第七話 二人の青年
どれくらい待っただろうか、奥の屋敷の方からバタバタと足音と男達の声が聞こえ飛び起きた。さっき門の前で会った体格の良い男達数人と青年が屋敷からゾロゾロと出てきている。男達は歩きながらガヤガヤと何やら話し、ちらりとこちらを見たがすぐに何も見なかったかの様に通り過ぎていった。
彼らと少し距離を置いて青年が歩いている。青年は庭の隅に立っている私の姿に気づいたのか、立ち止まるとこちらを見た。遠目であったが視線が合ったような気がして慌てて会釈をした。
顔を上げた時には彼の姿はなく、颯爽と歩く後ろ姿だけが見えた。
あ~驚いた…さっき門の前で見た青年よね、山代王様だったっけ…でもなんとなく優しい眼差しだった気もする…気のせいだろうか…
そんな事を考えていた時、
「燈花や、待たせたな」
と老女のか細い声が背後から聞こえた。振り返り見ると、中宮が目の前に立っている。
「すまぬな、だいぶ待たせてしまった。体は冷えてないか?」
「はい、大丈夫です。なんともありません。それよりも中宮様のお身体が心配で小彩に無理を言って参ったのです。具合はどうですか?」
「これだけ長く生きていれば、体にガタはくるものだ…安じさせてしまって悪かったのぉ…さ、中に入って熱い茶でも飲もう」
中宮はそう言うと、私の冷たくなった手をそっと握った。温もりのある優しい年老いた手だ。中宮に手をひかれるまま屋敷に入ると、昨日とは違う明るい客間のような部屋に連れて行かれた。
部屋からさっきまで居た中庭が見え、黄色に染まった大きなイチョウの木も見えた。
「熱い茶だよ、ほれ飲みなさい」
「あ、ありがとうございます。本当に熱い」
「ゆっくりお飲み」
受け取った湯飲みから金木犀の花の香りがプーンと漂った。
「中宮様、お身体は本当に大丈夫なのですか?顔色もまだ優れぬように見えますが…」
「ふぅ…もう十分生きた、いつ死んでも良いのだ…ただ少し気がかりがあってな…」
そう言うと中宮は寂しげに笑いうつむいてしまった。
「私に何か出来る事はありますか?」
思わず自分でもビックリするくらい大胆な事を言ってしまった。中宮は顔を上げ私を見ると、
「では、その時がきたらそなたに話してみよう…」
とだけ言い、再びうつむいた。
なぜか気持ちがモヤモヤする。何かは分からないがとにかく不安な気持ちだった。
「燈花や、今日屋敷の前で若い皇子と会ったであろう?」
「えっ、先ほどの青年…、や…山代王様の事でしょうか?」
「そうだ、あの青年が山代王だ。まだまだ若く未熟ではあるが、代々受け継がれてきた大王一家のものだ」
「はい…」
山代王に関しては全く知らないが、中宮の話に耳を傾けた。
「幼い頃より愛嬌があり、わしも可愛がっていてな…孫のような存在だ。だがあの子の父親も数年前に死んでしまった…立派な君子であった…頑固なところもあるが実に優しい子だ。明日の宴の準備で忙しいだろうに、わざわざ見舞いに来てくれたのだ。帰りに皇子に土産を渡そうと思っていたのだがすっかり忘れてしまってな。明後日、大王の屋敷で大事な宴があるのだが、私は見ての通りこの体では出られぬ。すまぬがこの品を宴の席で直接あの子に渡して欲しいのだ」
中宮は麻の布にくるまれた物を出した。
「中身はあの子の好物の干し柿だ」
「えっ、私のような下僕のものでは宴には出られません。無礼もいいところでございます。誰が別に託せる方はいらっしゃらないのですか?」
「何を言う。そなただからこそ頼みたいのだ…それに大王はこの宮で働く者たちにあまり好意を持っていないのだ。そなたならまだ都では顔が知られていないし、私の大切な身内でもあり身分は保証されている。東国から来たのだから宮中とは無縁だとすぐにわかるはず…適任だよ」
「しかし…は」
私は言葉に詰まった。中宮にここまでお願いされているのに無下に断る事は出来ない。
「承知いたしました。では明後日、小彩と共に伺ってみます」
「安心した、頼まれておくれ」
一気に不安な気持ちが押し寄せたが、中宮の心から安堵した表情を見たら、不思議と心は落ち着き覚悟を決めた。まるで昔から知り合いのようで中宮との時間はあっという間に流れた。
「燈花や」
戸口の向こうから小彩の呼ぶ声が聞こえた。
「入りなさい」
中宮がそう言うやいなや戸がピシャっと勢いよく開き、嬉しそうな様子の小彩が軽い足取りで部屋の中へと入ってきた。
「燈花様、中宮様とは十分お話されましたか?」
「小彩や、こたびも心配かけたな」
「いいえ、中宮様がご無事で私も安心しました。燈花様がそりゃもう心配されて心配されて大変でした」
小彩は私を見ていたずらそうに笑った。
「二人ともすまぬな。安ずるでない。二人にこんなに思われて、長生きも悪くないと思ったぞ」
中宮が笑いながら言うと、
「中宮様。どうか私の為にもお体ご自愛ください」
小彩は真顔で言い中宮を見つめた。
中宮は何も言わずに優しく小彩の頭を撫でた。
帰る頃にはすっかり日が傾き薄暗くなっていた。中宮に挨拶をしたあと宮を出たが、市に行く時間はなさそうだ。
「ごめんね、小彩。私が長く中宮様と話し込んでしまったせいで市には行けないわね…」
「大丈夫ですよ、燈花様。ただ釜戸の薪がないので、せめて薪だけでも買ってゆきたいです。かまいませんか?」
「もちろんよ。まだ間に合う?」
「はい、少し回り道をしますが、まだ開いている店に寄らせて頂きますね」
「良かった。では急いで行きましょう」
足早に馬車に乗りこみ大急ぎで店へと向かった。薪屋までもう少しのところで馬車が止まった。どうやらこの先に川があり橋がかかっているが橋幅が狭く馬車では通れないらしい。
「燈花様、ここでお待ち下さい、私走って行ってきますので」
「でも、外はじき暗くなるし、一人で危ないわ」
「大丈夫ですよ、いつもの事ですから。こちらでお待ち下さい、すぐに戻ります」
そう言うと小彩は馬車を降り、ビュンと走って行ってしまった。辺りがいよいよ暗くなってきた時、頭のてっぺんに薪を乗せて歩く小彩の姿が橋の奥に見えた。
前が見えないのかよろよろと足元はふらつき今にも道端の水路に落ちそうだ。
あんなに担いで危ないわ…
私は居てもたってもいられず馬車を降り、小彩のもとに駆け寄った。
「ハァハァ…大丈夫?こんなに一人で持って危ないわよ。半分持つから頂戴」
「燈花様?そんなこと頼めませんよ…」
小彩がバツが悪そうに答えた。
「大丈夫よ、二人の方が早いし安心よ。さぁ早く薪をちょうだい」
渋る彼女から半ば強引に薪を取ると、来た道を急いで戻った。ジャプジャプと川の流れる音が大きくなり一列になり幅の狭い橋を渡ろうとした時だ、
「燈花様、危ない!よけて下さい!」
後ろからついてくる小彩の大きな叫び声が聞こえた。
えっ?と思い首を曲げ前方を見ると馬二頭が猛スピードですぐそこまで来ていた。川の音で全く気がつかなった。
「キャーーーッッ!!」
大きな悲鳴と共にガラガラと薪が手から落ちその場に倒れた。
ダメだ、間に合わない!ひかれる!
そう思ってギュッと目をつむり、手で顔を覆った。
「止まれっ止まれ! ! ドオッ、ドオッー!!」
ヒヒィーン、ヒヒィーーーン
馬が大きくのけぞっている。パカッパカッっと馬の強烈な蹄の音が聞こえ土埃が混じった風がピュウーっと顔に当たった。恐る恐る目を開けるとギリギリの所で馬は止まり、目の前をパカパカと興奮気味に歩き回っている。
危なかった…生きてる…良かった…
心底ほっとした。ふぅと胸を撫で下ろしたのもつかの間、馬には不機嫌そうな厳つい髭面の男一人と、もう一頭には若い男が乗っていた。若い男の細い切れ長の瞳は冷たくこちらを睨み、口はへの字に固く結ばれ、なんとも不愛想な表情だ。昼間、小墾田宮で会った山代王よりも、もっと若く見えた。
「貴様ら危ないであろう!死にたいのか!采女の分際でなんたる無礼ものどもめ、命はないと思え!」
髭面の男が怒り心頭の様子で真っ赤な顔をしながら怒鳴った。
「申し訳ありません!申し訳ありません。川の音と夕闇で、気付くのが遅くなってしまったのです。どうかお許し下さい」
小彩は直ぐにその場でしゃがみこみ震える声で額を地面につけ詫びた。
「勝手な事を申すな、我らの馬を止めるなど不届き千万、落馬でもしようものなら、その場で斬首だ!」
「も、申し訳ありません!どうかお許し下さい!なか」
小彩はぶるぶる震え顔は真っ青だ。私は立ち上がると、体に力を込め二人を見た。
「お待ち下さい!こちらの道や橋もそもそもあなた方のものではないでしょう?日暮れだというのにそんな速さで馬を走らせるなんて危険だとは思わなかったのですか?この道や橋を苦労して作った民をいとも簡単に殺すとおっしゃるなんて、無慈悲で仏の心もなく人の道理から外れていらっしゃいます!」
やってしまった…あれほど気をつけるべきだったのに、完全に冷静ではなかった…でも、どうしても我慢が出来なかった。
私の怒りは静まることなく、更に拍車がかかった。背筋をピンと伸ばし毅然とした態度で髭面の男を睨み続けた。
「なにぃ~無礼もの!小娘のくせに生意気な!我ら一族を知らぬのか!」
髭面の男はますます怒ったのか顔を真っ赤にして、フンッフンッと鼻息を荒げ腰にさしてある剣に手をおいた。
私の時代では歩行者優先よ!!
この言葉が喉の奥まで出ていたがなんとか我慢した。恐怖心も勿論あったが、どうしてもあの傲慢で威圧的な態度が許せない。負けずにギロリと男を睨みつけた。
「コ、コイツめ!!」
髭面の男が腰に差した剣を引き抜こうとした時、
「…やめろ徳多、構わぬ。行くぞ」
静かにことの成り行きを見ていたもう一人の若い男が言った。
「しかしっ…若様」
「日も暮れた、こんな茶番に時間を割いている暇はない。行くぞ」
そして若い男は馬の上から私を見下げ口を開いた。実に冷たい口調で、
「そなた、そんなに死にたいのであれば、次は馬は止めぬぞ。望み通り馬に跳ねられ死ねば良い」
そう言い終えると二人の男は勢いよく馬を蹴り上げ、風のように去っていった。二人が去ると緊張がとれたのか、自分が放った言葉を思いだし、その場にへたへたと座り込んだ。
はぁ…怖かった…死ぬとこだったのかも…
「燈花様!お怪我はありませんでしたか?こんな事になるなんて…ワァ~ン」
小彩が泣きじゃくりながら必死に私の体を持ち上げた。
「小彩ごめんなさい。謝るのは私の方よ。あなたを危険にさらしてしまい悪かったわ。でもどうしてもあのふてぶてしい態度が許せなかったの。私達を人だとは見ていないのよ、同じ人間なのに許せなくて…」
「いいえ、気が付かなかった私がなにもかも悪いのです」
小彩は泣きながらそう言うと、黙って薪を拾いはじめた。馬車に戻った時にはもうすっかり暗くなり、月がぽっかりと夜空に出ていた。宮までの帰り道、小彩はずっと下を向き黙っている…相当な落ち込みようだ。その様子からさっき歯向かった相手は相当ヤバイ相手だというのが推測できた。
「小彩あの人達誰なの?そんなに恐ろしい人達?」
小彩は黙ったまま両手を膝の上でギュッと握りしめている。
「おそらくお付きの方は巨勢様です…お隣にいた若君が多分、林臣様かと…はぁ…この先お会いすることもあると思うと、生きた心地がしません…」
そう言うと、小彩が再び泣きはじめた。
「そう…ごめんね小彩、私が楯突いてしまったせいで…」
「いいえ、燈花様は悪くありません。私の事も守って下さって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。ただこの先の事を考えると不安で…」
小彩が両手で頬の涙を拭った。すでに目がだいぶ腫れているのが月明かりの下でもわかった。
はぁ…小彩には悪い事をしてしまったようだわ、生死が隣り合わせの時代だものね…身分もあるだろうし、感情にまかせるべきではなかったわ。もっと注意して言葉を選ばなきゃ…命がいくつあっても足りないわね…それにしても林臣?聞いた事がない名だわ…身なりからして身分が高そうに見えたけど…誰かしら?…にしても子供のくせになんて生意気なの…
思い出すとまだ腹がたったが、深呼吸をして夜空を見上げた。青白い月の光が真っ暗な道をどこまでも照らしていた。