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関ヶ原3

 関ヶ原にて大谷吉継、立花宗茂との軍議を終えた俺たちは大垣城に戻った。

 時刻はすでに夜中の2時くらいだが、城内は出立の準備で慌ただしい。しかし敵に悟られぬようなるべく音は立てるなとの厳命を受けているため、誰もが慎重に武器をまとめたり、兵糧を運んだりしている。


  相手の忍を警戒して、今夜に城を出るというのは直前まで秘匿(ひとく)されており、城内にいる兵士はつい先ほど出陣の命令が下ったばかりだ。


 これから西軍は、夜の闇に紛れて大垣城を出て、関ヶ原へ移動する。まずは石田勢と島津勢が出発し、丹後田辺諸大名、小西勢がその後に続く。大軍である宇喜多勢が殿(しんがり)を務める。この点に関して言えば、史実通りだ。


 もちろん丹後田辺の軍勢は史実だと関ヶ原に間に合っていないので、この時点で西軍は1万ほどの増強に成功している。

 また、史実では存在しない軍勢で言えば、すでに大谷と共に関ヶ原に陣を張っている立花宗茂の軍勢も同じだ。戦国最強とも名高い武将が指揮する軍勢に、秀吉も認めた天才・大谷吉継の軍勢加わることで、1万ほどの軍勢ながらも西軍屈指の軍勢となっている。


 そして史実と大きく異なる点で言えば、従来の関ヶ原が佐和山へ抜けようとする東軍を待ち構える作戦だったのに対し、今回は松尾山に陣取る小早川秀秋の討伐を目的としていることだ。


「殿、諦めはつきましたか」


 出陣前、島左近が三成に声を掛ける場面に遭遇した。


輝元(てるもと)殿のご出馬はもはや見込めないでしょう。毛利はお家の保全のみを考えております。そばに控えた増田長盛も敵と内通していると見ていいかと」


 東軍に動きがあればただちに美濃方面へ出陣するという約束だったことに加え、三成が出馬を促す書状を送り続けたにも関わらず、輝元は動かなかった。


 毛利家は現代的に言えば保守的な考えを家風としている。現当主の輝元からして天下を狙うような野心はなく、現状の広大な領土さえ守れればいいという考えだという。

 だから真正面から徳川家康と敵対するようなことはせず、輝元の代わりに毛利軍を率いて関ヶ原に参陣している秀元(ひでもと)も、このまま南宮山の上から日和見を決め込むだろう。


 俺もそのあたりの事情を知る者として、なんとか毛利の本軍を大阪から関ヶ原まで引っ張り出せないかと考えた。しかし輝元が大名として三成より数段格上である以上、三成の軍師という立場をもってしても不可能だった。


「分かっている」


 三成はそう返しながらも、手元は筆を走らせている。おそらく最後の一通のつもりで、大坂城宛てに書状を書いているのだろう。


「俺はもはや毛利をアテにしていない」


 しかし言葉と行動が一致していない。

 三成は筆を置くと、書を折り畳み、伝令のひとりに渡した。


「これはあくまでも報告だ。養子とはいえ毛利の一門を討つのだからな」


 アテにならなくとも、西軍の総大将は輝元である。そこで小早川秀秋を成敗する、ということを大坂城に報告しようというのだ。


「毛利はしょせん、大将の器ではなかった。あれはただの馬鹿だ」


 そして吐き捨てるように言った。これには左近もぎょっとして目を見開く。


「殿にしては珍しい物言いですな」

「そうか?」


 三成は嫌いな人物が相手であれば、どんな立場であろうと平気で悪く言う癖がある。しかしただの馬鹿などという暴言は今までなかった。


「毛利は俺たちが負けた場合に備え、家康と直接(ほこ)(まじ)えることを避け、家康に反抗する意思はなかったと言い張るつもりだろう。しかし10万からなる軍勢を率いて大坂城を占拠し、伏見城を攻撃した者が、大一番(おおいちばん)の関ヶ原に参加しなかったからといって(ゆる)されるわけがない。どんな馬鹿だろうと、すこし考えれば分かることだ」


 毛利家としては、関ヶ原で軍事行動を取らなければ、家康の軍勢と直接対決をしたことにはならず、たとえ西軍が負けても所領は残せると思っているのだろう。しかしそれを家康が良しとするはずがない。


「それに日本中の土地を勘定(かんじょう)してみれば分かる。毛利の領土を取り上げなければ、家康は味方に功労(こうろう)として与える領地がないではないか」


 家康に(くみ)した者たちの数を考えれば、三成をはじめとする、西軍諸侯の土地だけではとても足りない。毛利の安芸・広島の120万石が必要だ。

 このような石高の数字に明るい三成からすれば、それが分からない毛利家はもはやただの馬鹿ということになる。


 実際に三成の推測は正しい。

 関ヶ原の後、毛利家は長門・萩の37万石まで減封されている。


「小早川を討てば、南宮山の旗色も変わるだろう」

「そう上手くいきますかな」


 三成は南宮山に布陣した毛利勢が、このまま傍観していては自分たちも攻められるかもしれないと悟り、山を下りて戦ってくれることを期待している。

 一方で左近としては、南宮山にいる3万人がそのまま敵に与するかもしれない可能性を考慮しているようだ。


「権兵衛、そちはどう思う」


 左近にとつぜん名前を呼ばれ、ぎょっとした。特に気配を殺していなかったので、誰かが立ち聞きしていることはバレているとは思ったが、まさか俺がいると振り向きもせず言い当てられるとは。


「小早川を討った後、南宮山の毛利勢はどう動くと考える」

「私は――それでも、動かないと思います」

「ほう?」


 どちらでもない俺の意見に、左近は驚いたようだった。


「味方が徳川の本陣に迫りでもしない限り、動くことはないでしょう」

「なるほど、勝敗が決すれば勝ち馬には乗るが、小早川ごときがいなくなったところで、戦況に影響はないということか」

「はい。むしろこちらの駒が減るわけですから、全体としては不利になります。毛利が動くか否かはその後の戦況次第でしょう」

「ようするに勝てばいい」


 俺と左近の会話に割って入るように、三成が言った。


「それだけのことだ」


 そうだ。勝てばいい。

 少なくとも小早川さえ打ち倒せば、裏切りによって不意を突かれた大谷勢が総崩れになり、大谷吉継が負けたというショックが西軍全体に伝わることはなくなる。

 小早川というイレギュラーがなく、さらに立花勢と丹後田辺諸大名という新たな味方を得た新・西軍が負けるはずがない。


「権兵衛。お主の作戦、誠に見事だ」

「はっ」

「俺は(おとり)だ。たとえ俺や左近が討たれようと、宇喜多勢や大谷勢が必ず家康を討ってくれるだろう。俺の役目はそれでいいのだ」

「殿、それは――」


 左近が何か言おうとしたが、三成が手を挙げて制した。

 左近は自分はともかく、三成に死なれては困ると言おうとしたのだろう。それに関しては俺も同意見だ。俺は三成が生きていたら、どのような国を作ったのか見たくて、歴史を変える決断をしたのだ。


「もちろんこの首をただでくれてやる気はない。太閤殿下の恩を忘れた不忠者どもに、目にもの見せてやろう」


 関ヶ原の合戦は、いよいよ明日に迫っている。

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なによりもモチベ向上、執筆意欲に繋がりますので何卒よろしくお願いします。

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