第十五話 心のゆくへ
都に戻り数日した後、私たちは行幸で収穫した木の実や果実を持って小墾田宮の中宮のもとを訪れた。この日は支度に手間取った為、小墾田宮に着いた時にはお昼をとっくに回っていた。中宮は突然の訪問にも関わらず、喜んで迎えてくれた。
「中宮様、ご無沙汰しております。無事宇陀より戻りました」
「二人とも待っておったぞ」
中宮が目を細めて嬉しそうに言った。
「さぁ、座りなさい。二人ともまだ都に戻ってきたばかりだろう?宇陀は遠い。昔はよく薬草狩に赴いたがのう…」
「ドングリ、クルミ、柿、みかん、沢山の食物をお持ちしましたので召し上がってください」
小彩が声を弾ませながら言った。
「二人ともすまぬな」
中宮が優しく微笑んだ。
「大王や王妃とも一緒に過ごせたか?」
「はい!でも…それが此度の滞在では、色々とありまして…」
小彩が急に何かを思い出したかの様に口ごもった。
「色々と?」
中宮が眉をひそめ疑いの眼差しを向けたので慌てて付け加えた。
「はい、滞在中は天候もよく温かい日が続き周りの田畑や森での収穫も多く、実り多き良き年であったと、大王様も王妃様も大変お喜びになっておりました」
ここで私が口を挟まなければ小彩は全てを打ち明けるだろうと思いヒヤヒヤした。
「そうであったか、良かった安心した」
とりあえず無難に木の実拾いや、王妃から貰った簪の話などたわいもない話をしていると、コンコンと戸がなり、戸口の向こうで侍女が返事を待たずに早口で話し始めた。
「中宮様、ご歓談中に申し訳ございません、少しよろしいですか?」
「どうしたのだ?」
「実は安倍家紅衣様がお越しになっておられます。どういたしましょう?すぐにお通しいたしますか?それとも別の部屋でお待ちいただきますか?」
「紅衣が?ふ~ん…。何かあったのであろう、お通ししなさい」
「はい」
侍女のパタパタと廊下を走る音が聞こえた。
「中宮様、お客様でございますか?」
小彩が聞くと中宮が少し考えながら答えた。
「そのようだ、事前に連絡はなかったのだが、突然訪問してきたところを見ると、きっと急用なのだろう」
「では、今日はこの辺でおいとまいたします。また遊びに参ります」
「すまぬな」
中宮は残念そうに言うと別れを惜しんだ。私たちは挨拶をした後すぐに部屋を出た。部屋を出るとすぐに小彩が不思議そうに聞いてきた。
「燈花様、なぜ大王様からの申し出の事を中宮様にお話にならなかったのですか?」
「まだ、自分の心がどこを向いているのかもわからないのに、お話出来ないわよ…」
小彩に対し”良い質問よ”と思ったが、自分でも何故話さなかったのかわからない。避けたかったのかも…
事実、宇陀から戻って以来その件については考えないようにしていた。自分の気持ちがよくわからないし、茅渟王という保証を手放すのも少しだけ勿体無い気もした。もちろん断るつもりではいるが、適当な良い言い訳が全く見つからない…
ため息一つして長い廊下をゆっくりと歩きはじめた。
長い廊下の先から、数人の男たちと若く美しい少女が歩いてくるのが見えた。私たちは廊下の端に避け一行が通りすぎるのを待った。少女は鮮やかな紫草で染められた絹の衣をまとい頬は桜色をし唇には赤い紅がさされていて、肌は透き通り玉のように美しい。
綺麗に結われた黒髪には濃い緑色の翡翠の簪がささっていて、若いながらも高貴で可憐で品がある。少女は私達の姿に気が付くと、軽く会釈をして通り過ぎその先にある中宮の部屋へと消えていった。
若いのに気品に溢れた綺麗な子ね、身なりからしてきっと名家のご令嬢ね…
屋敷の門にさしかかった時、突然名前を呼ばれ振り返った。
「燈花様!」
聞き覚えのある声だ。振り返り見ると一人の若い男が走ってきている。
山代王の側近の男、冬韻だ。
以前大王の屋敷で行われた宴の時に案内してくれた人物で、その後も何度か会っている。色白で背が高く無駄口がなくいつも物静かだ。彼の誠実な態度は人や場所を選ばない。山代王を支える最も忠実な臣下の一人だろう。
「冬韻様ですね?ごぶさたしております。また小墾田宮で会うとは奇遇ですね」
「はい。旅の疲れは取れましたか?」
相変わらず彼の紳士的な振る舞いに感心していた。
「はい、このとおりです」
私は両手を広げて少しおどけてみせた。
「ところで今日は何の用でいらしたのですか?山代王さまもご一緒ですか?」
冬韻は不意をつかれたようにハッと驚いた表情をすると体を硬直させたが、嘘がつけない性分なのだろう…少し困ったような表情をし唇をかみしめた後、意を決したかのように事の次第を話し始めた。
きっと藁をも掴みたい心境だったのだと思う。
「…実は今日、安倍家ご令嬢である紅衣様と、来春に行われる婚姻の儀の事で話し合いの席があったのですが、若様に今朝その事をお伝えすると大変お怒りになり、そのまま屋敷を飛び出されてしまったのです…。すぐに紅衣さまがお越しになり、しばらく若様のお帰りをお待ちになられましたが戻らず、別の宮の使いのものから若様を小墾田宮付近で見たと聞いたのです。このように急ぎ紅衣様と共にこちらに参りました。若様にお会いしてはいませんか?」
急な話に気が動転し混乱したが、さっき廊下ですれ違った美しい少女が山代王の婚約者なのだろうとすぐにわかった。山代王の居場所よりも先に婚約者がいた事を知り、自分でも予想しなかった複雑な感情が湧きおこり自分自身を落ち着かせる方が先決だった。頭の中が真っ白になった事に正直驚いていた。
「燈花様?燈花様、大丈夫ですか?何か知っておられますか?」
いつも冷静沈着な冬韻が取り乱している。
「あっあぁ…、ごめんなさい何もわからないわ。でもじき日が暮れるでしょ?もう屋敷に戻っているんじゃない?」
「いえ、この小墾田宮から、屋敷に通じる道はここしかなく、会わなかったということはまだ屋敷にはお戻りになっていないかと…はて、困りました。どこに行ってしまったものか…燈花様、何か心あたりがある場所はありませんか?」
「そんなあなたがわからないのに、私がわかるはずないっ…」
そうだ…深田池…以前馬で一度だけ山代王さまと行った事がある。あの時…あの池の畔が心が落ち着くからとても好きだと言っていた…一人で考え事をする時に来るとも言ってた…
「小彩先に帰っていて」
「冬韻様、馬をかしてくださる?」
「う、馬ですか⁉︎」
冬韻から馬をかりると、ピョンと飛び乗り駆け出した。こんな時に不謹慎かもしれないが、山代王から乗馬を習っておいて良かったと心から思った。
「燈花様~」
後ろから小彩の叫び声がいつまでも耳に響いた。
山代王様ったら、どうしたっていうのよ。いつも冷静であられるのに…
馬を走らせながらそう思っていた。以前に来た時の記憶を頼りに、なんとか深田池の周辺までたどり着いた。木々の先にキラキラと光る池の水面が見えた。池のまわりを見渡すと、遠くに美しい駿馬が一頭繋がれているのが見えた。
間違いない、あの駿馬は山代王様の馬だ…
私は馬をおりると、ゆっくりと池の畔を歩きだした。きっと、この辺に山代王さまはいらっしゃるはず…
池の水面はオレンジ色の夕陽に染まりきらきらと美しく輝いている。
「山代王様~山代王様~」
大きな声で叫んだが、あたりに人影はなく何匹かの水鳥が声に驚いたのか空高く茜色の空に飛び立っただけだった。繋がれた駿馬の前に来ると、その横の地面に山代王の剣が真っ直ぐに刺さっているのが見え驚いた。
この状況からして彼の心は私が考えるよりも穏やかではないと悟った。
まさか山代王様に限って馬鹿なことはしないわよね…それとも…池に落ちた⁉︎確かに、いくら慣れている場所とはいえ草の生えたぬかるみの上を歩いていたら、池に落ちても不思議ではないわ。どうしよう…
何故か悪い方にばかり思考が働いてしまい気が付くと必死で叫んでいた。
「山代王様!山代王様!」
念のためと思いギリギリの所まで体を倒し池の中を覗きこんだ拍子にぬかるみに足を取られバランスを崩した。
しまった
手をバタバタと動かしバランスを取り戻そうとしたが、もう遅い…水面が近づいてくる。
「キャー!!」
もうダメだと思い目を閉じたとき、
後ろから誰かに腕を強くひっぱられ畔へと体が引き戻された。抱きしめられた腕の中で見上げると、そこには山代王の姿があった。
や、山代王様…
「そなた、死ぬところだったぞ!」
山代王はそう言うときつく私を抱きしめた。
山代王様、生きていた…
体中の力が一気に抜けていく。安堵感からか涙が溢れそうになったが、すぐに怒りの感情へと変わった。
「山代王様こそ、こんな時間までフラフラと何をされているのです!みなが心配し必死に捜しているのですよ!」
思わず説教じみたような大きな声で言ってしまったが、山代王の反応はない。
「山代王様?…」
彼はまだ私を抱きしめたまま何も言わない。
「山代王様?どうし…」
「そなたを慕っている。出会った時からずっとだ…」
山代王からの突然の告白に心臓がまたバクバクと音を鳴らしはじめた。
「私も愚かだな…この数日でやっと、自分の気持ちに気がついたのだ。そなたを誰よりも慕っている。私の心はそなたのものだ…どうかこの想いを受け入れて欲しい」
山代王様…
今までの事を思い出していた。馬に乗っている時も、あの夜あの湯で会った時も、今この時も、確かに山代王を想っている自分がいると。
「山代王様、私のように身分の低い者はふさわしくないかもしれません、けれど、どうやら私も山代王様の事をお慕いしているようです」
「まっ、誠か⁉︎」
私が小さく頷くと、山代王はまっすぐな瞳で私を見つめた。顔が近づき優しく口づけをしてきた。オレンジ色の夕焼けは、真っ赤な夕陽の世界へと変わっていた。
帰り道私達の口数は少なく、山代王は安倍家令嬢の紅衣との婚姻の話を伝えてきた。私はもちろん事情を理解し受け入れたが、実はそれよりも今後の運命の方が気になりなぜか胸がザワついていた。
私は結局は未来を生きる人間、何らかの理由でこの時代に来てしまったけど、いつ、もとの世界に戻るかもわからない…山代王さまのお側にいても良いのだろうか?急に現実世界に引き戻されたような不安に襲われた。
「燈花よ、先ほども伝えたが私の心はそなたのものだ。先にそなたを娶りたいのだ」
「ありがたき幸せでございます。でも…」
大王にはなんと説明すればいいのかしら…困ったわ。私が黙ってうつむいていると、山代王が私の心を見透かしているかのように言った。
「案ずるな、先日兄上に私の気持ちを伝えた」
「えっ⁉︎大王様との事を、ご存知なのですか?」
「さよう…恥ずかしながら、この間別宮の中庭でそなたと兄上の姿を見かけた。そしてそのまま会話を盗み聞きしてしまった…」
「さようでございましたか…」
「その時に、自分の想いを確信したのだ。そなたを誰にも渡したくないと、大王である兄上でさえもだ。ゆえに、そなたの気持ちを尊重しようと兄上と昨晩話し合い決めたのだ」
「…そうでございましたか…」
知らないところで話が進んでいたことにとても驚いたが、大王に直接断りの言葉を伝えなくて良いと思うとほっとしていた。
大王の寂し気な瞳が少しだけ浮かび心が痛んだ。
橘宮に着く頃には真っ暗だった。小彩と漢人が松明を持って門の前をウロウロしている。山代王は門の手前で馬を降りた。
「まずは兄上に今日の話をし、朝廷の大臣達の合意のもとでそなたと正式に婚姻の手続きすすめるつもりだ。中宮様からのお許しも頂かないとならぬ。ゆえに、少し時間がかかるのだが、まとまり次第すぐに会いに参るゆえ、待っていてくれ」
「はい、わかりました」
私がそう答えると嬉しそうににこっと笑い、屋敷に帰っていった。
私の姿を見つけた小彩が一目散に走ってきて矢継ぎ早に言った。
「燈花様、ご無事で安心いたしました。今までどこにいらっしゃったのですか?山代王様のお姿をお見えしましたがお会いになられたのですね!でも、なんて事!お体が冷え冷えですよ!急いでお部屋に戻りましょうすぐに熱いお茶をお持ちしますから」
小彩の温かな手にひかれ部屋へと戻った。体が熱帯びている気がして寒さなど感じなかった。ゴロンと寝台の上に寝転がり今日一日の出来事をもう一度整理し始めた。
「燈花様?入りますよ、よいですか?」
「…えぇ」
「燈花様、さっきから、何度も部屋の前でお呼びしていたのですよ。何かあったのですか?」
小彩が熱いお茶をくみながら言った。そして囲炉裏に火を灯してくれた。すぐにパチパチと火が燃え上がり部屋の中が温かくなった。頭の中はこのほどよい温かさにポワンとしている。
「…小彩、私自分の気持ちが分かったみたい」
「えっ⁉︎も、もしかしてお気持ちをお決めになられたのですか?ついに大王様のご側室になられるのですね!」
小彩は目をキラキラと輝かせながら言った。
「そ、それが…違うのよ」
「違うとは?どう違うのでございますか?」
小彩が目を丸くして聞き返してきた。
「そ、それが…私、山代王様をお慕いしているみたい。山代王様も同じ気持ちでいてくださったみたいで…」
「えっ⁉︎でも燈花様、山代王様は実の兄弟のように信頼できるし、良き友だともおっしゃっていましたよね⁉︎」
小彩が更に目をまんまるるくして言った。瞬きもしていないところを見るとこの告白は相当衝撃らしい。
「私もそう思っていたのよ…けど、この数日で、何故か山代王様の事を考えていたし、今日中宮さまの屋敷で、安倍家の紅衣さまを見て婚姻が決まっていると知り…胸が痛んだの」
小彩は信じられないというように口をポカンと開けたままだ。
「しかし、今日、冬韻様より来春にはお二人の婚儀が盛大に開かれるとお聞きしたではありませんか、お辛くはないのですか?」
小彩は今にも泣き出しそうだ。
「仕方ないわよ、山代王様は大王家の方よ。王家の朝廷での地位を磐石にするためにも有力豪族の後ろ盾はかかせない。しかも沢山のお世継ぎをもうけなければならないし、それがこの国の安定をもたらすのよ。王様の大事な務めだわ…ただ私、複雑な事情があって、詳しい事は話せないけど…いつの日か、急に故郷に帰るかもしれないわ…それが不安なのよ…」
「でも、燈花様が山代王桜に嫁げばこの飛鳥の都が故郷になるのではないのですか?」
「それはそうなのだけど…」
さすが小彩、良いところをついてくる。でも万が一私が突然消えたりでもしたら、大きな混乱を引き起こしてしまうような気がして不安な気持ちでいっぱいだった。
「燈花様はたまにおかしな事を申されますね、でも大丈夫です!私はいつまでも燈花様の侍女でございます。微力ですが、誠心誠意お仕えいたします。あっ、中宮様が聞いたらきっととてもお喜びになられますね!すぐにでもご報告に行きたいくらいです!」
「まだ、正式に決まったわけではないのよ、大王さまのお許しと、朝廷の大臣達の合意を得ないといけないみたいで…」
私の心とは裏腹にすっかり隣で小彩は浮かれている。何故か悪い方向にばかり考えてしまっていたが、小彩の無邪気に喜ぶ姿を見ていたら、人生なんとかなるのかも知れないと思い、成り行きに身を任せようと考え直した。




