関ヶ原1
慶長5年(1600年)8月9日。
大垣と赤坂で東西両軍が睨み合いをはじめて1週間が経った。この構図になるのは、史実よりも1ヵ月ほど早い。
大垣城はいよいよ西軍の兵たちで満たされ、入りきらない者たちは城下だけでなく近隣の村や草原といった所まで埋め尽くすありさまだった。
伊勢の攻略を終えた毛利秀元率いる軍勢が、ようやく到着したからだ。
秀元は毛利家現当主・輝元の養子であり、まだ20歳かそこらの若者である。彼は2万の精鋭を率いているものの、その実権は補佐役の吉川広家が握っていると言っていい。ただしこの吉川は東軍に内通して日和見を決め込んでいるので、この2万は存在しないものとして考えなければならない。
毛利軍に続くかたちで安国寺恵瓊の1,800人、長宗我部盛親の6,600人、長束正家の1,500人が続いて入城するも、彼らは三成ではなく毛利軍の指示を受けて動いている。彼らの参戦も期待できない。
とはいえ毛利が到着したことで、美濃に集った西軍は総勢8万人近くになった。赤坂にいる東軍5万人を大幅に上回ったのである。
「いま戦端を開けば、間違いなく勝てるぞ」
毛利軍の入城を天守閣から見ていた宇喜多秀家はそう言った。
いまこの場には、秀家と俺しかいない。三成に言われて毛利軍到着の報告をしに行ったところ、こうして捕まってしまったわけだ。
そういえば秀家は伏見城の戦いで、俺を軍師として迎え入れたいと言っていた気がする。どこまで本気か分からないが、面倒なことになりそうだ。
この場に大将の輝元がいない以上、西軍を率いるのはこの秀家である。
家康の到着を待つべきか、待たずして一戦交えるか。
その判断が、俺と三成を大いに悩ませていた。
「権兵衛もそう思うであろう」
「ええ……ですが……」
秀家に言われて、俺は言葉を濁すしかない。
秀家だけでなく、島津義弘も奇襲すべきだと主張している。このまま家康の到着を待てば、敵の数はこちらと同数近くになるだけでなく、百戦錬磨の家康が指揮する軍勢と戦わなくてはならない。
家康を待ったところで、西軍にとって何ひとつ良いことがないのである。
「しかし今回の挙兵は、家康を討つための戦です」
いま赤坂に布陣しているのは、徳川の軍勢ではない。それどころか豊臣家と関わりの深い大名たちだ。よっていくら相手を蹴散らしたところで、家康を討って豊臣家の安泰を守るという大義名分は達成できない。
「だが、東海道のどこかにいる家康を孤立させることができる」
秀家の言うことも正しい。とりいそぎ目前の東軍を倒せば、家康に付き従う有力大名を削ることになるのも事実だ。そしてこれは俺だけが知ることだが、関ヶ原での敗北という最悪のシナリオを回避することも出来る。
「秀家さまの仰る通り、8万と5万の戦いであれば、間違いなく勝てるでしょう。しかしこちらにもかなりの損害が出ると思います」
「うむ、そうだろうな。敵は名うての猛将が多い」
福島正則をはじめとする、豊臣恩顧の大名たちの強さは、秀家もよく知っているだろう。
「赤坂の軍勢が壊滅すれば、こちらに向かいつつある家康は江戸へ撤退するか、中山道に入って秀忠率いる本軍との合流を狙うと思います」
「徳川軍は……無傷の5、6万か」
「はい。疲弊した我々が江戸を攻めるのは現実的ではありません。いちど大坂城に戻り、おそらく和平を結ぶことになるでしょう」
和平と聞いて、秀家の瞼がぴくりと動いた。家康憎しで好戦的な秀家からすれば、家康を江戸へ逃がしてしまうことの重大さが分かってきたようだ。
「つまり家康を討つ機会を永遠に失うということです」
俺はとどめの一言を放った。
この戦に負けない、ということであればいま戦うのが良いだろう。いくら吉川が内通していようと、この状況では戦わざるを得なくなる。小早川は関ヶ原にいるのでどうしようもない。
しかし肝心の家康を討つことが出来なければ、勝利とは言えない。家康を討つならば、関ヶ原で戦うしかないのだ。
「ならば家康が到着次第、夜襲を掛けるか」
「それもアリですが……」
そこまで言って、俺はもう一度外の様子を確認した。
「毛利軍がああなってしまった以上、厳しいかと」
「どういうことだ?」
先ほど城に入ったばかりの軍勢は、すぐに城を出ようとしている。秀元の軍勢だけでなく、安国寺や長曾我部、長束の軍勢もそれに続くようだ。
「あれはどこへ向かっている?」
「おそらく西ですね」
「西だと? 西にはなにがある?」
「山があります」
史実通り毛利軍は大垣城には滞在せず、南宮山に登るようだ。
「山に登ってどうしようというのだ……」
秀家が悩むのも無理はない。敵のいる赤坂の岡山は小高い丘という程度だが、南宮山はこの辺りで最も高峻な山である。大垣と赤坂で戦闘が始まろうかという今、あえて登るのも下りるのも苦労するような山に登る戦略的な意味はない。
「毛利軍が動かなければ、いま仕掛けるのは困難でしょう」
「毛利の若造も馬鹿なことをしてくれたものだ。これでは家康の到着を待ち、相手の出方を伺うしかないではないか」
この秀家も若いが、朝鮮出兵時に散々苦労している。
よってこれだけ有利な状況にいながら、みすみす五分の条件になるのを待ち、しかも後手に回ることになる危うさを知っている。しかし三成同様、毛利軍を動かす権力を持っていないので、咎めることもできない。
「関ヶ原や垂井方面に布陣している味方を大垣城に呼ぶのはどうか」
「それをすると、敵は大垣城を無視して西へ抜けるかもしれません」
「だが毛利が動かぬ以上、小早川も――」
そこまで言って、秀家がはたと気付いた。
「小早川はどこにいる」
「関ヶ原の南西にある松尾山に陣取ったようです」
「怪しい奴はどいつもこいつも山登りか」
秀家が憎らし気に毒づいた。
高所を取った毛利・小早川の両者に共通しているのは、山の上にいる限り自分は安全ということだろう。両軍の間で戦闘が起こればその戦況を観察し、有利なほうにつこうと考えているに違いない。
「権兵衛、小早川は信用できるのか」
「できません」
俺があまりにもはっきり言うので、秀家は驚きに目を見開いた。
「小早川さまは裏切るでしょうね」
「やはりそうか。では、どうする」
「私に策があります。その際は伏見攻め同様、秀家さまに先陣を切って頂きたく」
「是非もない」
秀家は満足そうに頷き、
「太閤殿下のご恩を忘れた金吾めの首、俺がたたっ斬ってくれるわ」
そう豪語した。
「では早速、我が殿の下へ行き、軍議としましょう」
「勿論よ」
史実だと家康の赤坂到着は、関ヶ原前日の9月14日である。
とはいえ東軍の反転同様に、家康到着が早まる可能性も高い。しかしまだ猶予がある。それならば俺の作戦も、前倒しで行ったほうがいいだろう。
「して、権兵衛はどうするつもりだ」
軍議まで待ちきれないのか、秀家がそう聞いてきた。
「僅かな手勢を残し、全軍で大垣城を出ます」
「なに?」
いま大垣城にいるのは石田、島津、小西、宇喜多、丹後勢の4万人。
「そして山中村に布陣している大谷勢と合流します」
関ヶ原にいる大谷、立花勢は1万人。合わせれば5万人になる。
対して、松尾山にいる小早川勢は1万5,000人。
「全軍で小早川秀秋を攻め、裏切者の首を取ります」
俺が断言すると、秀家は息を呑んだ。
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