5 キャリリア村
老婆の部屋だけは鉄の扉だった。
鍵を開け、ハイネンと中へ入る。
ランプがいつくかついていた。ソファにも毛布が置いてある。
その毛布をひとついただき、俺はラグの上に横になった。
「ハイネンがソファを使ってくれ。あっちに行ったらソファで眠ることもないだろうから」
強がりではない。本心だった。
「いいのか? 朝まで王宮にいた奴が床で眠れるか?」
ハイネンは夜でも声がでかい。
「木の根っこで寝ようとしていただろ?」
騎士時代に野営をしたこともあると言おうとしたが、そんなのはもう10年近く昔のことだ。
「ああ、そうだった。焚き火もしないで。あれじゃ、自殺行為だぜ。では遠慮なく」
ハイネンはソファに横になると途端に呼吸が安定した。すぐ眠れる兵士は優秀だと聞いたことがある。
おかげでいろいろと聞きそびれてしまった。
明日の朝でもいいか。
「おや、寝つけないかい?」
下から上がってきた老婆はランプをひとつ消してくれた。
おばあさんなのに後片付けをして、毎日この時間まで働いているのだろうか。
「あの、この村で診療所を開きたいのですが」
俺は言った。これからここで人生をやり直したい。
「診療所?」
「はい。勇者の後方援護で兵士や討伐隊の人間が魔界へ行ってると聞いています。ケガをした人間を救いたい。瘴気で苦しむ人を助けたい。あいている店舗はありませんか?」
「じゃあ、ここでしたらいい。店の前にテントを建てて診療所にして、宿の部屋をひとつ貸してやるさね。宿賃はもらうが、暇なときはうちを手伝ってくれりゃ、飯はタダにしてやる。男手が必要なときも少なくないから」
老婆はアーネットと名乗った。
「ジェイドです。ありがとう、アーネットさん」
「あんたには気品を感じる。いいうちの人間の気配がだだ洩れだ。たくさん人を見ているからわかるよ。こんなところに来たってことは訳ありなのだろう。でも明日からはこの店の人間だ。おやすみ、ジェイド」
「おやすみなさい」
老婆に見えるが悪い人ではなさそうだ。
そう思ったことを翌朝後悔した。
「ジェイド、テーブルを片づけて」
「掃除は上からするものだ」
「ジェイド、これを運んで」
「はい、ただいま」
これでは給仕係だ。
しかも昨晩、処置をした人がまだ床で寝ている。彼らを食堂の隅に集めて、動ける人間に朝食を提供する。
「俺が運ぶよ」
ハイネンは朝からよく働く。皿を重ね、素早く洗う。アーネットさんが声をかける前に料理を運ぶ。アーネットさんもきっと俺よりもハイネンのほうが使いやすいと思っていることだろう。
ひと段落をしてようやく俺たちは朝食にありつけた。
「あんな傷ついた人を見ても討伐隊に入りたい?」
ずっと聞きたかった質問をハイネンにようやく伝えた。
昨晩、ここで幾人の人の血を洗い流したことだろう。門の向こうの魔界はもっとひどいはずだ。
「誰かはしなくちゃならないことだ。今も勇者様たちは戦っている」
とハイネンは答えた。
「勇者一行が早く魔王を倒してくれるといいのだが」
迂闊にそんなことを簡単に言葉にしてはいけないと気づいたのは、兵士たちの視線がこちらを向いたから。
魔界への第一門がここキャリリア村にできてから数十年、他の門が新たにできたことしか聞かない。
「じゃあ俺は行くよ」
とハイネンが立ち上がる。
「向かいの右の店が武器屋だよ。あまりいい商品はないだろうが」
アーネットさんが教えてくれる。
「武器ならこれでいい」
ハイネンの腰にはサーベルのみ。
「もうちょっと大きな剣があったほうがいいさね。盾だって必要だろう」
アーネットさんも助言したけれど、
「これもあるし」
とハイネンは胸に隠した銃を見せた。
「モンスターに効くのか?」
人との戦いには有効だろうが。
「アーネット、こいつのこと頼むわ」
「昼だけでも食べてからにしたら?」
「いいや。アーネットの飯は里心がついちまう」
そう言ってハイネンは兵士たちと徒党を組み、魔界との境の門から向こうへ行っちまった。
怖くはないのだろうか。命が惜しくはないのだろうか。聞けなかった。




