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遠ざかる終焉

作者: 森野梟

遠ざかる終焉




「本当にここでやっていけるんだろうか…」



元会津藩士たちの入植の地、斗南(現在の青森県むつ市)。


戊辰戦争で逆賊の汚名を着せられ、住み慣れた会津から引き離されて辿り着いた者たちは、船の上から見渡す限りの森林と寒村の港を見つめながら立ち尽くした。

入植の地で暮らす時間に対して持っていた淡い期待は、ことごとく裏切られそうな暗い予感がした。

その中に、藤田五郎、改名する前は斉藤一と名乗っていた元新選組隊士の姿があった。


身の丈は六尺近くあり、平時でも眼光鋭い双眸を持ち、周囲の人間がその瞳にぎろりと見つめられただけで硬直してしまうほどの凄味があった。

常に居住まいを崩さず、軽口を叩かない凛とした佇まいも藤田の底知れなさを際立たせていた。


この海峡の向こうの函館で戦死したと伝え聞いた、新選組副長土方歳三の亡骸は無事に弔われたのだろうか…

会津が堕ちたら追いついて来いと言っていた…その約束を果たせぬまま捕虜となり、謹慎生活を送り、元新選組隊士の素性は決して明かさずに斗南まできた。

もし墓があるのならその地で手を合わせ、報告をしたい。


斗南の地に降り立った藤田は函館へ続く碧い海峡を見つめた。



「斉藤、お前蝦夷に渡りてぇか?」


「…いきなり何を言い出すんです」


入植後数日後に行われた藩議のあとで。


一人残された斉藤に向かって斗南藩大参事に任命された山川浩が切り出した。

元会津藩家老ながら斉藤と年近く、藤田の素性と会津戦争での働きを知っている、知将山川と謳われた男は、今正座していた座布団から離れ、藤田の目の前で胡坐をかきなおした。



「とぼけるな。顔にずっとそう書いてあるぜ。誰だって見りゃわかる。藩の中ではお前の働きについて心配する声もある。そのうち逃げ出すんじゃねぇかって。とぼけるんなら、さっきまで俺らが話していた藩議の結論を言ってみろよ」


「…」


覚えていなかった。

実は昼間、斗南藩監視をしている官軍の者達が「新選組の…が…謹慎で…」「函館から弘前藩へか…」と声を潜めて噂しているのを聞いてしまったからだ。


こんな僻地まで噂が回ってくる戦後処理の動き。

何があった。

激しい焦燥感を持て余し、問い質したい気持ちを堪え、新選組への思慕に憑りつかれたまま藩議の席に座っただけだった。

だんまりを決め込む藤田の前に、山川は袂から出した蝦夷の地図を広げて一箇所を指した。



「…お前がもし行きたいと言うんなら手はある。近々開産掛の担当で川崎尚之助さんが柴太一郎さんと一緒に函館へ渡る。二人は頭は切れるが腕っぷしは不安だからな。官軍の者たちに絡まれたら元会津者として何があるかわかんねぇ。その供としてお前がついていってくれ。二人の仕事を見届けたら、余市に入植した会津者たちの集落にいる会津士族総代の爺さんにこの書状を届けてきてくれ。別に密書ってほどの物じゃない。この地に入ったというだけの連絡さ。見られたって怪しまれねぇ。この仕事以外はお前の自由時間だ」


「…承知」


熱くなった目頭を隠すように頭を深々と下げた藤田へ「さぁ、久々に楽しくなってきたな!やっぱり俺はこんな作戦を練っている時の方が面白くってしようがねぇんだ」悪戯を始めると決めたガキ大将のように楽しげな声が掛けられた。



----



深く碧い海峡を船で渡って辿り着いた函館。

静かに凪いだ海と違い、足を踏み入れた港は斗南のそれとは比べ物にならぬほど、船と人と貨物で賑わっており、時折外国人も往来を通ってゆく。

ほんの数か月前まで幕軍が徹底抗戦していた場所とは信じ難かった。

戦は完全に終わったのだと、藤田の胸の中に現実を突き付けられた。

戦の面影を感じるような爪あとを目で探したが、華やかな港町のどこにも見当たらなかった。



「はぁ?斗南藩?聞いたことないですねぇ」


「あ、今はそうかもしれません。実は私達、会津の人間がこの海峡の向こうの地に斗南藩として土地を拝領しまして」


「会津?!」



周囲を警戒しながら川崎達と函館の商人の交渉を聞いていた藤田は、その驚いた声で身体を硬直させた。

行き交う人間たちが一斉にこちらを見たからだ。

声をあげた商人は震えながら目を見開き、口元を掌で覆っていた。



「いえ…、今は斗南藩ですから何をしようという事はありません。ただ…」


「怖い怖い!会津の方々と商売を始めたと知れたらうちも何があるかわかりません。申し訳ありません。他をあたってください!」


「…わかりました」


「他をあたりましょうか」


川崎と柴が肩を落として歩き出そうとした時。



「会津者じゃってぇ?まだ生きとったんか。しぶといのぅ。戊辰の頃に徹底的に懲らしめてやったはずじゃのに」


「ほんまじゃぁ。これは見落としとった」


「片づけんといけんのぅ」とせせら笑う声が近づいてきた。

笑い声は三人。

藤田は声のする方に回り込み、川崎と柴を背にして立ちはだかった。

京にいた頃に聞いた覚えのある長州訛り。

下級軍服を着た男たちがすらりと刀を抜いて道を塞ぐので、不穏な空気を感じた商人や通行人達が息を潜めながら小走りに去っていく。



「私達は元会津とはいえ既に罪を赦され、斗南の者。藩のために商売をするのも自由だと言われている。理不尽に刀を抜くのはご遠慮願いたい。戦う気はないのだ」


藤田の背から川崎が声を掛ける。既に刀を抜いている相手にそのような言葉を掛けても無駄だろうと藤田は思った。


「そっちに無くてもこっちにはまだあるんじゃーー!!」


正面にいた正眼の構えの男が突進してくるのを右にかわして手首を掴む。

ひねりあげて刀を奪い取り、横腹を蹴倒した。

刀さえあれば藤田に怖い者はなく、続いて奇声をあげながら斬りこんできたのを横に流して撃ち払い、土埃たててしりもちついた男の眼前に切っ先を翳した。

京都・伏見の戦いや会津戦争まで死物狂いの転戦をしてきた藤田にとって造作もないことだった。



「ひぃ!強ぇぇ!」


「わ、わし思い出した…。こいつ京都におった新選組の仲間じゃ…名前は知らんけど…ぞろぞろ歩いとるの見たことあるぞ…阿呆な面構えばかりじゃったわ…」


斬り込んでこれなかった男が震える構えのまま呟く。



「さぁ、どうだったか全く覚えがないな…!」


「ひっ…!」


刀を引いて首を掻っ切ろうとした瞬間、川崎と柴の二人にぐいと両肩と腕を掴まれた。


「いけない!!」


「ここで事を起こしてはいかん!」


二人に引き摺られるようにして藤田はこの場を走り去るはめになった。



------





翌々日。

藤田は一人で余市にある会津人の住まう集落へ辿り着いた。

川崎から単独行動を命じられたからだ。



「命拾いしましたが、些か目立ち過ぎてしまいました…。今頃政府の人間達があなたを血眼になって探しています。先に余市へ行き、ほとぼりが醒めるのを待ってから函館の港に戻ってきてください。私達はまだ商人のふりをして函館に潜伏し、仕事をします。十日あれば騒ぎも落ち着く。船を泊めた場所で早朝に落ちあってから出発しましょう」


護衛するべき川崎達に迷惑を掛けてしまった。

藤田は肩を落としながら歩き続けた。

川崎に言われた日数で書状を送り届けて引き返し、函館で土方副長の墓を探すには十分だろう。

藤田に落ち込んでいる暇はなかった。



余市の集落は函館のような喧噪はなく、門番に名を告げて書状を見せるとあっさり中へ通された。

鄙びた家屋や畑のあちこちから会津訛りが聞えてきたので、藤田は緊張していた心を落ち着けることができた。

会津士族総代に書状を渡し終えると更に深く安堵の息を吐いた。



「どうもありがとなし…ゆっくり休んでいってくなんしょ」



その言葉に甘え、出された食事を摂り、新選組副長土方の墓を探していると告げると、総代は顎髭を撫でながら話し始めた。



「一本木関門で亡くなった後は墓の場所は不明ということになっておる。場所が特定されると官軍の者らに掘り返されて検分されてしまうからの。実は…」


藤田は総代の教えてくれた埋葬場所を頭の中に叩き込んだ。





------




「副長…、探しましたよ。遅くなってすみませんでした」


余市で野良着を借りて変装した藤田は、海を見渡せる寺の境内のとある墓前で頬被りを外し、手を合わせていた。

花と線香は余市で分けてもらったものを手向けた。

急場しのぎにしては準備できたものだ、しかも官軍の目を盗みながら場所を探し当てるなんてな、と笑って誉めて欲しかった。

主を隠すため名の彫られていない墓を見上げていると、弔いを行ってから謹慎に向かった仲間達の事も偲ばれて自然と涙が浮かんだ。



「所縁の方ですか?」


「……はい」


背後から掛けられた穏やかな声に振り向いて立ち上がると、廊下から住職に会釈されたので深々と頭を下げた。



「拙僧はあなたと同じ所縁の方々に頼まれまして菩提を弔わせて頂いております」


「ありがとうございます」


「お参りが済まれましたらばぜひ、堂内へ。狭いところでは御座いますがどうぞお上がり下さいませ」


「恐れ入ります」



藤田は案内された御堂に入り、経を読む住職の背後で手を合わせ続けることができた。

住職から聞かされた函館戦争の経緯とその頃の新選組の仲間の逸話を聞いた。



「蝦夷地にあっても決して驕ることなく、侍らしい礼儀正しさを持って先住の者達に接してくださいましたよ、あなたのお仲間方は」



藤田の脳裏に懐かしい面々との日々がよぎり、膝の上のこぶしに涙が幾つも落ちた。




川崎達と落ち合う朝を迎えるまで、寺での寝食を許されたため、せめてものお返しに朝の御勤めから寺の掃除や薪割りなど手伝える事は何でも手伝った。

墓に手を合わせる度に、藤田の心に巣食い続けた新選組の呪縛が浄化されていく心地がした。



これで俺もまた新たな地で生きていける。


空の蒼と海の碧色を眺めていると、副長もずっとここから静かに本土を見つめ続けるのだろうと自然に思えた。




手伝いの合間に頬被りを外し、墓の傍に侍るように祈りを捧げていたときだった。



「お前、新選組の残党の人相書きそっくりだな!あやしいぞ!名を名乗れ!」



寺の門扉の外からこちらを窺うように下級軍人達が怒鳴った。


しまった。見られていた。

静かに立ち上がって睨みあっていると、続いて数人が追いついてきた。



「出てこい!先般の騒ぎを起こしたのはお前か?!」



ここでは戦えぬ。

戦えばこの寺を血で染めることになる。

だが逃げて自分が新選組の生き残りと知れたらこの寺も怪しまれ、嫌疑をかけられる。


ならば、投降して寺と副長の墓を守りたい。


藤田が一歩踏み出すと人だかり全体が息を飲み、半歩後ずさった。



御堂の障子がたんっ…と渇いた音を立てて開く音がした。

藤田と軍人達はそちらを振り向いた。



「喝…っ!黙らっしゃい!静かに仏を弔っている人間をあやしいとは何事か!不届き千万!御仏の前にその姿を晒す恥を知りなさい!」



住職が一喝すると軍人達が目を丸くして肩を震わせた。

そして姿勢を正して黙り込んでしまった。



「し、失礼を致しました!」


集団は一斉に頭を下げ、逃げるように駆け足で立ち去っていく。



「二度と来るな、この阿呆ども!」



住職は寺の門扉まで出て行って、悪ガキ達を追い払うように怒鳴りつけた。

足音たちが速度を上げて遠ざかり、境内は再び静寂に包まれた。


まったく…と苛立たしげに戻ってきた住職の様子を見て、藤田は自分でも久方ぶりに「ふふ…っ」と笑いをこぼした。

仲間がこの寺に副長の亡骸を預けた理由がわかった。



「ありがとうございます」



その笑顔のまま自然と礼を述べた。



『な?斉藤、傑作だろう?ここの坊さん。これなら俺も安心さ』



墓前の煙と菊の花が潮風でそっと揺れるのを見て、藤田も深く頷いた。




---------



世話になった寺に別れを告げて、無事に藩命を終えた川崎達と港で落ち合い、斗南への海峡を渡る船の中。



「藤田さん、おだやかな顔になりましたね」


「本当に。あなたの探していた場所はありましたか?」



川崎と柴が藤田の表情を眺めて頷きあう。



「ええ。…もう安心できました」



遠ざかる函館の市街地が朝靄にかすんでゆく。藤田は新たな決意で手を合わせ続けた。








6








小説講座の課題として頁数制限の中で書きました。【2015.06.28】


新選組の斉藤一は謎めいた存在として知られていますが、戊辰後を生きる彼の生き様と周囲の会津藩士たちを描きたくて挑戦しました。

会津改易の地、斗南藩(現青森県むつ市)の港からは天気が良いと遥か遠くに北海道の姿を望むこともできます。

斉藤一が新選組終焉の地、函館を遠くに見つめたらどのような想いを抱え、行動するか、実際に函館に渡ったらどうなるだろうかと想像するだけで心躍らずにはいられません。同好の方に楽しんでいただけたなら、幸いです。


森野梟

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