爆走、中山道
左近たちはあの場に留まり、完全に囮になることを選んだ。
しかし俺たちに、左近たちを心配する余裕はない。
「逃がすな!」
「なんじゃあれは!」
いつの間にか俺たちは完全に包囲されつつあったようで、道の両脇から敵がわらわらと湧いてくる。そしてバックで走行する車を見て、一様に驚きの声を上げる。
「どけどけ!」
叫びながら、俺はクラクションを鳴らす。けたたましい音が鳴るたびに視界の隅で三成がびっくりしているが、気にしている暇はない。
頼むから音にビビって逃げてくれ。これ以上俺に人を轢かせるな。
「先輩、囲まれそうっす!」
「もっとスピードを!」
後ろで双子姉妹がそう叫ぶも、こちとりゃバック走行に慣れていない。バックしながら真っ直ぐ走るだけでも結構難しいんだぞ、くそ。
「先輩、覚悟を決めてください!」
文羽が叫ぶ。いつもやかましい詩羽はともかく、あの文羽がここまで声を張り上げるのは初めてだ。
いや、ちょっと待て。
その覚悟というのは、この時代の人間を轢く覚悟を決めろ、ということか。
「――っ」
その時、バックモニターに映る景色が急に広がったように見えた。
どうやら周りに木々がなく、開けた場所に出たらしい。
「掴まれ!」
そう分かるや否や俺は叫ぶと、すぐさまハンドルを切る。
タイヤが荒々しく砂利道を削り、弾け飛んだ砂利が車のボディに当たる嫌な音が鳴り響く。この動きに周囲にいた人影が怯んで、飛びのくのが見えた。
なんとか方向転換を終えた俺は、すぐさまギアをドライブに入れる。
「先輩、前っす!」
はっとして前を見ると、フロントガラスの向こうで、刀を振りかぶる武者の姿が飛び込んできた。
「――っ!」
俺はアクセルペダルを踏み込みつつ、再度ハンドルを切る。
刀を食らった衝撃も、人を轢いてしまった衝撃もない。
「うわ、ギリっすよギリ!」
「先輩すごい!」
後ろの反応を見るに、なんとか避けることに成功したようだ。
しかし喜んでいる間も、ひと息ついている暇もない。
おそらくここら一帯は敵だらけだ。しかも向こうからしたら爆走する車なんて初めて見るはずなのに、敵は果敢に迫ってくる。
これがこの時代の武士か。いかれているとしか思えない。
「おらぁ!」
クラクションを連打しながら、敵の間を縫うように走る。
もはや考えている暇もない。ひたすら感覚でハンドルを切る。
ちくしょう、刀を持って突っ込んでくる人間の避け方なんて、俺が通っていた自動車免許の教習所じゃ教えてくれなかったぞ。なんで教えてくれなかったんだ。
「S字クランクや縦列駐車なんかよりもずっと大事だろうが!」
「なに言ってるか分かんないけど、先輩かっけーっす!」
「うむ、まことに見事だ!」
なんと三成までもが感嘆の声を上げている。
「素晴らしい手綱捌きだ! やはりお主は只者ではないな!」
「どうも!」
正しくはハンドル捌きだが、どうだっていい。
まさか石田三成に運転を褒められるとは思わなかった。
「先輩、なんすかあれ!」
後ろから詩羽が身を乗り出して前方を指さす。どうやら開けていた場所は終わり、また山道に入るようだが、そこに木の柵のような物が作られていた。ご丁寧に篝火が焚いてあり、柵の向こうに数人の武士たちが見える。
なんだあれは。まさかバリケードってやつか?
「ぬう、既に封鎖されていたか!」
「どうするんすか、先輩!」
「他に道は!?」
おそらく他の道はない。かといって来た道を戻るわけにはいかない。左近たちの覚悟が無駄になる。しかし森の中にイチかバチかで突っ込むのは危険だ。木々に阻まれて身動きが取れなくなり、やられてしまうのがオチだろう。
「……全員、ベルトに捕まれ!」
となれば選択肢はひとつしかない。
「それってつまり――先輩、本気っすか!?」
「詩羽、いいから先輩の言う通りにして!」
後ろでシュルシュルと音がする。
ふたりが急いでシートベルトをしているらしい。
「べると? べるととはなんだ!」
「殿が握っているものです!」
慌てふためく三成に答えている間にも、バリケードは目の前に迫っている。
そして、見た。
道の左側は森になっているが、右側はなにもない斜面だ。
さらに時間がなかったのかバリケートは作りが甘い。急ごしらえの柵では道路を完全に封鎖することはできなかったようで、車半分ほどのスペースが空いている。それも空いているのは、都合のいいことに右側だ。
いける、これなら。
「舌を噛むなよ!」
そう叫んで、自分も歯を食いしばった。そしてアクセルをさらに踏み込む。
柵の向こうで、武士たちが慌てて逃げ出すのが見えた。
それでいい。俺たちの行く先を邪魔をするな。
「――ッ」
バリケードに突っ込む瞬間、俺はハンドルを右に切った。
右タイヤが平らな道から斜面に落ちたことで、がくん、と揺れて車が斜めになる。しかしこれしきのことで車は横転したりはしない。
車体が傾いたことで右方向へぐいっと身体が引っ張られつつも、絶対にハンドルだけは離さない。そしてすぐさま今度はハンドルを左へ切る。
斜面に躍り出ていた右タイヤが道に乗っかり、車は水平になった。
イチかバチかの賭けだったが、成功したようだ。
「先輩、やばいっす! なんすかいまの!」
「絶対ダメだと思いました!」
後ろからは詩羽と文羽の歓声が聞こえる。
とっさにあんなことができるなんて、自分でもびっくりだ。
「なんだ今のは、身体が引っ張られたぞ!」
良かった、三成も無事だ。どうやら舌を噛まずに済んだらしい。
バリケードを突破したことで、敵はもう見えなくなった。
包囲を抜けたということだろう。
こうして走り出してしまえば、この車に追いつくことは絶対に不可能だ。
やがて道は長い下り坂になり、下り切ったところで視界が開けた。ようやく山道を抜けたらしい。道はそのまま車二台分はあろうかという広い道に合流する。
これがこの時代の五街道のひとつ、京都と江戸を結ぶ中山道というやつだろう。このまま大津、草津など琵琶湖の南側を通り、佐和山へ続いているはずだ。
もちろん舗装はされていないが、それでも道は固く、しっかり踏みならされている。これまでの山道を思えば、走りやすいことこの上ない。
「これでひと安心だな」
油断禁物とはいえ、この道なら思う存分スピードを出すことができる。さすがに馬や徒歩で追いつけるわけがない。
「…………」
ふと気付いた。三成が黙りこくってなにか考えている。
やはりおいてきた左近や家来のことが気掛かりなのだろう。そんな気も知らず、俺たちは(主に詩羽だが)はしゃぎすぎてしまったかもしれない。
「と、殿……」
まさか三成と呼ぶわけにはいかないから、便宜上そう呼ぶことにする。
「……惜しい」
「え?」
「じつに惜しい」
どういうことだ?
「やはり伏見に取って返すべきだった」
運転中だというのに、ずっこけそうになった。
まだ言うか。
「そなたほどの腕とこの乗り物があれば、家康めを屋敷ごと葬ることができたであろうに。じつに惜しいことをした」
さすがにそれは無理だ。
先ほどまでの緊張感も抜けたことで、急にどっと疲れがこみ上げて来た。ここから戦国時代の道をひた走り、佐和山まで行くと思うとうんざりする。
くすくすと笑い声が聞こえたのでルームミラーを見ると、後ろのふたりが口に手を当て、必死に笑いを堪えているのが映っていた。
ちくしょう、俺の苦労も知らないで。向こうに到着したら覚えとけよ。
ただ――果たしてこのまま無事に佐和山まで辿り着けるだろうか。
そもそも俺たちはこんな時代に来てしまって、どうなるのだろう。
「これがあれば、家康めを――」
俺の不安を後押しするように、三成はぶつぶつと考え事に耽っている。
これでもし俺がその気になれば、徳川家康は自動車に轢かれて死んだなんて、ふざけた一文が歴史の教科書に載るんだろうか。
あほくさい。なんで俺がそんなことをしなくちゃいけないんだ。
雑念を振り払うように俺はハンドルを握り直し、運転に集中することにした。
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