18 てんやわんや
アーネットが洗濯を干している途中で倒れてしまった。
「ジェイド、お前さん医者だろ? 治してくれ」
とトムじいさんは言うけれど、これは無理だ。
アーネットが倒れたからって宿には客がいる。事情を話し、ごはんは簡単なものしか作れないことを伝える。
「食えりゃいいさ」
という客ばかりで助かる。
パンにチーズをのせて焼いたり、アーネットのシチューが残っていたのでそれをかさ増しして誤魔化す。
宿の仕事は多岐に渡る。客を見送ったら、客室の清掃、新しいシーツに交換。それをエリックがやるよと手をあげてくれた。一人では食事を出すだけで精一杯。
「いや、ジェイドは診療を優先しろよ。そっちは俺が手伝うから」
とウィルも言ってくれた。
「ありがとう。助かるよ」
「その代わり、頼まれていたイスとテーブルの納品が遅れるけど」
しょうがないことだ。
アーネットは二階の自室で横になっている。医者としての見立てでは、もって一日。寿命だ。魔法でどうにかなるものではない。
呼吸の深さでわかるのだ。
「なんとかならないのかよ。魔法治療とか、手術とかできないのか?」
心配してパンを持ってきてくれたボルトが聞く。
「脳だからな」
「脳?」
「人のあれこれを司るところだ」
体が元気でも脳をやられたら助からない。もちろん逆の場合もある。
「当たり前に生きているようだけど違うんだな」
ボルトにとってアーネットはずっと近所の口うるさいおばあさん。
「ずっと生きている人間はいないから」
俺は言った。
「そうだけど。母ちゃんのときも父ちゃんの葬式のときも全部アーネットが段取りしてくれた」
「そう」
この辺りの風習はどうなっているのだろうか。そう言えば、この村でお墓を見ていない。
アーネット、あなたがいなくなったら困るよ。でも宿は続けたい。ここがなくなったら、いよいよ村がなくなる。
どこかの金持ちや国がここをきちんと管理してくれたらいいのだ。どうでもいいから手が回らないふりをして見限ったに違いない。
プラスに転じる要素はたくさんありそうなものだが。
「ジェイド、部屋の掃除終わった」
エリックは教えたことはきちんとやる。多少サボり癖はあるものの、宿の中のことよりも畑作業が好きらしい。
聞けば親戚の家の手伝いで豆などを作っていたそうだ。
「家族総出で働いてもずっと貧しかった」
と悲しそうに口にした。
「裏の畑を使って好きな野菜を作りな。そんで、それを使って料理にすればいい」
俺は言った。
「料理? できないよ」
エリックが料理をしてくれたら助かるのだが。
「村のみんな料理はどうしてるの?」
ウィルに聞いてみた。
「うちで作ったり、ここに来たり」
「そうだよね」
アーネットは仲良くするつもりはなくても両替屋のジムも酒場に飯を食いに来ていた。トムじいさんには料理を運んでいたし、余った日には孤児たちに施しも。
手が行き届かない。だからって雇う人もいやしない。
みなしごを教育してもいいが、あいつらはいつも集団で行動する。すばしっこいけれど、ここでスリを働いても守ってくれる大人はいないからパンをかっぱらったり、門の向こうに行くソルジャーから金目の物をもらって質屋に持って行って金を稼いでたまにはパンを買っている。
エリックだって金が無かったりもっと幼かったらあの一団に入っているのかもしれない。
全てが運だとは思わない。
貴族に生まれてもここでこうしている自分もいる。
心配なのでちょくちょくアーネットを見に行った。
「一人でどうやって仕事をしていたの?」
と聞いてしまう。
返答はない。てんやわんやで逃げ出したい。
こうなったときのために日記でもレシピでも残しておいてくれよ。
「アーネットのシチューは人気があるんだ。みんなが楽しみにしてる」
隠し味を聞いておけばよかった。魔界から帰って来てたソルジャーたちに振る舞うごちそうがない。
目をつぶって眠っているように見えるが、きっと死んでしまったほうが本人は楽なのだ。生きていてほしいのはこっち側のただのエゴ。
「それでも俺はここに来て、あなたに拾ってもらって本当によかったよ」
毎日が楽しかったし、王宮にいたときよりも充実していた。何よりも窮屈じゃなかったのはアーネットが過去を詮索することが一度もなかったからかもしれない。
「王宮を追い出されたのは王妃様がなくなったせいなんだ。違う村に行ったら不敬罪で殺されていたかもしれない」
気づいていて聞かなかった? どうなんだい、アーネット。
言葉にして聞いても心の中で尋ねてもやっぱり返答はない。




