7-1:銀狼と黒兎
この作品は【Die fantastische Geschichte】シリーズの一つです。設定資料集や【FG 0】と合わせてお楽しみください。
この作品における獣人の外見は獣耳や尻尾や翼など動物の身体的特徴が一部ある以外は普通の人間です。ビーストモードという特殊条件下で所謂「ケモノ」になります。これらの要素が苦手な方は閲覧をお勧めしません。
廃墟と化した村で赤ん坊の泣く声がする。男たちはその声の発生源を囲み、自分たちの頭たる金毛の狼男の言葉に、それぞれ形の全く異なる耳を疑った。
「正気ですかい、ゴルドの旦那。俺たちゃ傭兵っすよ。こんなガキ連れて戦場に行けるわけないっすよ」
犬耳の若者はゴルドと呼ばれた男が抱える赤ん坊を見る。魔物か盗賊にでもやられたのか、男たちが到着した時には小さな村の家々は焼け落ち、あちこちに住人であろう老人から子供まで多くの死体が転がっていた。戦場を渡り歩く傭兵ギルド〈黄金の獣王〉の面々には最早見慣れた光景だったので、母親に守られ唯一生き残っていた銀狼の子供を見つけた時も、普段通り近隣の孤児院にでも連れて行くかと考えていた。
「正気に決まってんだろ。コイツはきっと将来大物になる。俺の子として立派に育ててみせるさ」
「旦那、嫁もいないうちから何言ってんだよ! 子育てなんてやったこともねぇだろ。いつもガキなんて弱くて扱いづれぇって言ってたじゃんか」
「うるせぇな。確かにちょっと力込めただけで死んじまいそうな女子供は苦手だがよ、コイツは別だ。……感じるモンがあんだよ、よく分かんねぇけど」
人間の男の言葉にゴルドは曖昧な確信を返す。この子供には何かがある。今手放してはいけないと勘が告げる。
「とにかく決めたんだ。コイツは俺の子供としてギルドに入れる。文句は言わせねぇぞ」
一度決めたらなかなか曲げないゴルドの決定に、男たちは顔を見合わせる。少しの沈黙の後彼らの中から一人、翼の生えた男が進み出る。
「旦那が決めたんならしょうがない、あっしは着いて行きやすよ。子育ても面倒を見てくれそうな女将のいる宿屋を選べばなんとかなるでしょ」
男の言葉に他の面々も頷く。ある者はまだ不安げに、ある者は呆れながら、ある者は確信を持って。その様子にゴルドは顔を輝かせ、多くの者を惹きつけてきた笑みを浮かべる。腕の中の子供はいつの間にかすやすやと寝息を立てていた。
「よし、それじゃあとっとと行くぞ! おっとそうだ、名前が無いと不便だよな…………俺の子供だし、銀髪だから『シルバ』だな。『シルバ・ウルフ』! うん格好いいぞ!」
「旦那、安直すぎます!」
ガハハハ、と豪快に笑いながら男たちは進む。今夜は新たな仲間を祝して宴会だ。
これは昔の話。記憶にすらない遠い昔にあった、彼と「家族」との出会いの話。
【Die fantastische Geschichte 7】
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【7-1:銀狼と黒兎】
目の前に広がるのは長閑で平和なごく普通の田舎の村。村の真ん中を流れる川でゆっくりと水車が回り、女たちが洗濯しているのが見える。森のそばの原っぱでは子供たちが元気に駆け回り、村の通りに目を向ければ店先で店主が何やら声を張り上げている。
「どう見ても普通の村だな……すぐそばの遺跡のことを知ってるのかすら怪しいぜ」
平原から続く小高い丘の上から村を見下ろす少年――シルバは持っていた地図を畳むと溜息混じりに呟く。硬めの銀髪や同じ色の狼の耳を撫でる風はどこまでも穏やかで、それがどこかむず痒い。村とは明らかに異質な空気を纏った獣人の少年は居心地の悪さを覚悟しつつ村へと向かった。
村に着いて真っ先に宿を探す。適当にその辺を歩いていた村人に尋ねると、慣れた様子で酒場兼宿屋のある場所を教えてくれた。シルバが酒場の扉を開くと、カランコロンとやけに可愛らしい音を立ててドアベルが鳴る。その音につられて顔を向けた店内の人々の反応は実に様々だった。見慣れない姿にまたかという顔をして興味を失くしたのはおそらくこの村の住人だ。しかしシルバの容姿に何かを悟って警戒の目を向けているのは、のんびりとした村には場違いな武器を携え体のあちこちに傷跡のある屈強な男たち。間違いなくシルバの同業者――賞金稼ぎだ。
「(おい、あの獣人……)」
「(間違いねぇ、〈業炎の銀狼〉だ)」
「(奴も遺跡のお宝狙いか? 被るなんてツイてねぇ……)」
「(しっ、目ぇ合わせんな。厄介事は御免だ)」
賞金稼ぎ達はこそこそと話しながらシルバをちらちらと見遣る。誰が言い出したのかは分からないが、シルバの二つ名である〈業炎の銀狼〉はその道で知らぬ者はいないほど、物騒な噂と共に広まっている。事実もあるが、大抵は尾ひれが着いて原型を留めていない噂を信じてビビっている者など彼の敵ではない。彼は視線を無視してカウンターの奥にいる老人に話しかけた。
「宿を借りてぇんだけど、ここでいいのか?」
「ええ、今日は二階の部屋が一つ空いてるのでそこで良ければ。一泊100G。うちは一泊毎の料金前払いなんでそこだけお願いします」
安い代わりに踏み倒されないようちゃんと考えているらしい。金と引き換えに鍵を渡す時も、明日の朝返却してから出掛けるようにと釘を刺された。いちいち部屋を取り直すのは面倒だが、そこまで長期滞在するつもりも無いのでシルバは大人しく従うことにする。
そのまま情報収集がてら店主に話を聞くため飲み物を注文するが、確実に起こるだろう騒ぎに内心溜息をつきながら頼んだものは、アルコールの一切入っていないごく普通のジュース。シルバはバウンティーハンターという仕事柄、体が資本なので飲酒は極力控えているのだが、まだ16歳ということもあり、このような酒場でノンアルコールを頼むと決まって同じような絡み方をしてくる輩がいる。
「なんだ飲まねぇのか? 〈業炎の銀狼〉さんよ。酒場は酒を飲む場所だぜ。あんたみてぇなガキが来ていい所じゃないな」
下品な笑い声を上げて店の片隅のテーブルで男たちが騒ぐ。村人たちは触らぬなんとやらで無視を決め込み、シルバに委縮していた集団はハラハラと見守っている。当のシルバはというと素知らぬ顔で出されたジュースを飲んでいた。
「お、美味いなこれ」
「そうでしょう。なにせうちの村で採れた新鮮な果物から作られてますから」
「っておいゴルァ! 何無視してんだよぁあ゛!?」
店主と呑気な会話を交わすシルバに気の短い男たちが怒鳴る。心底面倒くさそうな顔をしてシルバが振り向いてやると、豚の獣人が椅子を倒して近付いて来たところだった。
「澄ましたカオしやがって、ガキが偉そうに……! ちょっとばかし有名だからって調子に乗ってんじゃねぇぞガキ!」
豚の獣人は言葉と共に右ストレートを顔面目掛けて放つ。でっぷりと太ってはいるが脂肪だけでなく筋肉もあるようで、風を切る音は重くまともに喰らえば骨が折れそうだ。だがシルバは表情そのままに軽く拳を避けると、左手で伸ばされた腕を掴む。二人の体格差はかなりあるにも関わらず、豚の獣人の右腕は完全に動きを封じられたあげく、火を纏った左手に焼かれていた。焦げ臭い匂いと豚の獣人の悲鳴に店内が騒然とする。
「ぎっ、ぎゃああぁあぁあ! 腕が、火が!」
「そんぐらいの火傷でオトナがギャーギャー騒ぐなよみっともねぇ。丸焼きにされなかっただけ感謝しろ」
掌大の火傷を負った右腕を抑え転げ回る豚の獣人を放ってシルバはカウンターへと向き直す。氷が溶けて少し味が薄くなってしまったジュースを店主は作り直してくれていた。目の前で乱闘騒ぎが起こっていたというのに随分と肝が据わっている。
「覚えてやがれクソガキ……!」
「ああ覚えておいてやるよ。『ロースト・ポーク』さん」
仲間に抱えられた豚の獣人は、恨みがましい目をシルバへ向けながらありきたりな捨て台詞を残して店を出る。本当の名前など知らないし、いきなり喧嘩をふっかけてくる奴など適当な名前で充分だ。シルバは子供扱いを軽く受け流せるほどには成長していなかった。何度もガキ呼ばわりされてむすっとした表情を隠せない辺りは、まだ歳相応の子供なのだろう。
「いやあお兄さん人気者ですね」
笑顔で作り直したジュースを差し出して来る店主。この場で一番の大物に違いない。
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酒場の店主によると、シルバの目的地である遺跡は村のすぐそばに広がる森の奥にあるらしい。それまでは何かの建物だったのだろうということが辛うじて分かる程度だったものの、少し前に大雨の影響で傍の崖が崩れて今まで見えなかった遺跡の一部が露出し、地面の下に巨大な建物がほぼそのまま残っていることが判明した。考古学者を始め様々な人々が発掘キャンプを設けて調査した結果、古代文明における重要な神殿だという結論に至り、世界中が注目するようになった。その古代文明というのが、現在よりも遥かに発達した魔動機関を操り莫大な富を持っていたとされ、各地の遺跡で見つかる発掘品の中には、金銀財宝を始め仕組みの解明出来ない道具が数多くある。重要施設の跡となれば絶対に何か残されているだろうと、今までにも多くのバウンティーハンターが訪れているそうだ。しかしまだお宝が見つかったという情報は無い。どうやら多くの魔物や侵入者排除の仕掛けのせいで奥へ進めず、宝探しや調査などとてもではないが出来ない状態なのだ。
シルバはそんな話を聞いても諦めるつもりは全く無かった。とりあえず今日は下見に行こうと森の奥を目指す。人里が近いだけあって魔物も少ないどころか全く見ないまま順調に進んでいると、人間よりも優れた五感に引っかかるものがあった。
魔物の匂いと子供の悲鳴。一気に表情を険しくしたシルバは、そこを目指して森を駆け抜ける。開けた空間に目的のものはいた。巨大な植物のような魔物と、その蔓に捕えられた兎の獣人。
「このっ、放せってば! 僕なんか食べても美味しくないよ! うわわ!」
背中に鞘のような物を背負った黒髪の兎の子供は、じたばたともがいているが逃れることが出来ないようだ。体に巻きついた蔓が振り回されるたびに悲鳴を上げている。
「おい、聞こえたらその口閉じて大人しくしろ! 舌噛むぞ!」
シルバはそう言うやいなや銃をホルスターから引き抜き構える。近づく影に気づいた魔物が蔓を鞭のようにしならせ攻撃してくるが、それを全て掻い潜ると一気に跳躍し魔物の真上を取る。狙うは花弁の真ん中にあるこの魔物の心臓部。
「〈焼き尽くせ〉!」
短い詠唱と共に発砲する。狙い違わず花弁の中心に当たった弾は、通常の銃弾ではありえない爆発とともに魔物を炎に包む。断末魔の悲鳴を上げ燃え上がる魔物は滅茶苦茶に蔓を振り回すと、捕えていた子供を放し動かなくなった。もう一度跳んだシルバは宙に放り出された子供を抱えて危なげなく着地する。魔物が完全に灰になったことを確認してから、小脇に抱えた子供の様子を見た。
「……ううう、天国のお父さんお母さん。今から僕もそっちに行くからね……」
「おい」
「でもなんで痛くないんだろ。死ぬ時は痛くないって本当だったのかな」
「おい」
「誰かの声もするし……ってあれ、僕抱えられてる?」
「おい! 本当にあの世行きにするぞゴルァ!」
「うわぁ! ごめんなさい!」
ドサリと地面に落とされた子供は長い耳を押さえて縮こまったが、すぐに勢いよく顔を上げシルバに抱きつく。
「良かったぁ、僕生きてる! 助けてくれてありがとう!」
「なっ、は、放せこのガキ! 引っ付くな!」
「あ、ごめん」
ぱっと体を離すと黒兎の子供はきらきらとした目をシルバに向ける。シルバはその視線にたじろいで少し引き気味の体勢になってしまう。子供は苦手なのだ。特にこの全く敵意の無い態度で真っ直ぐにぶつかってこられると、どうして良いのか分からなくなる。
「君凄いね、強いね! あんな大きな魔物を一発でやっつけるなんて。見かけない顔だけど、もしかしてバウンティーハンターの人?」
「まあな。……ガキは日が暮れる前にとっとと家に帰れ。魔物もいねぇし一人でも――」
「待って、この先の遺跡に行くなら僕も連れてってよ。僕も用事があるんだ」
よく喋る子供だと思いながら――自分もまだ子供だが――先を急ごうと踵を返した矢先に、思いも寄らないことを頼まれる。ついさっき魔物に殺されかけたというのに危険な遺跡へ向かおうとするとは何を考えているのか。
「冗談じゃねぇ。あの程度の魔物に手こずるガキを連れてって何になるってんだ。大人しく帰れ」
「やだ。どうしても行かなきゃいけないんだよ! それにさっきのはちょっと油断してただけで、本当は僕だって剣で戦えるんだから」
そう言って少し離れた所に転がっていた剣を拾って来る。背負っていた鞘はその剣の物だった。確かに一振りしてから鞘へ仕舞う動作は慣れた様子だが、シルバはそれだけで許可する気にはなれない。
「魔物に囲まれても君と一緒なら大丈夫だろうし、よく探検してるから中の構造詳しいし、たぶん誰も知らない入口も知ってるよ! だから――」
「駄目なモンは駄目だ。情報だけ寄越して帰れ」
「ケチ! ……宿代少なくして貰えるように交渉してあげようと思ったのに」
頑として了承しないシルバだったが黒兎が拗ねたように告げた言葉にぴくりと耳を動かす。それを黒兎は見逃さなかった。畳みかけるように言葉を重ねる。
「どうせ一階が酒場の宿屋に泊ってるんでしょ? あそこ僕の家だから、命の恩人だって言ったら安くしてくれると思うんだけどなー」
「……おい、お前どの程度戦える」
シルバには悲しいことに少々金にがめつい所があった。飲酒をしないのも健康第一というだけでなくジュースの方が安いという理由があったり、大きい街に行けば一番安い宿屋を探したり、食費を浮かせるために台所を借りられるなら自炊するほどだ。その道では恐れられているシルバだが、まだ子供の部類であるために金払いのいい依頼はなかなか来ない。稼ぎといえば小さな依頼をこなしながらトレジャーハントで偶にまとまった金が入るぐらいで、いくら一人旅でも減るものは減るし、その日暮らしは避けたいので節約できる所は削って、金を貯めたいというのが正直な所。黒兎の子供はシルバの弱い部分を運よく突いたというわけだ。
「雑魚ぐらいなら平気だよ。この前も神殿で色々出くわしたけど全部やっつけたし」
シルバの言葉に勝利を確信した黒兎は自慢げに答える。背中の剣は飾りではないのだ。伊達に魔物の巣窟である神殿を遊び場にしていない。
「なら自分の身は自分で守れるな。……どうしてもってんなら着いて来てもいい。ただし今日は下見だけだから入口までだ」
「やった! じゃあ明日も着いてっていいんだよね。秘密の入り口も教えるから」
「その代わりちゃんと交渉しろよ」
嬉しそうに飛び跳ねている黒兎へとシルバは念を押す。なぜ子供のお守をバウンティーハンターたる自分がしなければならないのかと思いつつ、これも宿代のためと言い聞かせて無理矢理納得する。
「あ、そういえば名前聞いてなかった。僕はノア・ラビットっていうんだけど、君は?」
「シルバ・ウルフ」
「じゃあこれから相棒だからよろしく、シルバ!」
手を取ったかと思うと音がする勢いで握った手を振り回す。ノアの無邪気な笑顔に対してシルバは苦虫を噛み潰したような渋い顔をしていた。
(この坊主……本当に大丈夫なのか?)
選択を誤ったかもしれないと思いながらもしばらくの辛抱だと過去は振り返らないことに決めた。
後にその選択は誤りではなかったのだと銀狼は確信する。ほんの少しの間だと思われた「相棒」と共に世界中を巡ることになるとは、まだこの時は思いもしなかった。
【Die fantastische Geschichte 7-1 Ende】




