一気に清州城
佐和山城へ戻った俺は、ひとまず自分の部屋に戻って仰天した。
「……なんだその頭」
こっちに来て以来、髪が伸び放題だった双子姉妹が、ふたりともいつの間にかショートカットになっていた。
「見て分からないっすか? 切ったんすよ」
「ふたりでお互いの髪を切りました」
そういえば詩羽なんかはなんでお城に美容院がないんすか、と理不尽にキレていた気がする。結局自分たちで切ることにしたらしい。
「どうっすか?」
「意外と似合うな」
正直な感想だ。高校時代ふたりはずっとボブで、こっちに来てからは腰よりも長いロングになっていた。それもなかなか似合っていたので惜しい気もする。
でも髪を切るにしたって、いきなり肩より高い位置までばっさり切ってしまうのは、思い切りが良すぎるんじゃないか。
「髪のケアが出来ないんで、こっちのが楽っす」
「シャンプーもリンスもないからなぁ」
この時代に洗髪料の代わりとして使用されたものは、水に灰を溶かしたものや卵の白身など、現代人には抵抗のあるものばかりである。
その中でどれが一番マシなのか、俺が犠牲になって検証した結果は粘土だった。現代にもクレイシャンプーがあるくらいだし、使ってみると意外と悪くない。
「現役JKに戦国時代はキツいっす」
「ていうか現役じゃないけどな」
「卒業してないんで現役ですよ」
「二度目のLJKっす」
「なんだか矛盾している響きだな」
それを言ったら俺は大学入って初年度に留年している親泣かせな身の上だが。
「それにこれなら、遠目には男に見えなくもないっす」
「戦場に出るなら、こっちのほうが良いと思いまして」
「……本気なのか?」
ふたりがいつもと変わらない口調でそう言ったので、つい聞き返してしまう。
これはふたりよりひと足先に、実際の戦場に立ったからこそ言えることだが――映画やゲームなどとは違う。年齢的に高校を卒業したばかりの女子にはいるだけで辛いだろうし、いくら車の中とはいえ安全の保障はない。
「佐和山にいてもつまんないっす」
「関ヶ原で負けたらここも終わりだしね」
文羽はあえて明るい声を出していたが、関ヶ原で西軍が壊滅した後の佐和山城の戦いは、長い戦国時代でも悲劇のひとつだ。落城の憂き目にあった際、谷へ多くの婦女子が身投げし、その谷は女郎墜や女郎ヶ谷なんて凄惨な名前が残っている。
「この時代に安全な場所なんてありませんから」
「だから先輩と一緒に、関ヶ原で戦うっすよ」
「お前ら……」
攻め側で比較的安全だった伏見城の戦いですら、俺はビビっていた。
しかしこのふたりは、すでに覚悟を決めているようだ。
「分かった。これからは車を隠す必要もないし、一緒に行動しよう」
俺の言葉に、ふたりは力強く頷いた。
◆
慶長5年(1600年)7月24日。
大坂から、三成と左近が6,000の兵を率いて佐和山に帰って来た。
後から小西や島津、そして丹後田辺の諸大名合わせて2万人が加わると佐和山城と城下の宿場だけでは兵が溢れてしまうことになるので、周辺の寺院や美濃の垂井にまで散りばめる必要があった。
この総勢2万6,000人が三成の実行物隊になるだろう。
いや、正確には2万6,000人プラス自動車一台と、現代人が3人だ。
「これどうっすか?」
「…………」
そして俺の車には、ボンネットの部分に白字で「大一大万大吉」と描かれてある。今後は石田勢を含めて他の西軍にも見られることになるので、この得体の知れない物はひとまずは味方ですよ、というアピールである。
確かにひと目で分かりやすいが、これはなんというか……
「日本最古の痛車ですね」
「冷静に言うな」
グッバイ、俺の愛車。こんにちは三成推しの痛車。
見てくれはともかく、これで俺たちが車に乗って従軍する準備は整った。
そして翌7月25日に、石田勢は美濃方面へ向けて進軍した。
先頭を行くのは、石田隊の第一軍を率いる島左近である。俺たちは乗車して左近の旗印を掲げた一団の後ろに混ざり込み、徐行で進むことにした。
初めて見る自動車の存在に味方は混乱したものの、しばらく歩いているうちにあれは新しい籠のようなものだと思うことにしたらしい。
「儂もくるまで移動がしたかった」
俺たちの後ろには、騎乗した左近が騎馬隊を率いている。先を行く俺たちに、そんな軽口を叩いてきた。
今後の戦略については、俺の策が採用された。
まずはすでに西軍入りを表明している大垣城に入り、そこから揖斐川、長良川と渡って竹ヶ鼻城に入る。現在の羽島市がある位置だ。新幹線の岐阜羽島駅がある辺りと言えば分かりやすいか。
そこで信長の孫、織田秀信率いる織田軍と合流した後に、木曽川を渡って一気に清州城へ攻め入る、というものだ。
近くにある犬山城からも援軍が来る予定なので、石田勢は最終的に3万5,000人近くに膨れ上がるはず。攻め落とすのにそう時間は掛からないだろう。
清州城を奪えば、会津から反転して美濃入りを狙う東軍の足並みを大いに乱すことが出来るはずだ。
それに7月25日といえば、東軍は遠く離れた関東で小山評定を行っているあたり。それこそ現代のように東海道新幹線に乗らない限り、清州城陥落までには到底間に合わないだろう。
大垣城に入った夜、俺と左近は二人で清州攻めの作戦を練ることにした。
俺は各大名に見立てた将棋の駒を動かして説明する。
「先鋒は織田、小西、島津の隊に争って頂きましょう」
「また味方を競わせるのだな?」
ついに出番ということで秀信は大いに張り切っているし、島津は元からのバリバリ戦闘民族であり、小西だって存在感を放ちたいと思っているはずだ。
「石田勢はその後方で、どっしりと構えていれば良いかと」
「丹後勢1万5,000はどうする」
「各隊に分散して、厚みを増してもらいましょう。特に島津義弘は猛将ですが、いかんせん寡兵です。島津勢に多く配属させましょう」
「うむ。そうなると気にかかるのが、敵の動きだな」
左近の言う通り、清州から東側は東軍についた大名の所領ばかりだ。俺としてもどこに城があって、どんな大名がいるのかも完全に把握しきれていない。もしかしたらノーマークの軍が現れて、城攻めの背後を取られてしまうかもしれない。
一応軍が通れるほど大きな道路には見張りを配置するよう三成に頼んであるが、万全を期すには警戒しておいたほうが良いか。
「石田勢はなるべく広がって、後方警戒にあたりましょう」
「うむ、我らはまたしても後詰めか……」
やはり左近は不満そうだが、なるべく石田勢の人数を減らしたくはないし、左近には間違ってもこんなところで死んでもらっちゃ困る。
「万が一、東から会津征伐軍が現れたらどうする」
「万が一にもないと思いますが……」
地理的に、そしてこの時代の移動速度的に考えて、絶対に間に合わないはずだ。
もし東軍が来るようなことがあれば、小山評定は存在しなかったとする新説が正しかったことになり、東軍はもっと早い段階、つまり江戸よりも遥か手前で引き返していたことになる。
タイミング的には三成挙兵の知らせを受けてすぐ反転しなければ、清州にまで到達することはないはずだ。
「その万が一にないことも起こり得るのが、戦よ」
「…………」
歴戦の勇者である左近に言われると、本当にあり得るかもしれないと思ってしまう。もし清州攻めを初めたタイミングで敵に来られると、西軍は史実と同じくらい窮地に立たされてしまう。
家康の本隊を除いても東軍は5万人を超えているはずなので、石田勢は大名の数でも兵士の数の上でも不利だ。しかも背後を襲われたらひとたまりもない。
おまけに大谷吉継は北陸、西軍主力の毛利と宇喜多は伊勢にいる。これらの軍勢に応援を要請したとして、仮にそれぞれの戦闘を即座に切り上げることが出来たとしても、美濃・尾張に到着するまで1週間近くは掛かるのではないか。
なんなら史実よりも旗色が悪くなってしまう。
「情報収集はしっかりしましょう」
「そうだな」
そう結論付け、ふたりだけの軍議は終わった。
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