関ヶ原9
いつの間にか時刻は進み、間もなく正午になろうかというところだ。
徳川の本隊に宇喜多勢が危うくなったところを、側面から小西、島津、大谷の軍勢がぶつかったおかげで持ちこたえ、そこへ西軍最強の立花宗茂の隊が到着してからは、もはや一方的な展開になった。
一時は天満山のふもとまで押し込んでいたはずの徳川勢だったが、現在は西軍の勢いを殺すこともできずにじりじりと後退し、気付けば最初に陣取った桃配山まで押されている。
こうなるのも当然だ。相手が徳川四天王だろうと、こちらは猛将の立花、島津、明石掃部が前線を率いているのだ。
「家康だ、家康の首を獲れ!」
宇喜多秀家の指揮にも力が入る。いまはまさに千載一遇の機会だ。
東軍はほとんどの戦力を関ヶ原の北、笹尾山に向けている。福島や黒田、細川といった主力部隊は、家康が危ないと分かったところで、すぐには引き返せないほどまで深く攻め込んでいる。家康の首を獲るには、今しかないだろう。
「ここが勝ちどきぞ、全軍で突っ込め!」
立花も自らが先頭に立ち、果敢に敵陣を切り裂いてゆく。
しかし、俺には気掛かりがふたつある。
ひとつめは東軍の大半を一手に引き受け、笹尾山に釘付けにしている石田三成の軍勢が、持つかどうかということだ。
笹尾山は決して高い山ではない。ふもとに大量の敵が群がっているせいで、いまにも敵の軍勢に飲み込まれそうに見える。
こちらが家康を討つ前に、三成が討たれるほうが先かもしれない。
そしてもうひとつは、松尾山だ。
「先輩、松尾山はまだ落ちませんか?」
助手席の文羽が不安そうに言う。
そもそも西軍が勝つには、松尾山に布陣する裏切者の小早川秀秋を、東軍が到着する前に討たなければならなかった。
それが大いに手こずり、結局西軍と東軍のぶつかり合いになったが、現在も吉報は届かない。
「吉継のところへ行こう」
宇喜多勢はもう放置して大丈夫だろう。
問題は松尾山に残された大谷吉継だ。
松尾山を攻めていた小西、島津、立花の軍勢が、いまや徳川勢に攻め掛かっている。つまり小早川1万5,000人と対峙しているのは、大谷吉継のみ。しかも吉継は息子を宇喜多勢の援護に回しているため、相当戦況は苦しいはずだ。
車を走らせ、松尾山へ急ぐ。
こうしている間も、西軍主力部隊は桃配山に殺到している。敵はよほど苦しいのか、本来は毛利らのいる南宮山への備えである、山内一豊、浅野幸長、池田輝政といった軍勢も、家康を守るべく関ヶ原に来ている。
軍の配置的には、いま毛利が山を下りて敵の背後を衝けば、確実に勝てる――しかし、毛利が動くことはない。
「権兵衛殿!」
吉継の本陣に車を横付けすると、陣幕をめくってすぐに吉継家臣の湯浅五助が飛んできた。その顔つきはひどく険しい。
「いかがしましたか?」
慌ててシートベルトを外し、車から降りる。
「すぐに殿の下へ!」
五助に促されるままに、吉継の本陣へ入る。
味方の主力は徳川の本隊を押し込み、家康の首を獲ろうかとう寸前まで来ている。しかし吉継の本陣は、それを感じさせないほどに慌ただしい。
「権兵衛殿ですか」
「はっ、ここに」
目の見えない吉継は相変わらず、手元の盤面をしきりに動かしている。
西軍有利の報告は伝わっているようで、こうして俯瞰した図面で見ても、西軍有利は間違いないように見えた。
「いかがなされましたか」
「危うい」
「え?」
「このままでは危ういと言ったのです」
「それはどういう――」
「すぐに宇喜多殿や立花殿に、攻撃を中断するように」
耳を疑った。こうしている今も、その2隊は小西、島津と共に家康を追い詰めている。あと少しで家康の首を獲れる。そうすれば西軍の勝利は疑いなしだ。
「私も伝令を出しましたが、権兵衛殿の口添えが必要です」
「何故いま攻撃を中断するのです。今に徳川の本陣は――」
「間に合いません」
吉継は覚悟を決めたように、そう告げる。
その時、わあっという大歓声が上がった。まるで突風に背中を押されたのではないかと錯覚してしまうほどの熱量が、後方から放たれている。
後ろで――松尾山で、何かが起こったのだ。
これまで小早川は、防戦一方だった。
序盤は西軍主力の大軍に攻められ、現在も大谷吉継の巧みな指揮に翻弄され続け、松尾山の1万5,000人もの兵力は、この関ヶ原においてほぼ無力化されていたと言っていい。
しかし吉継によって誤算だったのは、宇喜多や立花をはじめとする西軍主力が、徳川本陣を押し込んでしまったことだ。そうなれば必然的に松尾山を包囲していた陣形の厚みは薄くなる。
いまの大声は恐らく、小早川が包囲を抜け、堰を切った水のごとく関ヶ原に雪崩れ込んだということだろう。
「五助」
「ここに」
吉継がさっと軍配団扇を振ると、それだけで五助は意図を汲み取ったらしい。すぐに踵を返し、全体に指示を出す。
「出陣!」
吉継は本陣を守る軍をすべて投入する気のようだ。もはや一刻の猶予もないということだろう。
もはや味方全体が、我こそが家康の首を獲ってやるのだという押せ押せムードだ。すでに決まった隊列は崩れ、どの隊も一直線に間延びしてしまっている。そんなところに小早川の大軍に背後を衝かれれば、もはや壊滅的な打撃となるだろう。
これから大谷隊が回せるだけの余力をすべて動員し、なんとかその間に割って入ろうとするだろうが、相手の方が早いに決まっている。
俺が出るしかない。
「私が時間を稼ぎます!」
「あの乗り物ですか」
「はい、あれならば騎馬の足止めを――」
「死ぬ気ですか」
ぎょっとした。吉継の開くことはない目が、俺を真っ直ぐに射抜いている。
危険なのは百も承知だ。いくら高速で動くことのできる車でも、鉄砲に脆いことは先の戦でよく分かっている。
「あなたを失くしては三成が――」
「死にません」
言ってみたものの、正直そこまでの自信があるわけではない。
これからこの戦で一番危険な場所に自ら行こうと言うのだ。死なないなどと断言できるわけがないのは分かっている。これはほとんど自分に言い聞かせているようなものだ。
「だから吉継様も死なないでください。間違っても自刃などせぬよう、最期まで足掻いてほしいのです」
「あなたは――」
「どれだけ無様でも、私は吉継様に生き延びてほしいのです」
俺は、大谷吉継の最期を知っている。
史実での大谷隊は、東軍の藤堂高虎と京極高知の両隊を相手に奮戦。正午を過ぎて寝返った小早川勢に横っ腹を衝かれるかたちになるも、裏切りを予測していた吉継は、僅か600の手勢で迎撃。
圧倒的に数で勝り、さらに山から駆け下りた勢いに乗っているはずの小早川勢をその場に押しとどめるどころか、何度も松尾山へ追い返したという。
しかし多勢に無勢。やがて敵に四方を囲まれた大谷勢は壊滅し、吉継は自刃した。吉継の首は、家臣の五助がどこかに隠したという。
本来ならば、大谷吉継の名は「日本史上最も戦が上手かった男」という称号と共に語られるべきだった。いま間の前にいる白い頭巾に顔を隠した病弱の男は、それだけの評価を受けるべきなのだ。しかし未来では「友情と義を守って死んだ男」という悲劇の武将になっている。
俺は石田三成の描く新しい日本が見たくて、歴史を変えることにした。それだけではない。三成や吉継といった人間に死んでほしくなかったのだ。
「あなたの死に場所はここではありません。何卒――」
「死に場所、などというものは誰にもありませんよ」
「え?」
戦国武将とは思えぬ言葉に、俺は耳を疑った。
それに吉継は三成が負けると分かっていてなお、味方したような節がある。関ヶ原を死に場所と決めていたのではなかったのか。
「死に場所というのは、死ぬべき場所、死に処という意味でしょう。そんなものはありません。何故なら――人は、生きなければ」
「……っ」
「約束しましょう。私としても三成の描く日本を見るまでは死ねない。最期まで足掻いてみせます」
吉継の強い言葉に、俺は頷くことしかできなかった。
目の見えぬ吉継には意味のない行為だ。
しかし吉継もまた、頷き返してくれた。




