10月29日(火)-2
シタミ工業の駐車場に、見慣れた車が停まっていた。浄華専属ドライバー、片桐さんが傍に立っている。
「おはようございます。お久しぶりです、片桐さん」
声をかけると、片桐さんも「おはようございます」と会釈した。いつもながら、紳士的ないでたちだ。
片桐さんが、後部座席のドアを開ける。華嬢が車に乗り込むので、私も続く。ドアを閉めようとするが、それより先にドアは閉まっていた。
いつの間にか、片桐さんが閉めていた。静かで、そして早い。
運転席に乗り込んだ片桐さんに、華嬢が「お願い」と短く声をかける。片桐さんは「かしこまりました」と答え、車を発進させた。
相変わらず、素晴らしい走り出しだ。
「ひとまず、弊社に向かいます。そちらで、詳しい話をいたしますので」
華嬢はそこまで言い、途中で「あ」と声を出して言葉を続ける。
「それとも、ここで少しでもお話しした方がよろしいですか?」
「時間が全くない状況でしょうか?」
「そうですね、早いに越したことはないのですが、かといって慌てて情報が洩れるほうが困ります」
「では、御社についてから伺います。もちろん、車内が集中できない、という訳ではないのですけれど、やっぱり横並びでお話しするのは落ち着かないので」
美人が真横にいて、情報が抜けないとは約束できない。だって、見てしまう。整った顔立ちも、長いまつげも、形よい唇も。
情報よりも、華嬢に集中してしまいそうだ。
そんな私の事を知ってか知らずか、華嬢は「分かりました」と言って微笑んだ。ううーん、美しい。
「それにしても、驚きました。珍しい案件だな、とは思ったのですけれど」
「ちょっと強引かな、とも思ったのですが、構っていられなかったので」
それほどの事態なのか。
「月末と月初めをまたぎますから、きっとお忙しいとは承知していました。営業ですし、色々な仕事がおありだろうと。ですが」
申し訳なさそうな華嬢に、私は思わず笑む。
本当に、優しい人だ。
「もちろん、仕事は山のようにあります。終わりのない仕事ですし、月末と月初めはやっぱり仕事量も増えます。ですが、私がいなくても回るようにするのが会社の務めですし、上司の采配です。驚くほど真っ白、という訳ではないですけれど、私が一人、多少抜けてもきちんと回る会社ですから」
学生時代の友達や、他社の営業さんと話をして感じるのは、我が社がそれなりにいい会社だということだった。上を見ればきりがないのだろうけれど、かといって悪い会社ではない。
逆に、私一人、一週間ほども抜けられない会社だったら、続けていられないだろう。ありがたい話だ。
「それに、ちょっと楽しみしていたんです。いろんな土地を巡るんだろうなって」
「いろんな土地……ああ、現地調査という名目でしたね」
「そうそう。きっと、工場候補のいろんな土地を巡るんだろうなぁと思っていて、ちょっとした旅行気分を味わえると思っていたんです。観光バス旅行みたいな」
私がそう言うと、華嬢は少し笑った。よかった、罪悪感が少しは抜けてくれたようだ。
「会社には出社扱いになりますし、それで鈴駆さんのお手伝いができるのですから、逆にラッキーかもしれません」
私がそう言うと、華嬢は「ありがとうございます」と言って目を細めた。
「到着いたします」
片桐さんの声に、私は窓の外に目をやる。
気づけば、浄華のビル近くまでたどり着いており、地下駐車場へとまさに入るところであった。