アスピア
ここは大国アスピア。
大きな城下町は活気があり、人々は陽気そのもの。沢山の物資が溢れ、貧富の差など無いに等しい。
それもこれも、この国を治める賢王の手腕の賜物と言えよう。前王を打倒し、王太子時代から民を大切に想い、貧富の差を減らそうと尽力してきた賢王アルベールが即位してからは平和であり、開けた国として諸外国からの評判もそこそこだ。月女神リーシアを信仰し、信心深い者が多い。しかしながらこの平穏そのものの国にも悪さを働こうとする不届き者はいるため、屈強な軍人や自警団員が多く、彼らによって支えられている。アスピアの軍は贔屓目に見ても優秀であると言えよう。
少女、アリアもそのアスピアで暮らしている。
漆黒の艶やかな長い髪は結われることもなくサラサラと風に揺れ、それに相反する肌の白さは雪のよう。大きな二つの瞳は穢れを知らず、ハチミツのような琥珀色、その間を整った鼻筋が通る。唇はほんのり色付き上品で、頬はバラのように淡いピンク。背はやや小さめで体は折れてしまいそうな程華奢。
まさにビスクドール。
彼女が歩けば、皆が振り返り温かい笑みを零す。
……―はずだった。
「こらっ!待ちなさいよっ!大人しく観念なさいっ!」
ビスクドールと見間違う程の容姿にそぐわない言動に周囲は慣れていた。
「…観念なさい、この悪党。」
自分よりも背の高い男を後ろから飛び着くように蹴り飛ばし、足下に敷く。およそ小さな虫すら殺せないような可憐さからは想像できない程のお転婆ぶりだった。
「わっわかった!俺が悪かった!出来心なんだっ…許してくれぇっ。」
顔を引きつらせ男は少女に助けを請う。
「あんたの言葉は信用ならない!」
男を足蹴にして少女は睨む。
「だいたいあんたねぇ…」
「アリア、もうよしなさい。」
まさに鶴の一声。
情けなく顔を地面に擦り付ける男とその背を踏み付けて見下ろす少女が、たちまち緊張しながら悪びれた様子で瞬時に横に並んだ。周囲はクスクスと笑いながら、ある者はまたいつものかと笑い、ある者は今日はえらく早い終わりだなと豪快に笑って歩き出す。周囲の動きにとり残された2人は互いに顔を見合わせて罰悪そうに声の主を見やる。そこに佇む壮年の男こそ、大国アスピアが他国に誇る鉄壁の軍部最強にして最高の司令官と称される男。
ルダウス・ド・シュトレウス
……黙っていればビスクドールと称される少女、アリアの父であった。