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反転

 慶長(けいちょう)5年(1600年)7月31日。

 竹ヶ鼻(たけがはな)城に織田秀信(ひでのぶ)率いる6,000の軍勢がようやく到着した。


「やあ権兵衛、会いたかったぞ」


 城門で出迎えた俺の姿を見た秀信は、馬上からにこやかに話しかけて来る。


 しかし俺は笑顔を返すことができない。織田軍の動きがあまりにも遅すぎて、石田勢は5日間以上も竹ヶ鼻城で足止めを食らっていたからだ。

 竹ヶ鼻城に到着した俺はすぐ織田軍に伝令を送ったが、返事は「(しば)し待て」といった簡素なものだった。ここと岐阜城はそれほど離れていない。にも関わらずどれだけ待っても織田軍は姿を現さず、今日になってようやく到着したわけだ。


 本来なら尾張に進出し、とっくに清州城を攻め落としていたはずなのに。


「ずいぶんとお早いご到着ですね」


 俺が嫌味を返したことで、横にいた左近や文羽がぎょっとしてこちらを見た。

 信長公の孫になんて態度を取るんだ、と言いたいんだろう。

 一方で詩羽は俺の皮肉が気に入ったのか、声を殺して笑い始めた。


「いや? ずいぶん待たせたのではないか?」

「…………」

「……くくっ」


 美濃でずっと暮らしている秀信に、京風の皮肉は通じないらしい。

 詩羽はいよいよ声に出して笑い始めた。


「その格好が遅れた理由ですか」

「まさしく」


 俺の言葉に、秀信は悪びれるどころか自慢げに胸を張って見せる。

 秀信が身にまとった甲冑は、赤を基調としてあちこちに金色の装飾が施されており、もはや実用的と言うよりも宝物や観賞用の類だろう。

 さらに秀信だけでなく、後ろに続く軍団も赤と金色で甲冑を揃えている。さすがに秀信のような装飾はないが、これだけ色が揃っていると壮観だ。


 秀信が東軍の会津征伐に間に合わなかったのも、こうして西軍の行軍に遅参(ちさん)したのも、これだけの数を用意できなかったせいだろう。


 ちなみに赤も金も、信長が好んだ色とされている。

 たしかに遅れたことは腹立たしいが、おそらくこれほど美しい武将は、長い戦国時代のなかでも、織田秀信を除いていなかったのではないだろうか。


 秀信が武将としてどれほど戦えるのかは知らないが、こうして見るとやはりさすがは信長の孫、と思ってしまう。


「待たせて悪かったな。早速出陣いたそう」

「休まなくてよろしいですか?」

「無論じゃ。むしろ先陣を切って武功をあげてみせよう」


 ここで秀信が休みたいと言ったところで、俺たちはいつでも出立できるような状態にある。あと半日でも到着が遅ければ、織田軍抜きで戦を始めていたところだ。

 実際に、左近は先に始めることを提案してきた。


 しかし織田軍を攻め手に加えたのは、いちど絶対有利な状況で岐阜城の外で戦わせておいて秀信に満足させ、今後東軍が美濃へ進軍してきた際に、籠城策を採用してもらえるようにしたかった、というねらいがある。

 なので織田軍が到着する前に清州城が陥落してしまっては意味がない。さらには織田軍だけでも先へ進むと言い出し、石田勢の動きも乱れてしまうだろう。


 だから俺たちは無駄な時間を費やすしかなかったのである。


「では、織田軍を先頭にして移動しますか」


 ようやく竹ヶ鼻城を出立できるとなっても、すぐに開戦とはいかない。

 この大軍が木曽(きそ)川を渡り切るには時間が掛かるだろう。なんなら俺は車で渡り切れそうな浅瀬(あさせ)を探して走り回る必要もある。

 全軍による清州城の包囲が完了するのは、明日の昼過ぎになってしまうかもしれない。


 西軍にとってこの遅れが致命的な敗因だったと、後の歴史書で語られることにならなければいいが。


「見張りからの知らせはありませんか」

「今日はそういえば来ておらぬな」


 俺に言われ、左近は思い出したように言う。

 主要な道路には数名の部下を配置しており、なにもなくても毎日ひとりは報告に戻るよう指示してある。定時連絡を怠っているということか。


「まあ、問題ないだろう」


 左近の言う通り、東軍はまだ関東のどこかにいるはずだ。

 焦るのはこれから攻める清州城に時間が掛かった時でいい。


「先を急ぎましょう」


 今はともかく清州城を落とし、遅れを取り戻すことだ。





 そして翌日の8月1日。

 清州城に到着した俺たちは、目を疑った。


「多い……」


 自然と口からそんな言葉がこぼれた。清州城の守備兵は少数だと思っていたが、どう見ても1万人以上はいる。しかも城に入りきらない軍勢が城壁の外にまで溢れ、城をぐるりと何重にも取り囲んで布陣していた。


「権兵衛、話が違うではないか」


 昨日まであれだけ先陣を切ると息巻いていた秀信が、軍勢を置いて前線から離れ、ひとりで俺のいるところまで引き返してくる始末だ。


「敵は少数ではなかったのか」

「城内にどれだけの兵がいるか分からぬが、総勢1万は下るまい」


 さすがに左近は冷静で、状況把握に努めている。


 清州城の城主は福島正則(ふくしままさのり)だが、会津征伐のために6,000人を率いている。福島は24万石なので、城に残せるのは多くても1,000人程度のはずだ。

 それが10倍以上いるなんて、どう考えてもおかしい。


「伝令!」


 そこへ丸に十字の旗印をつけた兵がやって来る。島津か。


「物見の報告によりますれば、敵は福島だけでなく、池田(いけだ)輝政(てるまさ)黒田(くろだ)長政(ながまさ)田中(たなか)吉政(よしまさ)らの旗印も見えたとのこと!」


 そして俺にとって、絶望的な情報が舞い込んでくる。

 馬鹿な。東軍の主力となった面々じゃないか。


「権兵衛、敵は会津征伐の途中ではないのか?」

「そのはずです……」


 しかし福島や池田らの総勢が1万というのは数が合わない。岐阜城を攻めた東軍は5万人近い人数だったはずなので、あれは先遣隊だろう。もしくは隊をいくつかに分けて、周辺の城に配置しているか。


 どちらにせよ東軍がこんなところにいるということは、史実よりもずっと早く反転し、大坂を目指して攻め上がってきているということだ。


「どうやら万が一が起こったようだな」


 左近はそう言って、馬を前に進めた。


「戦に不測の事態は付き物。こういう時にこそ、軍師が試される」

「…………」

「権兵衛。戦うか、退くかだ」


 その通り。だがその判断が難しい。

 敵は1万人。この3万以上で攻めれば、負けることはないだろう。しかしその1万というのは、ここから見えているだけの数字だ。あれが清州城防衛のために送られた先遣隊であれば、もうじき数万からなる本隊が到着するだろう。

 1万人の守る城を3万人で攻めても、すぐ落とせない可能性が高い。敵の援軍に背後を突かれるようなことになれば、全滅してしまう。


「……竹ヶ鼻城まで撤退しましょう」


 それしかない。ここで3万以上の兵力を失い、左近や島津といった武将を失えば、西軍にとってとんでもない打撃になってしまう。関ヶ原どころの話じゃない。


「なに、味方の数は有利ではないのか?」


 先ほどはビビっていたくせに、秀信が反論してくる。

 正直こいつと議論している時間も惜しい。軍の動きは鈍いので、すぐに指示を出さないと手遅れになってしまう。


 馬鹿には何を言っても無駄なので、左近に指示を――

 いや待て。それでは三成の失敗と同じじゃないか。

 

「敵は数万からなる別動隊がいます。私が敵側の軍師ならば、城攻めを開始したところで背後を突くか、それ以上に効果的な一手を打ちます」

「それ以上に効果的だと?」

「はい。我々のいない間に岐阜城と大垣城を攻め落とすのです」


 岐阜城と聞いて、秀信の顔がすっと青ざめた。

 秀信は織田軍の大半を前線に連れてきている。守備兵はほとんどいないはず。

 我々のいた大垣城もそうだ。まさか周囲に攻めるような軍勢がいると思っていなかったので、数百人程度しか置いてきていない。


「それはいかん。いかんぞ、権兵衛!」

「ええ。なのですぐに撤退しましょう」

「で、あるか」


 秀信はすぐに前線へ引き返してゆく。自分たちの軍勢が先頭にいることが恐ろしくなったのだろう。まったく、頼りになる信長の孫だ。


「権兵衛、お主の考えは分かる。敵の正確な数も場所も分からない以上、城攻めは無謀(むぼう)そのもの。儂や殿も同じ判断をしたであろう」


 左近は淡々と言葉を(つむ)ぐ。


「しかし我々に残るのは、これだけの大軍を動かして、敵の数を見て逃げ出した、という事実だ。これは味方の士気(しき)に大きく関わって来る」


 その通りだ。俺たちは数で有利なのにも関わらず、戦わずして逃げた。

 敵の増援や別動隊を警戒して退くのは当然のことだが、それでも兵士たちからすれば、上の判断は腰抜けだと思うだろう。


「しかしここで時間を費やしてしまうと、その間に岐阜城や大垣城が危ないというのもまた事実。この場は逃げの一手しかあるまい」

「はい……」

「伝令。このまま来た道を戻るぞ」


 左近が伝令を呼んだどころ、入れ替わるように別の伝令が駆け込んできた。


「敵が城を出て、こちらに攻めてきます!」

「そら来たぞ」


 その報告を受けた左近は嬉々とした表情で、槍を構え直した。


「我らの撤退を感じ取ったか。さすがは福島よ」


 俺たちはまだ軍の向きを変えることも出来ていないのに、敵はこちらの動きを察し、チャンスだと攻め掛かって来た。こちらとしては最も嫌なタイミングだ。

 余裕ムードだったのが、たったの一手でピンチになった。


 これが本物の戦か。

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