8 二段ベッド
「おはよう」
アーネットさんに休日はない。今日も朝からコトコトとスープを作っている。
「おはようございます」
少し前に物売りが来て、この村にもようやく王妃の訃報が伝えられた。
アーネットさんは酒場の入り口に黒い布を巻いた。他の店も同じようにしていたから、それがこの村にとっての悲しみの表し方なのかなと思ったが、あまりつっ込んだことを聞いてはこちらの身が危うい。
「医者が一人辞めさせられたそうだが、昔なら打首だ」
物売りの発言にいちいちびくついた。
「そうかい」
アーネットさんは聞き耳を立てている俺にはその話を振らなかった。王宮の医師だから知り合いだろうかと聞いてもおかしくないのに。
物売りが帰るまでずっと息を潜めた。その後も、アーネットさんは何も言わず、黒い布も一種間ほどでしまった。
別の物売りが来たときもその話はせず、
「あんたの仕事には布とか必要だろうから」
と機転を利かせて買っておいてくれた。清潔な布は何にでも使える。傷を覆ったり、腕をつったり。
「ジェイド、自分の仕事が終わってからでいいから皿洗いを頼むよ」
「はい」
アーネットさんは朝からパワフル。朝食を作り、客に提供する。宿と食事処の清算、客室の掃除、ごはんの仕込みに買い出し。天気のいい日に川で洗濯。今までどうやって一人でこなしていたのだろう。
しかも、店を閉めた夜に幼子を集め、食事を与えているのを見てしまった。
キャリリア村は、以前は魔界とつながる唯一の村だったが、勇者一行はもうひとつの門を作り、そちらの村のほうが繁栄しているらしい。ゲートの通行料がこちらより高いので、金のない奴しかここへは訪れない。
実際、兵士としてよりも魔界では宝石が落ちていたりモンスターを倒せば金貨や武器を奪えるから、それで生計を立てている者も少なくないと聞く。
ハイネンは無事だろうか。
「ジェイド、二段ベットの試作品ができたよ」
ウィルに言われて見に行った。
「あいててて」
ウィルのおじいさんがわざとらしく声を上げるので、無料で魔法治療を施してあげる。
「広すぎず狭すぎないベッドでいいですね」
横になってみた。大男には狭いだろか。
上の段には頼りないはしごでのぼるから大男では無理だ。
「こことここが分解できるからいつでも運べるぞ」
じいさん、天才なのではないだろうか。
「じゃあお願いします」
「これから?」
ウィルが嫌そうな顔をする。のんびり屋というより働きたくないというのが顔に出ている。
「雨が降りそうなので、そういう日は向こうから来る人多いんですよ。お願いします」
俺は頭を下げた。
「もうこっちに慣れたな」
とじいさんに言われた。
「そうでしょうか?」
「俺とお前だけでは無理だ。人手が多いほうが早く終わる。そこらへんの野郎を金で釣って来るから待っていてくれ」
ウィルは本当に怪我が治りつつある宿の泊り客に声をかけ、ベッドを運んだ。三人いれば充分だった。
彼らは組み立てまでやってくれた。
「おお」
雇った奴らまでベッドを見上げて感嘆の声をあげる。
「ありがとうよ。みんな、飯を奢る。下においで」
アーネットさんもベッド数が増えたことが嬉しいようだった。
耳がいいわけでもないのに、カウンターで話すアーネットさんとウィルのじいさんの会話が聞こえてきた。
「いい奴じゃないか。跡取り、ジェイドにしたら?」
俺の話だった。
「あの子は医者だ」
「でも、だからこそ向こうへは行かないだろうよ」
アーネットさんは返事をしなかった。その代わり、じいさんの好きな酒を一杯出した。
「ウィルは家具や楽しい?」
飯をかき込む彼に聞いてみた。
「小さな村だが仕事はあるし」
ここには娯楽がない。だが、それを知らなければ求めないのかもしれない。
「ウィルのご両親は?」
「知らない。じいさんもたぶん本当のじいさんじゃない。でも、ここでの生活は悪くない」
そう言い切れるってことは辛い過去があるのかもしれない。
「ジェイド、トムに弁当を持って行っておくれ」
アーネットさんから声がかかる。
「はーい」
トムじいさんはアーネットさんの店の向かいの魔界へとつながる門の脇で門番をしている。通行料まで取っているのだから掘っ立て小屋を直したらいいのにそのままだ。昼はアーネットの弁当で、夜もたまには飲みに来るそうだが、たいていは家で眠っているらしい。
「トムじいさん、お弁当だよ」
「ジェイド、ありがとう」
弁当と言っても週の半分はサンドイッチだ。残りはシチューだったり、焼いた肉だったり。
「店に食べに来たらいいのに」
「昼にも人は来るからな」
「トムじいさんも金を貯めてもここでは使いようがないだろう?」
「そうだな」
アーネットさんも贅沢をしていないことは一緒に暮らしているからわかる。
「この村の人はケチなのか?」
仕事が好きでお金が貯まっても使いようがない。
「普通じゃよ、普通」
とトムじいさんは答えた。




