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そして関ヶ原へ

 慶長(けいちょう)5年(1600年)8月3日。

 竹ヶ鼻(たけがはな)城、岐阜城が続けて陥落した。


「誤報ではあるまいな」


 落城の報告を受けた三成は驚きのあまり、そう返した。


 石田勢、島津勢、小西勢、そして丹後勢はいま、大垣城に集結している。


 清州(きよす)城攻めが失敗に終わった後、なんとか竹ヶ鼻城まで撤退した俺たちの下に、驚くべき知らせがもたらされた。

 物見(ものみ)の兵が敵の主力部隊を発見したものの、その時に敵はすでに犬山城を攻略し、木曽(きそ)川を渡り終えようかというところだった。

 犬山城は敵の降伏勧告にあっさりと応じ、城を明け渡したとのことだ。


 犬山から岐阜城までは、直線距離にして15kmほどしかない。

 これではその日のうちに、敵が到達してもおかしくはない。


「すぐに全軍をまとめて大垣城まで撤退し、味方の到着を待ちましょう」


 俺は兵を温存するためにそう提案したが、織田秀信は猛反対した。

 俺の案は言い換えれば、竹ヶ鼻城と岐阜城を捨て、美濃の奥地まで撤退しようということだ。岐阜城主としては到底受け入れられる作戦ではない。


「権兵衛殿は我が居城を見捨てるつもりか」


 そう言われても、西軍は10万人近い数がいるのに、美濃にいるのは3万人ほどしかいない。対して敵の主力と清州城守備隊が合流すれば、5万人を超える。数で劣る俺たちが3万人を竹ヶ鼻城と岐阜城、そして大垣城に分散して配置したところで守り切れるはずもないし、伊勢からの援軍は間に合わないだろう。


 それならば2つは捨てて大垣城に集結し、味方の到着を待つのが得策だ。

 これには左近をはじめ、小西行長と島津義弘も同意してくれた。


 しかし秀信は折れなかった。秀信は手切れのような形で竹ヶ鼻城を後にし、5,000ほどまで減った手勢を引きつれて、岐阜城を目指した。


 物見の報告を聞く限りだと、織田軍は岐阜城に到着したところで敵の先遣隊とぶつかり、ほぼ敗走するように入城を果たした。その頃には味方の数をかなり減らされてしまったらしい。

 結局史実通り、織田軍は万全の状態で籠城戦をすることが出来ず、2日と持たずに岐阜城は陥落してしまった。秀信は織田信長公の孫ということで、命は助けられたらしい。これも史実通りである。


「権兵衛、珍しく目測を見誤(みあやま)ったようだな」

面目(めんぼく)次第(しだい)もございません」


 三成の言う通り、俺は東軍の到着時期を見誤った。正確には見誤ったというより歴史が変わっていたというべきだが、当然そんなことを言っても伝わらない。


「良い」


 頭を下げた俺に、三成は普段通りの表情を浮かべたまま、短く言った。


「責任はあまりにも兵力を分散しすぎた俺にある」


 西軍は軍を5つに分けていたが、これには三成なりのねらいがある。西軍は数の上では勝っているものの、寄せ集めの集団に過ぎない。西軍諸侯を一致団結させるには、戦場で戦ってもらうしかない、と三成は考えた。そこで取るに足らぬ小城であろうと兵を向け、西軍全体に連帯感を植え付けようとしていたのだ。


 三成の考えは間違ってはいない。味方の士気を上げるという意味でも、小さな勝利を積み重ねることは重要だった。しかし予想外の早さで敵が美濃に到着し、岐阜城を落とされてしまったのは、それらを帳消しにしてしまうほど重い。


「一刻も早く、あらゆる軍勢を大垣周辺に集めなくてはならないが……」


 三成はそこまで言って、顔をしかめた。北陸の大谷吉継、伊勢路の毛利と宇喜多、そして大坂城の総大将・毛利輝元に直ちに美濃で集結するように伝令を送ったものの、どの軍もいまだ到着していない。


 一方で、岐阜城を落とした東軍はそのまま西へ進軍し、現在は大垣城から見て北西にある、赤坂の岡山という小高い丘に布陣している。敵の数は5万から6万、あるいはもっと多いかもしれない。


「まさかこれほどの者が、家康に(くみ)するとは……」


 三成からすれば敵の到着が早かったことに加え、豊臣恩顧(おんこ)の大名が家康の下から離れず、そのまま付き従って西へ攻め登ってきたことが誤算だったようだ。


 さらに悪い報告は続き、警戒するように頼んでおいたはずの京極高次(きょうごくたかつぐ)が監視の目を盗み、大津城に立て篭もってしまった。史実ではこの対応に追われた西軍は1万5,000人の兵を費やし、関ヶ原に投入することが出来なかった。


 とはいえ、俺は裏切りを防げなかったケースを想定し、事前に高次が裏切った場合の対処法を、三成を通して輝元にお願いしていた。

 それは大津城攻撃を輝元の叔父にあたる毛利元康(もとやす)の軍勢に任せ、抜けた高次の代わりに、立花宗茂(たちばなむねしげ)を大谷吉継の北陸軍に迎えるというものだ。


 北陸軍はすでに美濃へ向かってくれているはず。立花もいるだろう。史実では戦いにギリギリ間に合わなかった立花が関ヶ原に参戦するというのは大変心強い。立花が吉継のそばにいるとなっては、小早川(こばやかわ)秀秋(ひであき)も裏切りを躊躇(ためら)うはずだ。

 

「敵はなにを待っていると思う」


 ここ大垣城からは、岡山にいる敵がよく見える。向こうからも同じだろう。敵は山の上からまったく動く気配がない。


「家康の到着でしょう」

「会津征伐を()めてまで来ると思うか」

「間違いなく」

「信じられん」


 三成はそう言って、(かぶり)を振った。


「権兵衛の言った通り、上杉はやはり追撃できなかったということか」

「はい」


 三成と盟約を結んだ上杉景勝(かげかつ)は、撤退する敵を追わなかった。

 会津征伐の主力を(にな)うはずだった軍勢が、そっくりそのままここに到着しているというのがその証拠だ。ここに総大将の徳川家康率いる軍勢が加われば、いよいよ関ヶ原の東軍が完成する。


「家康の到着を待って、城攻めに及ぶか」


 三成は憎らし気に言う。大垣城の守備兵は2万人を超えているものの、赤坂にいる敵に家康の本隊が合流すれば、抗えないほどの大軍になってしまう。加えて大垣城は平地にあってそれほど強固な城ではないため、援軍は間に合わないかもしれないと考えているのだろう。


 敵が家康の到着を待っているのも、実際に家康が来るのも現実になる。

 しかし敵がそのまま全員で大垣城を攻めることはしない。


「その可能性は低いと思います」

「ならばどうする」

「家康が到着し次第、すぐに西へ向かうかと」

「大垣城を無視すると申すか」

「はい」


 家康は城攻めが苦手だったとされている。またこの場で時間を費やせば、味方から寝返り者が出るかもしれない。家康の望みは得意の野戦(やせん)。それも短期決戦だ。


「佐和山を攻めると見せかけて、俺たちを誘い出そうというのだな」


 三成からその台詞が出たのは、正直意外だった。

 史実では家康が三成の根城である佐和山城を攻める素振りを見せたことで、慌てた三成はまんまと大垣城を出てしまった、と記されている。

 しかし実際の三成は、家康の策略に気付いていたらしい。


「その手には乗らん。もうじき北陸・伊勢・大坂から味方がぞくぞくと集まって来る。大垣から垂井、そして関ヶ原に至るまでの要所を総勢10万人もの兵力で固めれば、いかに家康とて易々と動けまい」


 ついに三成から関ヶ原という言葉が出て、どきりとする。

 しかし三成は関ヶ原を主戦場とは考えておらず、あくまでも家康が西へ進むのを防ぐための関所のひとつとして考えていたということか。


「お味方の到着が早いか、家康の到着が早いかですな」


 そこで俺の隣にいた左近がはじめて口を開いた。


「家康は6万人もの軍勢をふたつに分け、半分を嫡男の秀忠(ひでただ)に預けて中山道(なかせんどう)を進ませ、本人は東海道を西へ進んでいるとのこと」

「中山道……ということは、信州(しんしゅう)を通るのではないか」


 ずっと曇っていた三成の顔が、はっと明るくなった。


「信州上田城には真田(さなだ)昌幸(まさゆき)がいる」

「御意。必ずや、秀忠の軍勢を食い止めてくれるでしょう」

「それは朗報(ろうほう)だ」


 これは希望的観測ではなく、実際に真田は秀忠率いる3万5,000の軍勢をことごとく翻弄(ほんろう)し、関ヶ原に間に合わなくさせるという大戦果をあげている。


「朗報といえばもうひとつ」

「なんだ」

「毛利・宇喜多の軍勢が、安濃津(あのつ)城、松坂(まつざか)城、長島(ながしま)城を陥落させ、美濃へ向かいつつあり。先遣隊の宇喜多秀家殿は今晩にも大垣に到着するとのことです」

「してやったり!」


 三成が喜びの声を上げるのも無理はない。

 宇喜多秀家は西軍全体の副将であり、1万7,000人もの大軍を率いている。三成が最も頼りにしている味方である。


「また大谷吉継殿、立花宗茂殿も、すでに近江(おうみ)入りしているとのこと。大垣城には向かわず、関ヶ原の山中村に布陣するようです」

「うむ。それがいいだろう」


 視野の広い吉継は、大垣から関ヶ原にかけて西軍で固めたいという三成の方針を見抜いているということだろう。流石は吉継だ。


「また、病を理由に彦根(ひこね)に滞在していた小早川秀秋殿が近々美濃入りするとのことです。これも大谷殿と同じく、関ヶ原に布陣するとのこと」

「上々だな」


 三成は味方が美濃に集結しつつあることにひとまず安堵(あんど)しているようだが、俺的にはかなりよろしくない状況だ。

 俺の予定では東軍到着までに清州城から先を攻略し、主戦場を関ヶ原にしないようにするつもりだった。戦場が変われば、小早川の動向も変わると読んだからだ。


 しかし結果として、史実にかなり近い状態になりそうだ。

 それならそれで考えがある。小早川の裏切りは西軍敗北に直結する出来事だけに、防ぐ手立ては一番頭を使って考えていたことだ。

 

「後は総大将の輝元殿が到着すれば、いよいよ決戦となるだろう」

「…………」


 三成の誤算はまだある。輝元は三成との約束を反故(ほご)にし、大坂城から動かない。よって西軍は総大将不在のまま戦うことになってしまう。


 とはいえ、こうなることは俺も予想していた。三成の家臣という身分では、毛利を動かすことは出来ない。それでも丹後勢や立花宗茂など、史実ではいなかった戦力を関ヶ原に参戦させることには成功している。


 そして俺には、自動車がある。

 軍師として、ある程度の布陣や作戦を決めることができる権限もある。


 手札は揃った。

 あとは、ここからどうやって西軍を勝たせるか。


 いよいよ、関ヶ原の戦いが始まる。



破  了

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