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10月30日(水)-9

 怖い。

 はっきり言って、めちゃくちゃ怖い。


 だが、ここで怖がるのはおかしい話だ。なぜなら、私は単なるキャンパーなのだ。SNSで見つけた大自然に触れたくて、やってきただけのキャンパー。

 この村で行方知らずとなった能力者が二人いるということは、知らないのだ。知らないからこそ、呑気に写真など撮って回っているのだ。


「この神社は、鬼を祀っているんです」


 静かに、楠木さんが口を開く。私は「はい」と頷き、縁起の看板に視線を移す。


「あの看板を見せていただきました。鬼を祀っている神社って、珍しいんですか?」

「全国的には珍しいようですが、無いわけではありません。鬼というのは、身近な恐ろしいもの、という認識でしょうから」


 身近な恐ろしいもの。

 そう言われて思い出すのは、地元のお祭りだ。鬼の面をかぶって、神輿について回っていたり亥の子について回ったりしていたっけ。

 鬼役をするのは若い男性と決まっていた。私も高校生の頃、やらないかと誘われたものだ。


「そう言われてみると……神事にも参加していますね、鬼」

「それは、地元のお祭りですか?」

「はい。ええと、西の方なんですけれど」


 地元の県名を言うかどうか迷い、ぼかす。別に個人情報云々という訳ではないけれど、なんとなく言っていいのか迷ってしまった。

 それでも、楠木さんは静かにうなずいただけだった。聞いてみたものの、私の出身地には興味がないのかもしれない。


「鬼を祀っているということで、この神社に対し興味を持たれる方がいらっしゃるかもしれませんが、それ以上に好奇の目を向ける方もいらっしゃると思っているのです」

「まあ、珍しいとそうなるかもしれませんね」

「この村は、静かな村です。キャンプ場ができたと言っても、それはあくまでもこの村の自然に興味を持ち、穏やかな日常を過ごしに来られていると思うのです。ですが、この神社の珍しさを取り上げる方は、そういう方とは少し違うのでは、と私は思っているのです」


 楠木さんはそこまで一気に言い、ふふ、と小さく笑う。


「つまりは、私は、小心者なのです」

「だから、キャンプ場のSNSに写真が載ってないのですか?」

「管理人の方が写真を撮ろうとされたので、止めさせていただきました。きちんと説明しようと思っているのですが、どうも最初で怯えさせたようで……私を見ると、会釈だけされて去って行かれるので」


 私はそこで、友重さんの言っていた「神社の前を通る時、必ず楠木さんにお会いする気がします」という言葉を思い出す。

 もしかして、楠木さんは友重さんに弁明しようと思って待ち構えていたのではないだろうか。それを、友重さんはなんとなく怖くなり、つい逃げるように去っていくのではないか。

 キャンプ場に帰ったら、友重さんに教えてあげよう。私は、そう決意する。


「それで、先程あなたが撮られた写真なのですが」


 私の持っているスマホを見て、楠木さんが言いにくそうに口を開く。私は「大丈夫です」と言って笑う。


「SNSには投稿しませんし、今日の思い出というだけでとっておきます。……ええと、これもだめでしょうか?」


 楠木さんは少し考え、苦笑交じりに「まあ、いいでしょう」と答えた。

 駄目だと止める理由を、思いつけなかったのかもしれない。撮影禁止とも書いてないし、懸念しているネット上へのアップもしないと約束したのだ。


「あ、もしご不安なら、一筆書きましょうか?」

「いえいえ、そこまでは」


 私は、楠木さんが一筆を断ってほっとする。

 写真を撮るということ自体が嫌なのは本心だろうが、心から拒絶しているという訳ではない、ということだ。もしそうならば、私の申し出に応えるはずだ。

 一筆書くという行為は、私の個人情報を得、更に破った場合の罰則をつける絶好の機会なのだから。


「せっかくなので、この祀られた鬼について、聞いてみてもいいですか? この絵に描かれている、鬼が持っている黒い玉が気になって」


 私はそう言って、縁起の看板の前に行く。胸がドキドキしているのが、分かる。


「お団子、とかじゃないですよね? これ」

「これは、悪霊です。村を恐れさせた悪霊を、鬼が喰らっているのです」

「食べるのですか」

「はい。鬼はそうやって、悪霊を退治したと言われています」


 やはり、圭と一緒だ。


「その後、鬼は人間になっているのですけれど、それってどうやったんでしょうか?」

「村人の願いが天に通じ、また鬼も人間になることを願ったから、という話だったと思います。私も幼い頃、両親から聞いただけですので」


 口伝の形で残されているのだろうか。私が「へえ」と相槌を打つと、楠木さんは「そして」と言葉を続ける。


「天は鬼に、人間にしてやる条件をつけた、と言います。それは、人を殺さないこと」


――どくん。


 私の心臓が、明らかに撥ねた。

 楠木さんにはばれていないだろうか。動揺が漏れていないだろうか。

 私は営業だ。どんなにおかしな相手が来ても、にこやかに対応できる営業マンだ。ここが、腕の見せ所なのだ!


「人を、殺さない事、ですか」

「悪霊だけを喰らい、人間を喰らわなかった鬼は、その善行から天から人になることを許された、というのです。そして、その話は村の子ども達に『人殺しはだめだ』と強く印象付けることに成功しました」

「……子どもを叱る時の、鬼が来るっていう脅し文句に近いですね」

「おそらく、この村ほど鬼効果が得られるところはないでしょうから」


 楠木さんは笑っている。先程までの、笑っていない目ではない。どこか懐かしむような目にも見える。


「楠木さんは、お子さんがいらっしゃるのですか?」

「分かりますか?」

「ええ、なんとなく、なんですけれど。実体験のように感じられたので」


 私が言うと、楠木さんは「そうなんです」と言って笑った。


「息子がいるのですが、もう中学生でして。なかなか難しい年ごろです」


 中学生の息子さんがいらっしゃるのか。


「中学生と言うと、ちょうど思春期ですね」

「そうですね。妻もいないので、男二人でバタバタしています」

「そう、なのですか」


 本当は、突っ込みたい。楠木さんの妻について、どうなのかを突っ込んで聞きたい。だが、聞いてはいけない気がする。

 まだ、私達は先程会ったばかりの他人なのだから。


「すいません、長々と。もうすぐ日が完全に暮れてしまいますから、キャンプ場に戻られた方がいいかもしれません。村は、すぐ真っ暗になりますから」


 楠木さんが夕日を確認して言う。


「あ、こちらこそ長々と。また、こちらにお邪魔しても良いですか? この神社を、全部まだ回っていなくて」


 私が言うと、楠木さんは「もちろん」と言って静かに微笑んだ。

 私は会釈し、キャンプ場へと戻る。夕日が彩る赤い村の中を、駆け抜けるかのように。

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