
小さく分裂した大量の稲妻が宙を駆ける。
空気を焦がしながら奔る複数の稲妻は、にらみ合う二匹の蛇のうち真紅の大蛇の首筋にクリーンヒットした。
「シャァァァァッッ!?」
真紅の大蛇は電撃による痛みに悲鳴を轟かせる。
今の一撃で、相手のHPは約2割削れた。
(あれ……意外とイケるか?)
正直ほとんどダメージを与えられないと踏んでいたのだが、第二層魔法のクイックボルトでこのダメージだ。
今の俺は第二層魔法・魔術、第一層魔導までしか習得していないが、もしかしたら、うまくすれば五分以内に倒せてしまうかもしれない。
「……やれるところまでやってみるか」
俺は真紅の大蛇が電撃にひるんでいる間に、ウィンドウを操作して次の手を打つ。
第二層魔法フリージングランス、そして同じく第二層魔法フレアゲートを発動。
氷の槍、そして無数の火の玉が真紅の大蛇を襲う。
さらに、ドッペルミラーで呼び出した真紅の大蛇の分身……純白の大蛇にも、攻撃するよう指示を与える。
「シャァァァッ」
再び首筋に牙を立てる純白の大蛇。
HPを見ると、現在約5割ほどまで削れている。
ここまでの経過時間はおおよそ2、3分といったところ。
あと半分、削れれば全部削っていきたいが――――
「グググ………………」
突如、真紅の大蛇が奇妙な呻き声のようなものを上げ始めた。
そして、真っ赤なその体を激しくうねらせ、みるみるうちに肥大化してゆく。
「な、何だ――」
まさか、体力が少なくなったことで力が増すのか?
いやそれでもこっちにはまだドッペルミラーで呼び出した純白の大蛇がいる。
多少強くなった程度でやられは――
「シャァァァァッ!?」
「え?」
俺の真横を、純白の大蛇が恐ろしい勢いで吹き飛んでいく。
一瞬、何が起きたのかさっぱりだった。
呆然とし、その場に立ち尽くしてしまう。
「シャァァァ――」
そして俺の眼前に悠々と立ちふさがったのは、体長がおよそ倍ほどになった、真紅の大蛇だった。
「うっ……!」
俺の脳は、筋肉に対して"逃げろ"と命令を出す。
命令に従い、俺の体は俺の意思に反して後ろを振り向く。そして、強く一歩を踏み出させる。
「シャァッ!」
その直後、俺が今までいた場所に巨大な尻尾が叩きつけられた。
衝撃で周囲に岩が飛び散る。
「がぁっ!」
その内の一つが、俺の左腕に直撃した。
今まで感じたことのない痛みが体中を迸る。
「う……がっ……!!」
走る激痛に顔が歪み、汗が溢れ出る。
左腕をちらりと見た。
腕があらぬ方向へと曲がっているのが確認でき、血が出続けている。
(痛い……痛すぎる……!)
生まれてこの方大きな怪我なんてしたことのなかった俺は、初めての骨折の痛さに思わず叫びそうになっていた。
しかし、それは今、目の前の大蛇がさせてくれない。
蛇に睨まれた蛙のように、俺の喉からは思った言葉が出ない。
(死ぬ……のか……?)
俺の頭の中でそんなことがよぎる。
俺が望んで来た場所じゃないのに、まだ月宮館長だって救えていないのに。
何より――みんなを置いてきてしまっているのに。
「……るかよ………」
喉から振り絞ってでた、その言葉。
誰にも聞こえていないだろうけれど、"俺"にははっきりと聞こえる。
言い聞かせることができる。
「死ねるかよ…………!」
まだだ。俺にはまだやるべきこと、できることが残されている。
左腕はもう使い物にならないが、右腕はまだ動く。
片腕動けば、ウィンドウは操作できる。
「ふぅっ……!」
一旦深呼吸。肺に酸素を循環させる。
前を見据える。真紅の大蛇が俺を睨み、その死せる牙を見せつけてくる。
――だが、それがどうした。
俺は絶対に死なない。
「行くぞ……!」
俺はウィンドウに素早く右手を滑らせる。
それとほぼ同時に、真紅の大蛇は俺に向かって突撃してくる。
(遅いっ)
俺はその突撃をまっすぐ見据えながら、落ち着いた動作で魔術を発動する。
第二層魔術、リフレクトウォール。
衝突したあらゆるものを弾き返す金色の壁を、俺の目の前に出現させる。
「シャァッ!?」
案の定、真紅の大蛇は壁に激突し弾き返される。
壁が大きくて蛇の姿は見えないが、奥で衝突音が聞こえたことから、端の壁まで弾き飛ばされたのだと推測できた。
(なら次は!)
再びウィンドウを操作。
第二層魔法、クレイロック。
地面を隆起させ、ターゲットの身動きを封じつつ継続的なダメージを与える魔法。
ここで、リフレクトウォールの持続時間が切れ、視界が開ける。
「シャァァ! シャァァァ!」
奥の壁には、クレイロックによって身動きを封じられた真紅の大蛇の姿が見えた。
中で激しく暴れ、岩から脱しようとしているが、その行動は全くの無意味だ。
何故なら、このクレイロックは、俺の"魔力ステータス"に対応して強度を増しているからだ。
現在の俺の魔力は、道中で戦わされたことでレベルが上昇し、2500までアップしている。
「あと3割……!」
真紅の大蛇のHPは、現在4割と少し。
クレイロックの継続ダメージでもうすぐ3割は切るだろう。
残り3割なら、適当な魔法を二つぶつければ削ることが出来る。
俺はウィンドウを操作し、魔法の一覧へと飛ぶ。
もう既に、左腕の怪我のことなど忘れていた。
痛みすら忘れ、今までのように急ぐこともなく魔法を選択していく。
――それほど、俺は"勝ちを確信してしまっていた"のかもしれない。
「ググググググ…………」
つい数分前にも轟いた、あの奇妙な呻き声。
それが再び、この洞窟内に響き渡った。
――しかし、俺はそれを聞き逃していた。
「よし、これで――――」
魔法二種、ウィンディルとフリージングランスを選び終わり、発動へと移行した……時には既に、真紅の大蛇は俺の視界に居なかった。
やつを封じ込めていたクレイロックは粉々に砕け、その姿は地上のどこにも見当たらない。
そして。
「シャァァァァァァァァァァ!!!!」
大きな咆哮が上から聴こえてくると同時に、頭上が赤く染まる。
俺は上を見上げ、驚愕した。
天井から雨のように降り落ちて来る火の玉。
俺の視界を覆い尽くさんばかりの量の火の玉が、天井に張り付いた真紅の大蛇の口から打ち放たれていた。
「え――――」
そしてそれを呆然と見上げる俺に……大量の火の玉は降り注いだ。
洞窟を揺るがす、大量の火の玉の着弾。
地面を抉り、空気を焦がし、生ある者を殲滅させる破滅の炎。
それが、俺に向かって容赦なく降り注いだ。
<視点変更>
暗闇を焦がす無数の炎が、キョウヤに襲いかかった。
鼓膜を破るかのような爆発音とともに、それらは着弾する。
「くそっ……見えねェ……!」
「きゃああっ!」
着弾の衝撃で吹き荒れる熱風と爆炎に思わず舌打ちするエイヴィット。
レスカはエイヴィットにその身を支えられ悲鳴を上げる。
「お兄……ちゃん……!」
「……」
エイヴィットには、レスカの言いたいことがなんなのかなんて分かりきっている。
でもそれは、ずっと共に暮らしてきた兄妹だからというわけじゃない。
この状況を見れば、誰だって同じ事を思うからだ。
「……」
エイヴィットは口を開かない。
じっと燃え盛る炎を見つめ、険しい顔をしている。
「お兄ちゃん……私……私……っ!」
レスカが泣きそうな顔で炎の海へと飛び込もうとした。
「ダメだ!」
しかしエイヴィットがレスカの体を引き寄せる。
「私……嫌だっ! まだあの人に、謝ってない……!」
「そんなことは、分かってる」
レスカはキョウヤに対し、嫌悪感や軽蔑感ではなく、罪悪感を抱いていた。
自分が何の警戒もせず無防備な状態でいるところを見られ、それで彼がこんな目に遭うことになってしまった。
年相応でないしっかりとしたレスカは、それを悔み、謝罪したいと心から願っている。
そんなこと、兄のエイヴィットには痛いほど分かっている。
――だからこそ、今は見ているだけでいいのだ。
「レスカ、よく見ておけ。やつは……シブタニキョウヤは、タダモンじゃねェ」
<視点変更>
降り注ぐ火の雨。
生あるものを灰へと返す、破滅の炎。
だがそれは――大蛇の唯一の慢心でもあった。
「シャァァ……」
真紅の大蛇は、天井から火の海を見下ろしていた。
既に敵の姿は目に映らず、この炎で生きているとも思えなかった。
だから……"突如飛んできた氷の槍"に、対処ができなかった。
「シャァァァァァァッ!?」
「――俺は、死ぬつもりなんて無い」
炎の中から、それを"自ら発生させた風"で吹き飛ばして現れた一つの人影。
――俺は、周囲いっぱいに、できる限りの氷の槍を展開して大蛇の視界に入った。
「覚悟しろよ……!」
右腕を前に掲げる。
俺の周囲に展開された氷の槍……フリージングランスは、一斉に大蛇へとその牙を向ける。
「喰らえ……!」
号令と同時に、計20本は超えるであろう氷の槍が、大蛇に襲いかかる。
避けようと思えば、大蛇にとってそれは簡単だった。
だが……最初に打たれた一本が、大蛇と天井をしっかりと繋ぎ止めていた。
「シャァァァァァァァァァァァァァァァ――――」
そして氷の槍は身動きの取れない大蛇に容赦なく襲い掛かり――見事、残り3割の体力を奪い取ったのだった。
『レッドコブラ を 倒しました』
「終わっ……た……」
俺は削りきれた大蛇のHPバーと中空に浮かぶ電子文字をしっかりと見届けて、その場にへたりこんだ。
その横で、俺のレベルが一気に2も上昇したことを伝える文字も浮かんできた。
「……っ!」
思い出したかのように左腕に走る激痛に、俺は顔を歪めた。
そうだった。俺はあの大蛇の攻撃で左腕をやられていたんだった。
戦いに必死すぎて痛みごと忘れ去ってしまっていた。
と言うかよくよく考えてみれば、俺のHPは相当低いはずなのにあの攻撃をよく耐えられたものだ。
そうして左腕を抑えていると、視界の上から何か光ったものが落ちてくるのが見えた。
それはちょうど俺の目の前に落下してくるようで、動く右手を思わず伸ばす。
「なんだこれ」
俺の手に収まったのは、美しい翡翠色の小さな石だった。
中に発光する何かが埋め込まれているのかと思うほど、その輝きは眩い。
すると、
『アイテム 豊穣の原石 を 入手しました』
という電子文字が出現、直後にその石は消滅してしまった。
ウィンドウを開きアイテム欄へと行くと、そこには今の石がアイテムとして格納されていた。
「豊穣の……原石……?」
聞いたことのない名前に首をかしげていると、遠くから声が聞こえた。
「キョウヤ! 大丈夫か!」
叫ぶエイヴィットと、そしてレスカの二人が、俺のもとに駆け寄ってきた。
幸い周囲の炎は大蛇を倒したからなのか消火されていて、黒く焦げた地面だけがその異様さを醸し出していた。