ハプニング
翌日。
昨日と同じように入口のソファで目覚め、2階で図書館員全員と朝食を取った。
その際、立花さんを中心にして図書館員内での、現在の作業経過の報告会がなされた。
立花さんを含め合計7人いる図書館員は今、館内で散乱した大量の本の整理をしている。
「――それじゃあまずは、有馬くんから」
「分かりました」
報告のトップバッターに選ばれたのは、図書館員の中でも一番若手の有馬さんだった。
有馬さんへ、全員の視線と意識が集中する。
「えっと、僕が担当しているのは2階の人文科学コーナー及び自然科学コーナーと、1階の料理コーナーになります」
そう言えば、こうして図書館員の人たちが今どこでどんなことをしているか聞くのは初めてかも知れない。
各割り振りは立花さんと楠田さん辺りが請け負ったのだろう。
「整理は全体的に言うと、6割強くらいは終わっています。恐らく今日中には終わるかと」
「――うん。報告ありがとう」
有馬さんが報告を終えると、立花さんは素早く番を回していく。
「それじゃあ次は、江口さんたち。お願いね」
「はい!」
「はい」
姉妹である佳菜子さんと佳奈美さんは担当箇所も同じなようだ。
2人で息のあった返事をすると、互いの声のトーンは真逆なはずなのに、絶妙なマッチをする。これが姉妹パワーというやつであろうか。
「私たちのとこは、半分くらい終わってます! 有馬くんと同じで、今日中には終了予定ですっ!」
佳菜子さんがまずは率先して報告した。
しかしながら、若干曖昧な報告である。
するとそれをカバーするように、妹の佳奈美さんが声を上げる。
「お姉、ちゃん。もう、少しちゃんと、報告し、ようよ……。えっと、割合で、言うと、有馬、さんと同じ、6割くらい、です。でも、今日中、には終わらせ、ます」
しっかり者の佳奈美さんのカバー。
ぐいぐいと前に出ていく姉の佳菜子さんを後ろから支えるように、しっかりと補足していく。
「ありがとう。それじゃあ次、大鷲さん――――」
というように、報告会はスムーズに進んでいった。
立花さんは普段から図書館員全体のまとめ役をやることが多かったので、このくらいは朝飯前なのかもしれない。
本来図書館員は今の5倍はいる。今回の事態に巻き込まれたのが少人数というだけであって、実際立花さんはもっと多くの人を前にまとめ役をしたこともあるのだろう。
「――うん、みんなありがとう。どうやら進み具合は全員均等しているみたい。でも、まだまだ整理しなくちゃいけないところはあるからね、整理くらいはこの7人で頑張っていかないと!」
「そうだねぇ。一番大変なことは全部響也くんに押し付けっちゃってるし、これで本の整理すらもできないってなったら、大人としてのメンツが保てないよねぇ」
立花さんと桐谷さんから向けられた思わぬ言葉に、俺は少々恥ずかしくなって俯いてしまう。
自分では大したことはしていないと思っているし、実際そうだから余計だ。
「あ~! 響也くん、ほっぺた赤くなってる~。照れちゃってるんだ~」
「ちょ、言わないでくださいよ佳菜子さんっ!」
「ふふふ、大学生になって大人びた雰囲気を出していたけれど、やっぱり響也くんは響也くんね」
「も、もう……! 楠田さんまで…………」
他の図書館員も、微笑ましそうに俺を見る。
うう……図書館員の人たちだけの報告会だったはずなのに、どうして俺が恥ずかしい思いをしているんだ。
それからのこと。
報告会で無駄に上がった体温を冷ますため外に出向いていた俺は、気分転換も兼ねて外のモンスターを倒していた。
『サザールベア を 倒しました』
中空に現れるそんな電子文字を眺めながら、俺はうつむきがちに一つため息を吐き、とぼとぼと歩き出す。
「ふぅ……なんか、みんなの中での俺の立場が心配になってきたぞ」
俺はもう大学生だし、年齢的にも子供としては見られたくはない。
なのに、立花さんたちは俺のことをまるで全員の子供のようにして扱う。
そりゃあ中学生の頃からほぼ毎日訪れている図書館だし、図書館員全員とは顔見知りでまるで親戚のように仲も良い。
……でも俺はもう子供じゃない。何度も言っているのに、どうして分かってくれないんだろうか。
そんなことをぐるぐると考えていると、
「…………あれ?」
俺はふと顔を上げ、周囲を見渡す。
周囲は独特な形をした葉を持つ木々が生い茂り、まさに森の中といった感じだ。
……しかし一つ、視界の中に無いものがあった。
「ここ、どこだ……?」
俺の視界から、図書館が消えていたのだった。
いや、正確に言えば、俺が図書館から離れていた。
しまった、変なことを考えていたら足が勝手に動いていたらしい。
急いで引き返そうと身を捻るが、
「どっちだよこれ……」
辺りを囲むのは、全て同じに見える木ばかり。
森の中ゆえ、どこを見ても道らしいものは当然ある訳もなく、あるのは獣道だけだ。
……これは、非常にまずいのではないだろうか?
俺はレベルアップで覚えたスキルを確認してみるが、現在地を確認できそうなものは無かった。
当然方位磁針も無いし、異世界ゆえ携帯だって使い物にならない状態だ。
どうやら、本格的に迷子になったらしい。
「……立ち止まっててもしょうがない。とりあえず、なにか目印になりそうなものを探そう」
そう思い立つと、とりあえず適当な方に向かって歩き出してみる。
しかし、奥に進めど進めど景色は変わらず。時に現れるモンスターを倒していくが、周囲に人が来たような気配もしない。
かなりまずい、と心の中で焦ってきた。顔はクールさを保っているが、心臓はバクバクだ。
図書館も気になれば、知らない森の中を一人で歩いているだけで孤独感がものすごい。
幸まだ陽は昇っているので明るいが、これが夜だったらと考えると、孤独感に加えて恐怖感もあっただろう。
――そうして、何処に向かうかも分からず歩いていた俺の前に、あるものが飛び込んできた。
「すごい……! 川だ……!」
俺の目に飛び込んできたそれは、小さな滝壺もある川だった。
滝壺から伸びたゆっくりとした川の流れはさらに奥に続いているらしく、一種の道しるべともなっているようだ。
……恐らくだが、この川の先にサザールと呼ばれる街があるのだろう。
そんなことを考えてみるが、今は街へ行くことよりも図書館へ戻ることの方が先決だ。
あえて街へ行くという手段もあるにはあるしそれなりのメリットもあるが、やはり博打すぎる。まあ、本当に図書館へと戻るルートが見つからないとなった時はその手を使ってみるかもしれないが。
しかし、川という目印を見つけた俺の目に、さらに別のものが映り込んだ。
「女の子…………?」
滝壺の端。
パシャパシャと小さな水しぶきが上がっている。
次いで、黄色く長い髪が水中から現れた。それは陽の光に当たってキラキラと輝く。
そしてその下は…………
「っ!」
俺は反射的に目をそらした。
……いや、うん。何も見てない。何も見てないぞ俺は。
決して滝壺で水遊びをしていた金髪ロングの女の子のハダカなんて見ていない。決して。
と言うか逃げるべきだろう、ここは。
俺は素早く身を翻す。
別にここに長居をする理由はないのだ。目印さえ見つかれば良かったわけだし。
今こんなところを誰かに見られるか、もしくはあの少女に気付かれでもしたら俺の社会的地位が抹消される。
――しかし、俺の運命は俺の意思とは違う結果を望んだようだ。
パキッ
足元から不穏な音。
その正体を確かめるまでもなく、怯えたような小さな声が俺の足を止めた。
「誰…………?」
いや待て、少女はまだ俺を捉えていない。今のうちに音を立てずに逃げることができれば、俺の社会的地位は損傷くらいで済む。
――しかし、運命とはことごとく本人の意思とは違う結果を望むらしい。
「レスカー、今戻った……ぞ…………」
「あ……」
俺が逃げようとしていたまさに今。その進行方向から現れたのは、赤いバンダナを巻いた大柄な男性だった。
男性と俺の視線が交錯する。
彼は今、"少女の名"を呼んでいた。
この状況で少女と呼べるような人物は一人しか見当たらない。
……この後の展開が容易に想像できるんだけど。
「――大変申し訳ありませんでしたぁぁぁっ!」
素早い謝罪からの素早いスタートダッシュ。
完璧だ。この連続した一連の行動に反応できるやつなどおるまい!
よし、このまま何事もなかったように逃げて――
「おい待てや」
「ぐえっ」
後ろから襟首を掴まれた。首が絞まる。
……約10年以上もまともな運動をしてこなかった過去の俺を、今だけは恨んでやるからなぁ!
「お兄ちゃんっ! そっちから変な音が――きゃぁっ!?」
滝壺から上がってきた例の金髪少女は、男性によって襟首を捕まれ持ち上げられている俺を見るなり小さな悲鳴を上げた。
「あんた……ここで何してた?」
「えー、えっとー……」
どうする? 事情を説明すれば恐らく納得してもらえそう――いや無理か――いや待て待て! まだ諦めるには早い!
もしかしたらこの男性はそこまで怒ってないかもしれない。
ちらりと男性の顔を窺ってみる。
「言わねェってんなら、それ相応の覚悟は出来てるんだろうな……?」
男性は背中に刺した大ぶりの剣の柄に手を掛けた。
あー、ダメだ! 間違いなく怒ってる! ご立腹でいらっしゃる!
これじゃあ話してもまともに取り合ってくれない!
……とは言え、このまま無言を貫き通してもマジで身の危険を感じるので、正直に言うしかなさそうだ。