84.不意打ち
「……え?」
瞬きをする間の出来事に、マキナは呼吸すら忘れて呆然と立ち尽くした。
しかし、ヘーニオの背中に突き立てられた刃の先から滴り落ちる血が、それが紛れもない現実であると訴えていた。
「あら、勘が鋭いですね。一突きで二人とも仕留めるつもりが、まさか逃がされるとは」
よく見れば……否、何故気付けなかったのか。
ヘーニオの直ぐ背後には、いつの間にか魔族が立っており、彼女がヘーニオへ向けて背後から剣を突き立てていたのだ。
その事実を瞳が捉えた瞬間、感情が弾けた。
マキナはヘーニオに刃を突き立てた魔族の顔面目掛けて渾身の拳を振り翳した。
「……いえ、コレのお陰でしょうか? 私の魔法を見破るなんて、初めて見る面白い道具ですね」
だが、マキナの拳が空気を叩き割った時には、すでに彼女の姿は別の場所――十メートル以上離れた岩の上に立っており、その手元にはヘーニオが握っていた筈の『チェルカマナ』が奪い取られて握られている。
気付けば遠くに立つ魔族の異常な挙動に驚愕しつつ、マキナはすぐさま膝をついたヘーニオを抱き支えた。
「ヘーニオさん!! 大丈夫ですか!?」
刃は間違いなく身体を貫いていたが、直前にヘーニオ自身が気付いて体を逸らしたこともあり、致命傷は避けられていた。
とはいえそれでも、応急処置が必要な重傷であることに変わりはない。
マキナはヘーニオの出血を一瞥したのち、岩の上に立つ魔族へと鋭い視線を向ける。
「(いつの間にあの距離へ……私の目でも、全く動きを追えなかった)」
マキナの拳はたしかに彼女を捉えていた。
だが防がれたわけでもなく、ただ一瞬にしてそこから『消えた』のだ。
「(とてつもなく速い……でも、なんだろう。単純な速度とは違うようか、変な違和感がある……)」
理屈はわからないが、マキナの野生の本能が、今の回避行動の中に何かを捉えていた。
「おや? その闘気と纏われている雰囲気……さては貴女が、かの『英雄』様でございましたか」
魔族の女性はどこか妖艶な雰囲気を醸し出しながら、警戒する二人に声を掛ける。
マキナ達が隙を伺いながら沈黙を続けていると、魔族はふと何かに気付いたように上品に手を口に当てた。
「あら、私としたことが。ご挨拶がまだでしたわね。私は『迷霧の看守』、マリアルザと申しますわ」
マリアルザと名乗った女性の魔族は、まるで舞台女優のように仰々しく頭を下げた。
「迷霧の看守、マリアルザ……ッ!! 魔族の中でも、多くの人間を弄んで屠ってきた『クイントスクーロ』の一人の!?」
傷口から血を流しながらも、ヘーニオが苦しそうな声でマキナへ警告の声を上げた。
「あらあら、私すっかり有名人ですのね。ほんの少し、彼らで遊んでいただけですのに」
人間からの怨嗟は魔族の名声。そう言わんとばかりにマリアルザはニコニコと笑いながら答える。
「しかし成る程。イニャスさんの魔力が消えた時は不思議に思いましたが……英雄さん? 貴女が殺したのですか?」
「……はい、私が倒しました」
マキナはマリアルザが激昂するものと身構えたが、彼女はただ興味深そうに嗜虐的な笑みを浮かべるだけで、怒りの感情は一切見せなかった。
「へぇ……まさか人間の手で『冥淵五覇』の一角が堕とされる日がまた来ようとは……流石に驚きましたわ」
それまでの面白がるような表情から少し変わり、今度は目を細めてマキナの力量を警戒するような顔を見せる。
しかし直ぐに元の妖艶な笑みを浮かべ直し、二人へと視線を戻した。
「まぁ魔族といえど生き物です。何かの拍子で命を落とすことも御座いましょう。とても残念ですわ」
その口振りとは裏腹に、マリアルザの顔に同胞の死を残念がる様子は微塵も見られない。
「とはいえ……同格の者が屠られたとなると、この私にも手が及ばないとも限りません。心苦しくはありますが……」
マリアルザは僅かに瞼を細め、それまでの軽い口調からは一変して、底知れない冷ややかな瞳をマキナへ向けた。
「……ここで始末いたしましょうか」
これまで対峙してきた魔族とは異質な、陰湿で絡みつくような殺気。
その視線を浴びた瞬間、マキナの背中にゾッ!と悪寒が走り体が震え、動揺して強引に臨戦態勢に入ろうとしたマキナを止めたのは、手負いのヘーニオだった。
「マキナ様……!!一度、退きましょう!!」
「そ、そんな!?魔族を目の前にして退くなんて……!!」
魔族を倒す使命と、味方を守れなかったという悔しさ、引くわけにはいかないというマキナの意地が、その足をその場に縫い付けようとする。
だが、ヘーニオは痛みに顔を歪めながらも、冷静な事実を突きつけた。
「マキナ様……!! ここで戦ってもマリアルザの幻術に誑かされて勝ち目はありません!! ましてや、私がこの状態で残っていては、マキナ様も全力を出せないのではありませんか!?」
マキナの身体がピクリと揺れ、ヘーニオの冷静ながら的確な指摘に、何も言い返すことが出来ずその場で固まってしまう。
マキナは兜越しに聞こえてくるほどの歯軋りの音を立てながら、血の滲むような葛藤の末に、ゆっくりと全身から力を抜いていった。
「……分かり、ました」
マキナは苦しげに息を吐くヘーニオの姿を視界に収め、振り上げた拳をギリリと固く握り直した。
不本意ではあるが、感情に任せてここで暴れることが最悪の結果を招くことくらいは分かっている。
何よりヘーニオは小さくない怪我を負っており、目の前の敵よりも先ずはヘーニオの治療を優先しなければならない。
マキナは大きく呼吸を整えて、必死に理性を取り戻していく。
「(あら? 殺気が収まりましたわね……こちらが少し挑発すれば乗っかって来るものと思いましたが、思っていたより冷静ですわね)」
迸る殺気の裏で策を立てていたマリアルザは、即座に撤退の選択を選んだ二人に僅かに驚いていた。
「(『英雄』様の闘気は凄まじいものでしたが、それよりも隣の人間が鬱陶しいですわね。彼女を的確に嗜める冷静さもそうですが、このアイテムも、私の魔法を察知出来るほどの高精度……)」
マリアルザの鋭い瞳が、マキナを庇うヘーニオを真っ直ぐ捉える。
「(ともすればあの人間……『英雄』よりも危険かも知れませんねぇ)」
マリアルザのなかでヘーニオの危険度が上がるなか、マキナ達は撤退の算段をたてていた。
「(マキナ様。私が合図を出したら、一気に拠点の外へ向かって駆けて下さい)」
「(……わかりました)」
ヘーニオが何をするのかは分かっていない。
しかし、これまでに何度も助けられてきた経緯から、マキナは無条件で信じることにした。
「逃げるおつもりですか? かの『英雄』様ともあろう者が?」
「……『英雄』は、人々のために戦うんです。護るべき人が傷ついている以上、優先すべきは救援です」
紡がれた言葉の響きに、感情の揺らぎは見えない。
だが、ヘーニオを庇って立つマキナの両手は、手甲がミシリと軋む音を立てるほど固く握り締められていた。
「……逃げられるとでもお思いですか?」
「……逃げられないと、思ってるんですか?」
両者の間で広げられる緊迫した静寂の時間。両者が僅かに動いた瞬間、ヘーニオが先手を打った。
彼はバックパックから小さな金属の球体のような物を取り出し、それを空に向かって無造作に投げ捨てた。
次の瞬間、空中でその球体が爆ぜ、一帯に眩い閃光と光の粒子を撒き散らした。
「なっ!?」
「マキナ様、今です!!」
「はいっ!!」
ヘーニオの合図を聞いて、マキナは彼を抱え、脚に強化魔法をかけた状態で一気に後退を始めた。
「この程度で私のテリトリーから逃れられるとでも!?」
マリアルザは視界ではなく、魔力探知で二人を捕捉しようと試みる。しかし……
「(なんです!? 魔力が乱される……!!)」
二人を捕捉しようと精神感応の魔力を展開するも、ノイズのようなものが走り、激しく妨害される。
「(この小さな光……これが一帯の魔素を乱している。一時的に私の魔力を弾く、簡易的なジャミング機能の役割を果たしているわけですか)」
閃光が収まり視界が開けるが、二人の姿はもう見えない。
魔素のジャミングも既に効力を失っていたが、完全に射程外へ逃れた二人を捕捉することは叶わなかった。
「……まぁ、良いでしょう。噂に聞く『英雄』様の気質なら、むざむざ魔族を放っておくことはしないでしょう。私は私で、まだ仕事の途中ですしね」
後手に回ってしまったことを受け入れたマリアルザは、彼らが何れ戻ってくるであろうことを確信していた。
岩の上に一人残されたマリアルザは不敵な笑みを浮かべ、その姿がゆっくりと蜃気楼の霧に溶けるようにして消えていった。
※本日の後書きはお休みさせていただきます
本日もお読みいただきありがとうございました。
次回の更新は金曜日の朝7時頃を予定しておりますので宜しくお願いします。




