88.迷霧のマリアルザ①
「あら……こんなにも早く戻って来るとは思いませんでしたわ。まぁお一人なのは残念ですが」
数十分後、マキナは再び採掘拠点を訪れていた。既に敵の領域の中。程なくして、空間が歪むようにマリアルザはマキナの前に姿を現した。
「当然です。貴方をこのまま逃すわけには行きませんから」
上位魔族であるマリアルザに微塵も臆することなく、マキナは彼女に真っ直ぐな、射抜くような強い瞳で返す。
「……あら? あらあらあら」
マリアルザは、マキナが先程まで身に付けていた兜を着けず素顔である事に気がつくと、芝居がかった手つきで顔の前で手を合わせて、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「まぁまぁ、驚きましたわ。私達を散々苦しめ屠ってきた『英雄』様、その仮面の下がこんなにも可愛らしいお嬢さんだったなんて」
大抵の人間は、素顔を見た途端に『人類の希望』という偶像とのギャップに戸惑いや失望の色を浮かべる。
魔族の嘲笑も同じだ。
だからこそ、彼女は誰からも『英雄』として見られるよう、分厚い鉄の兜で自分の弱さを隠し続けてきた。
「(なんでだろ……兜を着けてないのに、今はちっとも気が重く無いや。ヘーニオさんのお陰かな)」
マキナは自覚してないが、グラップやその兵士達、ガイル、シェリー、シモン、ミアリー、そしてヘーニオと、素顔を見せるたびにマキナが自らに課した『英雄』の呪縛は少しずつ剥がれていた。
それが今後どう転ぶかは分からない。
しかし今の彼女の足取りに、これまでの息苦しさは微塵もない。
被らなければならないという強迫観念が解けたことで、今のマキナの視界はどこまでもクリアに澄み渡り、練度の闘気だけがその身を包んでいた。
「『クイントスクーロ』、迷霧のマリアルザ。『英雄』マキナの名の下に、この場で討伐します!!」
マキナが力強くそう口にすると、マリアルザはこれまでの余裕ぶったものとは違う、獲物を嬲るような劣悪な笑みを浮かべた。
マキナの意識が一瞬その笑みに向けられた、まさにその瞬間、マリアルザの姿がふっと空気に溶けるように消える。
「(魔力感知!!)」
対してマキナは、ヘーニオのアドバイスで進化した魔力感知の波を即座に展開。
今回は前回のように広範囲に広げるのではなく、更に範囲を圧縮し、自身の半径五メートル内に留めた。
この五メートルという空間は、マキナが素の感覚で敵の殺気や気配を感知できる間合いであり、同時にどんな不意打ちにも反応して対処できる距離でもある。
そこに魔力感知の網を加えることで、僅かな魔力の機微も決して逃さないよう、直感で定めた彼女なりの『対策』であった。
「……そこ!!」
姿形は見えない。
しかしマキナは研ぎ澄まされた直感と五感に従って、何もない虚空に向かって鋭い蹴りを突き出した。
その蹴りは空気を切り裂き、凄まじい風圧で一帯の岩肌を揺らすほどの威力。
やがてその足の先の空間から、幻が解けるようにしてマリアルザが姿を現した。
「……やりますわね」
蹴りはマリアルザの顔面の数センチ手前でピタリと止まり、直撃はしていない。
彼女もまた、マキナの攻撃が的確に自分の急所へ迫っていることを感じ取り、間一髪で接近を止めたのだ。
「驚きましたわ。まさかこんなにもハッキリと、私の居場所を突き止められるだなんて」
驚いたと口にしながらも、その口元には依然として余裕の笑みを浮かべたままであり、致命傷になりかねない蹴りが目前に迫りながらも、まるで意に介していないようであった。
マリアルザがゆっくりと空を滑るように距離を取ると、マキナも上げていた足をゆっくりと地面に下す。
「……さっき、ヘーニオさんに剣を突き立てた時、貴方は背後に姿を現しました。そして私が反撃を仕掛けたら、貴方は全く離れた場所に立っていた」
マキナがどのような回答をするのか興味があるのだろう。
マリアルザは口を挟むことなく、扇子で口元を隠して黙っている。
「最初は目に見えないほどの超高速で移動したんだと思いました。でも、あの時からずっと違和感があった。目の前に実体として見えているのに、そこにいないかのような不自然な希薄感」
死地で培った本能が最初に感じ取った違和感。それを忘れることなくマキナは心に留めていた。
そして、それが直感を経て、確かな知性で答えを導き出す。
「貴方はその場にいなかった。姿を映し出しただけの幻影と、剣だけを実体化させて操り……貴方自身は初めから、あの岩の上に立っていて一歩も動いてなかったんですよね」
僅かな沈黙。
やがてマリアルザは笑みを深め、パチパチと乾いた音を立てて手を叩き始めた。
「素晴らしい観察眼ですわ。いえ、野生の直感力というべきでしょうか」
マキナは相手の反応に気を取られず、ただマリアルザの纏う空気の揺らぎに全意識を向ける。
少しでも気を抜けば、目の前に立つ彼女の実体を容易に見失いかねないからだ。
「ご明察の通り、あの攻撃は私の姿を模しただけのただの幻。剣は遠隔で魔力を固めただけのものです。たった一回の短い攻防で良くぞ見抜かれましたね」
まるで大人が幼い子を褒めるような、しかし本心ではなく上っ面だけの薄気味悪い言葉を並べられ、マキナの心がザワリとざわつく。
「『クイントスクーロ』。どれだけの化け物かと思ったら、蓋を開ければこの程度なんですね」
マキナとしては、相手のペースを乱すべく煽り返したつもりだった。
しかしマリアルザは一瞬鋭く目を細めただけで、またすぐに薄っぺらい笑みを浮かべる。
「流石は人類の『英雄』様! 怖いですね〜、恐ろしいですね〜」
微塵もそう感じさせない軽い口調に、マキナは再び心をざわつかせた。
しかし次の瞬間、彼女は否応なしに一気に冷静さを取り戻すことになる。
「とぉっても恐いので……私の本気の魔法をお見せしましょう」
瞬間、マリアルザの全身から、これまでとは比にならないほどの濃密で冷たい殺気が放たれ、マキナは咄嗟に腰を落として臨戦態勢の姿勢を取った。
だがさっきの急襲に反して、マリアルザから直接的な攻撃は放たれない。
代わりに、どこからともなく這い寄るように、視界を覆い尽くす濃い霧が立ち込めはじめた。
「(これは……これが、マリアルザの異名にもなってる『霧』!!)」
不気味な冷たさを持つ霧はあっという間に一帯を飲み込み、マキナの視界をほんの数秒で完全に白く染め上げていった。
「(霧が濃い……!! これじゃ一メートル先も何も見えない!! 魔力感知と気配に集中しないと……)」
自身の心音すら邪魔だとばかりに押さえ込み、半径五メートルの空間に残る僅かな魔力の機微に全神経を集中させた直後、真っ白な視界の奥で、小さく何かがチカッと発光した。
その僅かな気配の揺らぎと本能に従って、咄嗟に顔を逸らして回避行動を取る。
次の瞬間、空気を裂く鋭い音と共に、逸らした顔の頬の部分を見えない刃が掠め、切れた皮膚から一筋の赤い血が流れた。
「(物理攻撃!? マリアルザの魔法は幻を見せる幻惑魔法じゃないの!? いや、もしかしてもう術中に落ちている!?)」
耳の奥でドクンドクンと響くほどの強く早い動悸と、白以外なにも見えない、完全に閉ざされた空間が、じわじわとマキナの精神を締め上げていく。
並の者であれば、見えない刃への恐怖と逃げ場のない圧迫感に呼吸を乱し、ただ無闇に武器を振り回して自滅していたはずだ。
しかし、ここに居るのは数多の死線を潜り抜けてきた『英雄』マキナ。
大きく深く息を吸い込むことで強制的に心を落ち着かせ、荒ぶる動悸を鎮めていく。
「(焦るな、冷静さを失っちゃダメだ。さっきヘーニオさんに実体の剣で傷を負わせてた段階で、遠隔での物理攻撃の手段は有してることは分かってたはず。落ち着け、落ち着け……)」
僅かに揺らいだ魔力の波も鎮まり、再び自身の絶対領域である半径五メートル内に意識を研ぎ澄ませる。
「(不意は突かれたけど、致命傷の回避は出来た。冷静でいれば必ず対処できるはず)」
マキナの全身から発せられる闘気は収まることなくさらに熱を帯び、彼女の周囲だけは、重く冷たい霧すらも侵入を阻まれているかのように揺らいでいた。
「あらあら、この絶望的な状況でも落ち着いていらっしゃいますねぇ。流石は『英雄』、大したものですわ」
だが相手も『クイントスクーロ』。
マキナの闘気を感じ取っても、微塵も恐れる様子はなく、それどころか、霧の反響を利用して更にマキナを煽るような口調を浴びせかける。
「ですが、ここからが本当の地獄……どこまでその強がりが耐えられるか、見ものですわね」
「(冷静に、冷静に。姿を見せないマリアルザの挑発に乗っちゃダメだ)」
互いの思惑が白い霧の中で交差する中、再び霧の奥底から小さな発光と共に、見えない刃が放たれる。
今度は完全に背後から。
しかしマキナの五感が迫り来る魔力の圧を正確に捉え、今度は体を捻って完璧に回避して見せた。
「(大丈夫、対処できる!!)」
その手応えがきっかけとなって、マリアルザの攻撃がさらに激しさと勢いを増し、それまで一箇所からであった見えない刃の狙撃は、前後左右、至る所から発光とともに一斉に乱れ撃ちのように放たれ始める。
一瞬でも対応が遅れれば、網の目のように飛来する無数の刃が全身を浅く、しかし幾重にも切り刻んでいく。
マキナはより一層集中力を高め、自身の周囲五メートルに侵入する刃の軌道を読み切り、回避行動に専念する。
一……五……十……二十……三十……。
何度迫り来る刃を避けたかも分からなくなるほどの、息もつかせぬ攻撃の嵐。
しかしそれら全てを、マキナは最小限の動きでギリギリのところで回避し続けていた。
この極限状態での攻防が、マキナの感覚を更に研ぎ澄ませていく。
そして、幾度目かの回避の直後、ほんの僅かな空気の揺れ、そして霧の奥底での魔力の不自然な揺らぎを、マキナの五感が捉えた。
「そこだ!!」
次の瞬間、マキナは地面を蹴ってその場から離れ、感じ取った確かな気配に従って一気に霧の中を駆け出した。
そして直後、マキナの渾身の手の先が、空間に隠れていたマリアルザの本体の首元を捉えた────
「あら残念、外れでございますわ♡」
────かに見えた。
しかしマキナの手がマリアルザの肉体に触れた瞬間、その姿はすり抜けるように霞となって空を切り、フッとその姿を消していった。
「えっ!?」
幻影に触れたことへの、ほんの僅かな驚き。
その途切れた集中力の隙間を縫うようにして、マキナの死角から放たれたマリアルザの実体の剣が、無防備なマキナの足を貫いた。
「ッ!?」
確かな手応えがあったはずの掌には何もなく、遅れて足から立ち上った鋭い痛みが脳を焼く。
その認識のズレに一瞬視界が揺れながらも、マキナはすぐに地面を蹴ってその場を離れ、再び姿勢を正して意識を整える。
だが先程とは違い、一度の深呼吸だけでは、恐怖と混乱による動悸は収まらなかった。
「ふふふ……さぁ、終わりの見えない迷霧の始まりですわ」
真っ白な視界のどこからともなく反響して聞こえて来るマリアルザの嘲笑う声が、マキナの心を激しく揺さぶる。
※後書きです
ども、琥珀です。
今日から25日まで連日更新しますので、宜しくお願いします!!
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は・の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。




