軍師、権兵衛
※間違えて下書き状態の物を投稿してしまったので修正版再投稿です。申し訳ありません。
俺が話し終わると、三成は「なるほど」と短く呟いた。
話の内容は重いものだったはずだが、相変わらず物腰は柔らかいままだ。こうしていると、まるで親戚の叔父かなにかと話しているような感じがする。
もちろん実際は主君と家臣の関係なのだが。
「権兵衛はまだその時ではないと申すか」
そして三成は俺の言葉を繰り返し、不敵な笑みを浮かべた。
「では、何時が頃合いだ?」
「それは――」
ここで素直に、家康と同じ五大老の上杉景勝、宇喜多秀家、そして毛利輝元らと結託し、西軍を結成してからです――なんて言えるわけもない。
ここは下手に大名の名前を出さないほうがいいだろう。
「お味方が集まり次第が良いかと思います」
「味方だと?」
「はい。共に家康と戦ってくれる諸大名です」
三成は19万4,000石。戦国大名の中では中堅クラスだ。それでも豊臣政権の中では奉行という重要なポストに就いていたが、それも失ってしまった。そんな三成が単身で250万石の家康と戦うのは、あまりにも現実離れしている。
「なるほど、全国の諸大名に家康を討つべしと檄を飛ばすか。しかし今しがた左近が読み上げた通り、俺は蟄居を言い渡された身だ。それはどうする」
俺の記憶が正しければ、蟄居とは武士に与えられる刑罰の一種で、自宅の一室に謹慎させることだったはず。つまり三成自身が城から出なければいい話だ。
「家康の手紙では、使者を出すことや手紙を送ることは禁じられておりません」
「ほう?」
自分で言っておいてなんだが、こんなものは子どもの言い訳だ。
しかし三成の反応は好感触のようで、俺が話すにつれて次第に身を乗り出している。表情が明るくなっているのは俺の気のせいではないだろう。
「殿が家康の誘いに乗らず、大人しく処分を受けることになれば、家康は肩透かしを食らった気分になるでしょう。そして次の標的を探すはずです」
それが前田利家の跡を継いだ前田利長であり、その次は上杉景勝だ。
しかしそのことまで話してしまうと、もはや名軍師ではなく予言者になってしまうので、当然ここでは控えておく。
「その間は家康の殿に向けた監視も弱まり、油断するはず。その隙にひとりでも多くお味方を増やすべきかと思います」
「ふむ、なるほど――」
三成は顎に手を当てながら、これまでなりを潜めていた左近のほうを向く。
そういえば三成は表情を見ただけで、俺と左近がほかと異なる意見を持っていると見抜いていた。
「左近はどうだ」
「権兵衛殿と同意見でござる」
筆頭家臣である左近があっさりとそう言い、家臣たちに動揺が走った。
新入りであり、それどころかどこの馬の骨とも知れない俺が、三成に最も頼りにされている左近と同じ考えに至ったというのが、信じられないのだろう。
「左近もここは大人しく処分を受け入れ、極秘裏に味方を増やすとの意見か」
「仰せの通りです」
「俺に味方をしてくれるのは誰だろうか」
「大老の上杉殿と宇喜多殿の両名、それから小西殿、大谷殿、佐竹殿あたりかと」
「ほほう、上杉に宇喜多か。それから刑部も」
三成は左近の挙げた名前を繰り返したかと思うと、
「符合した」
そう言って、にやりと笑った。
「殿もお人が悪い。やはりすでに心積もりがござったか」
左近もそれに合わせるかのように笑う。
そんなふたりのやり取りに、困惑しているのはほかの家臣たちだ。
「許せ。どうしても左近のお墨付きが欲しかったのよ。それから――」
三成はそこで区切ると、こちらを見据えた。
「皆に権兵衛という新顔の優秀さを知ってほしくてな」
戦国大名、それも歴史に名を残すような人物に優秀と言われるとくすぐったい、しかしちょっぴり後ろめたいような気持ちになる。
先ほど俺は自動車をチートと言ったが、改めて思えばこの先起こることを知っているという歴史の知識も、立派なチートみたいなもんだ。
「この権兵衛は比類なき馬の乗り手だ。左近の武勇があったのは勿論だが、権兵衛がいなければ、俺は伏見の山中で敵に捕縛されていたかもしれん」
なるほど自動車のことは、家臣にすら伏せるのか。
それにしても他に言い方がないとはいえ、馬の乗り手とは。
「また先ほどの通り、頭も切れることが分かった。まだ召し抱えられて日も浅いというのに、俺のことをよく分かっているようだ」
これ以上褒められると、さすがに照れてしまう。
というか申し訳なさがこみ上げて来る。三成のことをよく知っているのは、あんたが超有名人で、関連する書籍やらが山ほど出ているからだと言いたい。
「加えて、何故か家康のことにも詳しいようだ」
三成がそう付け足し、さすがにどきっとした。
まさか内通者だと思われていないだろうな。
今後はさすがに敵陣営の情報をぺらぺら喋ることは自重すべきかもしれない。それこそ大きく歴史が変わってしまうことになりかねない。
「だが、左近と権兵衛のお陰で、俺も決心がついた」
三成はそう言うと、家臣たちをぐるっと見渡した。
「城内に雑兵を入れ、すぐさま練兵に入るように」
「し、しかしたったいま挙兵はせぬと――」
「いまできることをしておくのだ。これは準備に過ぎぬ」
思わず反論した家臣のひとりに対し、左近がすぐさま補足を入れる。
雑兵とは指揮権を持っていない、身分の低い兵士のことだったはず。つまりは足軽だ。平素は農民として畑作業などを行っている者たちだろう。三成はそれらを佐和山城に入れて、訓練しようというのだ。
「とはいえ一度に大勢を城内に入れるとさすがに目立つ。噂が立てば家康の耳にも届き、警戒されるかもしれん。よって少しずつ移動させるのだ」
「ははっ!」
三成は大まかな指示を出しただけだが、こうして左近が完全に補足する。
なるほど、これが石田家本来の軍議のかたちなのか。
「それから徳川打倒に同心してくれそうな諸大名へ、書をしたためた」
三成はそう言って、手紙の束を取り出した。俺や左近の言ったことを三成は決めていただけではなく、すでにああして行動に移していたとは。
「これから名を読み上げる者は、急ぎこれを持って出立してもらう。遠路になる者もいるが、幸いにして多くの諸大名が大坂の屋敷にいるはずだ。確実に当人へ手渡しするようにしてもらいたい」
先ほど名前の挙がった毛利や宇喜多などへの手紙だろうが、一体何通あるのか分からない量だ。
おそらく三成は七将の襲撃を受けた時点で自分がこうなることを予測しており、俺に刀を渡した後ですぐに手紙を書き始めていたのだろう。あの命からがら逃げだしたような後でも、的確に先を読んでいたということになる。
なるほど、これが石田三成か。
人の上に立つ器量がないと後世には評価されているが――それは偽りだ。
この男だからこそ、徳川家康という大敵と渡り合えたのだと思った。
しかし三成がおそらく俺を気に入ってくれたように、俺も三成に魅了されはじめている。これはあまり良くないかもしれない。
元から俺は歴史上の人物で誰が一番好きかと問われれば、石田三成と答えるくらいに三成を尊敬している。
何故あまり良くないかと言えば、三成に肩入れしすぎると、どうしても三成に死んでほしくない、関ヶ原の戦いで勝って欲しいという思いが強くなってしまう。
天下分け目と言われた戦いの結果が変われば、当然歴史は大きく変わる。
徳川の天下がなくなり豊臣の世が続けば、日本はどうなってしまうのか。
江戸幕府がなければ鎖国もなく、明治維新もないかもしれない。
そうなれば俺の知る未来ではなくなってしまうだろう。
しかしそれでも石田三成という男を死なせたくない。
このままでは、その気持ちが勝ってしまいそうだった。
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