殿(しんがり)ドライブ
俺はすぐさま全体に撤退命令を下した。
しかしこちらは3万人以上の大軍だ。隊列には足軽ばかりではなく、旗持ちや騎兵もいれば、兵糧を積んだ牛車もある。撤退しろと言われても、その場で反転するのも時間が掛かる。
「織田軍を先頭にしたのが仇になったな」
こんな状況だが、左近は変わらず冷静だ。
織田軍は一刻も早く岐阜城に戻らなければならないが、先頭だった織田軍は反転を決めたことで、いまや最後尾に変わった。
そして赤と金で揃えた集団の足並みは悪く、敵に追いつかれつつある。
清州城から打って出た敵はおそらく5,000から6,000ほどで、織田軍と同数だろう。誰が率いているのか分からないが、果たして秀信で対応できるか。
「権兵衛、ここが正念場だ」
「はい」
左近の言う通り、ここが俺にとっての決戦地になるかもしれない。
「伝令。物見隊を周囲に走らせてください」
今は一刻も早くここから撤退して美濃へ戻らなければならない。それと同時に、周囲の状況を把握することも必要だ。
敵の別働部隊をいち早く見付けなければならない。撤退する俺たちを狙うか、それとも城を狙うか、そもそもそんな敵は存在しないか。場合によっては竹ヶ鼻城へ戻ることは諦め、もっと南のルートから大垣城を目指すことになるだろう。
「頭は冷静なようだな」
左近は感心したように言い、すぐに表情を引き締めた。
「儂は半数の兵を連れ、最後尾へ戻って指揮をする」
「いえ、逆です。島様には全体の撤退指揮を」
この大軍をまとめてスムーズに撤退させるには、左近の力が必要だ。
小西勢と島津勢は放っておいても上手く動いてくれるだろうが、寄せ集めの集団に過ぎない丹後勢をまとめ上げる力は、俺にはない。
「なに、権兵衛が殿を務めるというのか」
殿とは撤退する軍隊の最後尾に位置し、追って来る敵を防ぐ役目だ。退きながら戦うことは何よりも難しい。だから左近が名乗りを上げたわけだが、殿は最も危険な役目だ。ここで左近と石田勢の半数を失うわけにはいかない。
なにより、俺には最終兵器がある。
「ここは車の出番でしょう」
「ここでやるのか」
「はい。島様の言う通り、ここが正念場です。もう隠す必要はありません」
「うむ……」
左近の葛藤が手に取るように分かる。
わが軍が窮地に立たされている以上、ここが正念場であることに間違いはない。しかし敵はいま最も倒さなくてはいけない徳川家康ではない。なのに石田勢の切り札である車を敵に見せ、捕縛されるようなことになれば最悪だ。
車のメリットは、初見殺しにある。
人の乗った鉄の塊が突っ込んでこれば、どんな猛将だろうと混乱する。しかしここで東軍相手に見せてしまえば、次に見たときは向かってくるかもしれない。
だからここで車の存在が露呈するのは、正直痛い。
でもやるしかない。
「権兵衛、必ずや竹ヶ鼻で会おうぞ」
「はい。大垣城への伝令をお願いします」
「もちろんよ」
三成はこの戦いに参加せず大垣城に残り、美濃・尾張でまだ東西どちらにつくか明らかにしていない大名の説得に当たっている。
三成に東軍の先遣隊がすでに清州まで迫っていることを伝えなければならない。このままだと、関ヶ原が史実よりも10日以上早くなる可能性がある。
「権兵衛」
「はい」
「みすみす死ぬな。殿にはお主が必要だ」
殿を引き受け、自分の命と引き換えに味方を逃がす。
いかにも武士らしい死に様で、それを名誉とする者もいるだろう。
だが俺はただの大学生だ。こんなところで死にたくはない。
「重々、心得ております」
「ならば良い」
「ではまた」
「ああ。ではまた」
これが今生の別れではないので挨拶もそこそこに、俺は踵を返して車の下へ走った。後部座席に並んで座る双子姉妹は何が起こっているのか分からないといった顔をしているが、構わず中に入って速攻エンジンを掛ける。
「先輩、なにがあったんすか?」
「仕事だ」
まずは撤退の邪魔にならないよう、横の畦道に入る。
「足を止めるな!」
兵たちは突如動き出した車に驚いて足を止めたが、左近がすぐさま怒号を発した。兵はすくみ上り、慌てて撤退を再開する。
前方を見ると、すでに織田軍は敵と交戦していた。
そのまま飲み込まれるようなことはなさそうだが、敵の方が勢いがあるようだ。織田軍には行軍の疲れと、突然撤退が決まったことで浮足立っている節がある。
ここは敵の勢いを止め、織田軍が立て直す時間を稼がなくては。
「揺れるぞ」
一言そう断って、俺は畦道をそのまま走り出した。
道は車一台分のスペースしかなく、また田んぼの作業に使う牛車が頻繁に走っているせいか、道はでこぼこで酷い有様だ。ずっとハンドルを握っていなければ、そのまま左右どちらかの田んぼに滑り落ちてしまうだろう。
車の入れそうな畦道を見つけ、さらに曲がる。これで大きく迂回するルートで、敵の軍勢の横っ腹をつけるはずだ。
「まさかこのまま突っ込むんすか!?」
「ああ。喋ってると舌噛むぞ」
「ウタ、シートベルトして!」
このやり取りで、三成襲撃事件から逃げた時のことを思い出す。
俺はまたあれをやらなければならない。しかもあの時は敵の数が十人程度だったが、今回は5,000人以上が相手だ。
しかも今回は相手に銃があり、銃弾が飛んでくる可能性が高い。
「伏せて体を丸めてろ」
短くそう言って、アクセルを踏む。下の道が悪いせいで、車が信じられないくらい上下に揺れる。年季の入ったジェットコースターに乗っている感覚だ。
清州城から攻めて出た東軍は、勢いのままに織田軍を蹂躙している。
織田軍としては6,000を二つに分け、ひとつはこの場から撤退して岐阜城を目指そうと全力で駆けている。おそらくそちらに秀信がいるだろう。
残りの3,000はこの場に残り、家老の木造か百々のどちらかが率いて戦っているようだが、ぱっと見ただけでも相手が倍以上いるので旗色が悪い。秀信のいる本隊は無事に逃げ切れそうだが、この3,000はここで失うことになるかもしれない。
「先輩、前方の敵に気付かれてるっす!」
「そりゃそうだろ」
こんな爆音でエンジン音を吹かせて高速で動いている車が、見つからないわけがない。後方で控えている敵兵が動揺し、こちらを指さしているのが見える。敵からすれば、でかいクマやイノシシかなにかに見えているんだろうか。
「このまま突っ込むぞ」
「えぇ!?」
俺の提案に、さすがの文羽も驚きの声を上げた。
畦道をなんとか走破した俺たちは、敵の最前線と味方の最後尾がぶつかり合っているところの、ちょうど真横にいる。そんな人が押し合い圧し合いしているところに車が猛スピードで突っ込めば、大惨事になるだろう。
「先輩、あそこに突っ込むんすか?」
「いいや、違う」
必死に防戦している織田軍も巻き込むことになるので、それは出来ない。
「俺たちが狙うべきは、戦いが起きて敵と味方が入り乱れているところではなく、織田軍を包囲しようと横に展開している敵部隊だ」
「そんな動きはありませんが……」
「見てろ。じきに敵の後列が動く」
すると言ったそばから敵の後列に控えていた一団が、するりと抜け出した。彼らは前線の戦闘を無視してひたすら足を動かし、頃合いを見て織田軍の後列に横から斬りこもうとしている。
「なんで分かったんすか!?」
それほど驚くことじゃない。この場に残った織田軍は敵の半分程度しかいないので、敵からすれば包囲するのが得策だ。しかも敵は逃げながら戦わなくてはならない、殿の役目を負っている。この場合後ろの一方向から攻められるだけでも苦しいのだが、左右からも攻められると何倍も苦しくなる。
「相手の嫌がることをするのが戦だ」
「先輩、コーメイみたいっす!」
時代が違うだろう、と突っ込んでいる暇はない。
敵が味方の横っ腹を突く前に、俺はアクセルペダルを踏み込んだ。
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