プロローグ
「喜びなさい、仕事をもらってきたわよ」
最大限にまで口角を吊り上げ、これまでみせたことのないような満面の笑みを浮かべるソフィー。派遣会社を経営している彼女は唯一の社員にして弟のアスクに、仕事の受注書を見せびらかすように、ひらひらと紙を揺らす。
「こ、これでようやく肉が、待望の肉が食べられるんだね、姉さん」
「姉さんじゃなくて、勤務時間中は社長と呼びなさい」
いつもなら厳しく当たるところだが、今日ばっかりは違う。やさしい口調がアスクの耳に入ってくる。
アスクは感無量に思わず、涙がこぼれてきた。なにせ半年ぶりの仕事の受注だ。仕事がなかったせいで、いつも山から薬草を摘み食べる毎日。そうした生活の脱却を頭で考えると、次々に涙があふれてくる。
しかし途中ではたとアスクは気づく。
まともな仕事が無名の派遣会社に流れ込んでくるわけがない。
姉の仕事時間は一ヶ月でわずか一時間弱。営業活動なんてものは皆無。はっきりいってニート同然の姉。どうしてそんな姉が仕事をいきなりもってこれる?
「その受注書ちょっと見せて」
アスクは目を一度こすり、ゆっくりと紙を受け取る。
「報酬金額一兆金貨だって!?」
一生に一度来るかこないかの驚きだ。いや、間違いなく二度とこないだろう驚き。本当にすっとんきょんな声がアスクの口から飛び出した。
それもそのはず、一兆金貨なんていえば都心に馬鹿でかい豪邸を建てたとしても、おつりがうじゃうじゃもらえるほど。遊んで人生を百回ほど暮らせる金額だ。
思わずアスクは頭の中の電卓を呼び起こす。確かこの会社の借金が二十万金貨で、社員を千人雇ったとしても…………………………ふふ。
思わず笑みが頭の中から口の外へとこぼれ出た。
いやちょっと待てよ。一兆金貨。どこかで見たことある数字だ。
そう確かあれはちょうど社長である姉が会社を設立したときに………………。
「これ魔王討伐の受注書かよ!!」
「どうしようかしら、都心に五階建てのオフィスを建てて、従業員は百万人。二階はおしゃれなバーにして……………」
完全に自分の世界に入り込んでいるソフィー。
アスクの話など、左から右へ通り抜けている。
もう一度必死に姉にかたりかけるアスクだが、だんだんと力が抜けていき地面にぽとんと体を落とした。
「ははっ、ははっ、また薬草生活か。………………はぁ」
もう立つ気力すら残っていないんじゃないか、と思わされるアスクのやせ細ったからだ。これからのことを考えると、次々に生気がアスクの口から外に出て行く。
「なにあんたそんなに落ち込んでるの。一兆金貨よ、一兆金貨。心配しなくても討伐に成功したら、あんたにも十万金貨くらいあげるわよぉ」
たったそれっぽっち!? などというつっこみをかみ締め、
「魔王討伐なんて無理だよ」
地面に顔をこすりつけた状態でアスクがぼそっとつぶやく。
半年前魔王討伐の依頼が発注されて以来、受注したのはたった一組。王都に本社を構え、従業員二百万人を抱える大企業、タングール武装兵団。魔獣の侵略に対し、いち早く社員を武装させ魔獣を王都から完全に追い出した。そして世界で初めて民間で出す魔獣退治などの依頼を請け負い、武装させた社員を現地に赴かせる近代武装派遣会社の基礎を創った会社である。
彼らは各地から選りすぐりの精鋭を集め、魔界へと進軍を開始。しかしわずか一週間で十万人の武装兵団は撤退を余儀なくされる。さらに一人として魔王城の中へは踏み込んでいないというのは、田舎でも有名な話。
この話は当然姉の耳にも入っているはずだ、という確信がアスクにはあった。ソフィーがこの会社を立ち上げたのは、魔獣の討伐ってこんなに儲かるのね、などと魔王討伐の発注書を見たからである。
「魔王なんて案外早く年をとって、今はよぼよぼのおじいさんかもしれないわよ」
「例えそうだとしても、魔王城に足を踏み入れられなきゃ。意味ないって」
「あら、魔王だって魔人よ。一日一回くらい魔王城の外に出るわよ」
いや、あんたに魔王の何がわかるんだよっ! と突っ込みたいところだが、あいにく言葉はこぼれない。もう突っ込む気力はないのだ。
「ほら立ちなさい。そんな弱気じゃ魔王には勝てないわよ」
「強気でも弱気でも勝てないものは勝てない」
まるで赤ん坊のようにごろんとアスクは寝返りを打つ。
さすがに浮かれている頭とはいや、こんな弟の現状を姉としては見過ごせない。
ソフィーは少々厳格な顔つきで
「いいから立て!」
「痛い、痛い、ちょま! 本当に痛いから。ちょっとたんま」
何度も何度も姉にけりつけられるアスク。Mというわけではないが、特別姉に非(最大限の譲歩)があるわけではないので、アスクとしてもやり返すことはしない。
「いいから立って。もっとしゃきっとしなさい」
しぶしぶアスクは姉の手をつかみ、立ち上がる。一瞬よろけそうになったが、近くの空っぽの棚につかまりなんとか体制を維持する。
一応つけくわえると、よろけたのはやせ細った体が原因というよりも、先ほどの姉のけりが一番の原因である。
「見なさい、一兆金貨よ、一兆金貨。あんたはこの金額をつかみたくはないの!?」
「どうせ俺には十万金貨しか入らないんだろ?」
「あら、年収0に比べたらよほど素敵な数字だと思わない? それに会社のためのお金が増えればあなたもハッピー。そうでしょ?」
アスクは返事の変わりに大きなため息をひとつつく。もちろんソフィーに対して首を横に振ろうが、ため息をつこうがそれは肯定の意味に変わりはない。
今更ながら姉は黒すぎる。そうアスクはつくづく思い知らされた。
「姉さ、社長もよく知ってるでしょ、タングール武装兵団が魔王討伐に失敗したって話は」
「私がそんな常識知らずだと思ってる?」
「だったら魔王討伐なんてやめ――」
「いい、あの大規模討伐戦が行われたのは夏。ちょうどドラゴン狩りが大変な時期よね。そんな時に、各地の主力を軸にした大規模軍隊をつくるなんてまず無理。あのとき召集された多くは新人の武装兵たちね、きっと」
確かに、とアスクは心の中でうなづく。
各地でドラゴン狩りとして活躍する武装兵が召集されれば、契約中の都市や企業からの信頼が大きく失墜することになる。あんな大規模会社ならその信頼は一兆金貨なんて悠に越すかもしれない。
「いい、私がなんの勝算もなく、魔王討伐の依頼なんてうけてきたと思ってる?」
「うん」
「そう、あんたの予想通り、私には勝算があるの」
「は、はあ」
人の話をよく聞かない、それはよくわかっているのでアスクは口を挟まない。
「上司の命令で強引に集められただけの武装兵団に対して、一週間も撃退にかかる魔王ってどうよ。ださださね」
「まず第一に、あの魔王討伐軍が確かに武装兵の新人の集まりだという証拠は? 確かな情報源がないことには、俺としてもつらい」
「私の完璧な脳がそう結論づけた。それ以上の説明がいる?」
はぁ。再びアスクの口から大きなため息がもれる。本当に今日はよくため息がもれる日である。厄日だ。これ以上ため息が出る日が果たして一生涯でるものか、などとアスクは思った。
「そうそう、今日は弟の旅路を祝して、贈り物を用意してるの。受け取りなさい」
ほわーん、と細長い剣が宙を舞う。アスクは少し慌てながらも器用に柄をつかむ。
「普通に危ないから! 運悪かったら腕切れてるからな」
「安心しなさい。そんなくたびれた剣じゃ腕どころか、豆腐も切れないわ。ふふふ、包丁として使えない剣なんておもしろいわね」
どこかおもしろいのか、そもそも剣をそんな扱いするのは姉ぐらいだろう。などとアスクはあきれつつ、剣を見る。
「これはひどい」
思わず口から言葉が漏れ出す。刃こぼれがひどいし、なんかカビみたいなのが生えている。そしてどこかに長年しまってあったのか、少し埃っぽい。
「昨日特売で五金貨で売ってたから買っといたの」
「それで魔王を倒せっていうの!? 低級モンスターにすら鼻で笑われるわ!」
「誰がその剣を使うっていったの。そんなものはただの飾り、本当に大事なのはこっちよ」
そう言いソフィーが、今度は後生大事に鞘をアスクに手渡す。
その鞘はまったく鞘に興味の無いアスクにすら上物に見えるほど、異質の輝きを発していた。何より輝きが強い。
「百万金貨の鞘よ。大事にしなさい」
「ええぇぇぇぇぇぇぇぇ。本体が五で、それの入れ物が百万ってどうみたっておかしいだろ。普通は剣とかの方が高いものじゃないの!?」
「こういうかっこいい鞘の方が、周りから強いって思われるの。そう思われることは大事でしょ?」
的を射抜いているだけに、アスクは思わずたじろぐ。
「それとこれは旅の資金にしなさい。これで生計を立てて、足りない分は旅先で依頼でも受けなさい」
ソフィーが机の引き出しからだした大きな銭袋。アスクがそれをのぞきこむと、そこからはこの世のものとは思えない強い光が視界を襲う。
「な、なんなんだよこれ。こ、こんなにたくさんの金見たことない」
「占めて十万金貨。都心で一年間は間違いなく遊べるわね」
「こ、こんな金どうやって手に入れたんだよ」
「あるていど前払いしてもらえるの。ほら、魔王討伐にはお金がかかるでしょ」
あるていど? その言葉に引っかかりを覚えるアスクだが、今はあまり詮索しないようにしようと、心に決める。
「わかった。俺も腹をくくるよ。でも俺はどうすればいい。そこらへんはちゃんと考えてあるんだろ?」
「当たり前でしょ」
自信満々にソフィーは告げ、
「あんたが旅しながら、有能な武装兵を他社から引き抜いて魔王討伐!」
「…………………………………………………………ふぇ?」
「そうそうこれ一年以内にクリアしないと、受注者のあんたの命はないから。そこんとこよろしくね」
こうして、アスクの魔王討伐の旅は始まった。
残り期限364日。