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歴史オタクの軍師

 伏見城攻めに参加していた西軍諸侯は一度大坂城に戻り、秀頼と輝元に対して戦勝報告を行った。特に一番乗りを果たして多くの敵を討ち取った宇喜多秀家には、秀頼から褒美も与えられた。

 東西のどちら側にも加担しない、と表明しているはずの豊臣家が褒美を与えるのはおかしな話なので、あくまでも武功を称賛するという形式を取っている。


「天下の名城たる伏見城を僅か2日で陥落せしめたるは、幸先良(さいさきよ)し」


 総大将である毛利輝元(もうりてるもと)は、相変わらず扇子(せんす)をあおぎながら満足そうに言う。


「三成殿、次はどうする」


 そして大名たちから少し離れたところにいる三成に、そんなことを聞く。

 輝元はあくまでも形式上の大将に過ぎず、西軍を結成したのは三成であり、西軍を全体的に動かしているのも三成だ。

 それにしても、ここまで人任せなのはどうかと思うが。


「京・大坂一帯の地盤を固めた後に、東へ進軍すべきでしょう」


 三成が立てた作戦はこうだ。

 西軍を大きく5つの軍団に分け、それぞれの地の平定を目指す。


 1つ目は、大坂城で待機

 2つ目は、丹後田辺(たんごたなべ)城を包囲(現在の京都府・舞鶴市)

 3つ目は、北陸方面へ進軍(現在の福井・石川県)

 4つ目は、伊勢方面へ進軍(現在の三重県)

 5つ目は、美濃・尾張方面へ進軍(現在の岐阜・愛知県)


 そして2つ目から4つ目の軍団はそれぞれ役割を果たした後に、美濃・尾張へ進軍した5つ目の隊と合流。

 尾張からその先は東軍についた大名の根城ばかりなので、それらを落としながらさらに東へ進軍し、会津征伐の最中にある家康の背後を強襲する。


 大名の細かい割り振りなども三成は考えていたようで、同時に発表してゆく。俺が聞いたことのない名前が多く、歴史に名前は残さずともこれほどの大名が西軍にいたのかと驚かされる。


相分(あいわか)かった」


 三成の説明が終わると、輝元は扇子を閉じ、短くそう言った。

 意見を言うこともしないらしい。やれやれだ。


 こんな感じで毛利家の軍事面は吉川広家(ひっかわひろいえ)、外交面は安国寺恵瓊(あんこくじえけい)に丸投げしているのだろう。今回西軍の総大将になったのも安国寺に言われたからに過ぎず、そして西軍を裏切って独断で家康と不戦協定を交わしたのも、吉川に言われるまま従っただけなんだろう。まったく、これが実質日本ナンバー2の男とは。





「輝元殿に美濃方面へ出馬していただくわけにはいきませんか?」


 軍議を終えた三成を捕まえ、ダメ元で聞いてみた。

 西軍は東軍と違って、家康のような絶対的支柱が存在しない。実質的に率いているのは三成だが、19万石の身の上では他の大名を(ぎょ)することは難しい。総大将である輝元が大坂城に引き籠ることは避けたいところだ。


「無理だろう」


 三成は俺の申し出に眉をひそめ、諦めたように言った。


「輝元殿は総大将だ。大坂城に鎮座(ちんざ)し、秀頼君(ひでよりぎみ)を守らねばならん。大将不在となり城内に家康と通じている者がいれば、たちどころに城を奪い取られてしまう」


 三成の言い分も分かるので、これ以上は強く言えない。

 やはり輝元を最前線に引っ張り出すのは無理か。

 せめて輝元の叔父にあたる毛利元康(もとやす)だけでも、前線へ送ってほしいのだが。


「権兵衛、家康はどう出ると思う」

「間違いなく軍を反転させ、西へ攻め登ってくるかと」


 ここまで来てしまったらもうビビることはないので、事実を伝える。


「上杉は会津から打って出て、家康めの背後を()いてくれるだろうか」

「無理でしょうね」


 俺があまりにもはっきりと否定したので、三成はあっけにとられた顔をした。


伊達政宗(だてまさむね)最上義光(もがみよしあき)の相手で、手一杯でしょう」


 これも事実だ。結局家康はなんの妨害を受けることもなく、会津へ向かっていた兵を引き上げ、そのまま美濃を目指して進軍してしまう。

 家康に付き従う大名が予想以上に多かったせいで、東西から江戸を挟み撃ちにするという作戦は完全に破たんしてしまうのだ。


「権兵衛の言う通りになるとすれば、俺の思い描いていた中で最悪の結果だ」


 三成はそう言い、力なく笑った。

 とはいえ家康の反転を許してしまった背景には、西軍が伏見城をはじめとする近畿の平定に時間を要してしまったから、というものがある。現時点ではスムーズに事が運んでおり、10日以上も巻いているこれは大きい。


 東軍は今ごろ三成挙兵の知らせを受け、一度進軍の足を止めて下野国(しもつけのくに)小山(おやま)にて、諸侯に今後どうするか是非(ぜひ)を問う、俗にいう「小山評定(おやまひょうじょう)」を催す頃だろう。

 これは無かったとする意見も多いが、軍隊である以上意思の疎通(そつう)は必要不可欠であり、いずれかの場所でこのまま会津を攻めるか、それとも西へ反転して三成と戦うか、といった話し合いの場が設けられたことは確実だろう。


「中山道と東海道沿いに、手勢を散りばめて配置しましょう」

「家康の動向(どうこう)をいち早く察知しようというのか」

「はい」


 史実での三成は東軍の動きを監視することを怠った。結果として家康が突如現れたことで、西軍は大いに動揺する。

 一方で家康は三奉行の増田長盛をはじめ、小早川秀秋などの内通者から、西軍の情報を逐一入手している。情報戦においても、西軍は敗北していたのだ。


「それから北陸へ向かう大谷吉継殿に、京極高次(きょうごくたかつぐ)殿の動きから目を離さないように、とお達しください」

「いくら弟の高知(たかとも)が敵側とはいえ、今更我らを裏切る道理はないのではないか。京極が所領の大津に(こも)ったところで、大津城はここ大坂と目と鼻の先だ」


 周囲を西軍の大軍勢に取り囲まれているというのに、裏切るはずがない。西軍諸侯の誰もがそう思って油断していたことで、高次の裏切りを許してしまう。


「いえ、是非そう伝えてください」

「分かった。権兵衛がそこまで言うなら、早馬を出そう」


 果たしてどれほどの効果があるのかは分からないが、吉継ならば三成からの忠告を無下(むげ)にはしないはず。


 次はどれだけ西軍を美濃に集結させ、関ヶ原の味方を多くするかに掛かっている。ここからが本当に気の抜けない戦いだ。

 このままじゃ俺は過労死するんじゃないだろうか。





 慶長(けいちょう)5年(1600年)7月21日。

 現在の舞鶴にある丹後田辺(たんごたなべ)城を、3,000人の西軍が包囲。しかし包囲の目的は攻城戦ではなく、あくまでも城から敵兵を出さないことが目的だ。

 俺は半分の1,500人でもいいと思ったが、昼夜の番を交代させるために倍の人数は必要だろう、と左近が言うのでそれに従った。


 これで史実では1万5,000の兵力と2ヵ月もの時間を無駄にすることになった田辺城の戦いがなくなり、さらに美濃へ進出する石田勢の別働部隊として、1万2,000人もの兵力を確保することができた。

 

 これはかなり大きい。現時点の西軍諸侯は、美濃の戦略的重要性を理解していない。彼らは家康をはじめとする東軍諸侯は今ごろ会津を攻めているか、江戸に留まっているかのどちらかであると確信しているので無理もない。よって美濃での合流がかなり遅れてしまう。


 特に総大将の毛利輝元(もうりてるもと)などは、家康と真っ向から勝負する気などさらさらなかっただろう。家康が京や大坂を留守にしている間に、広島から近畿地方にかけて己の勢力図を広げようという、空き巣のような心境であったに違いない。


 こういった認識のズレよって西軍は足並みが揃わず、美濃で合流して尾張を攻めるといった作戦は果たされないいまま、東軍の到着を許すことになる。


 しかし今回は史実には存在しなかった1万2,000人もの予備隊が美濃にある。

 石田勢6,000人に加えて、小西行長(こにしゆきなが)勢4,000人と島津義弘(しまづよしひろ)勢1,000人、そして岐阜城の織田秀信(ひでのぶ)など美濃の大名を加えれば、西軍は現時点でおよそ3万人もの軍勢を美濃に集めることが出来ている。

 その気になれば、これだけの人数で美濃から打って出て県境の木曽川(きそがわ)を渡り、清州城(きよすじょう)を攻めることもできるだろう。


「敵が到着する前に清州城を奪い、美濃方面への進出を遅らせましょう」

「なに、伊勢路(いせじ)に向かう毛利や宇喜多の本隊を待たずに始めるのか」


 俺の提案がよほど意外だったのか、左近は目を丸くした。


「はい。幸い敵の守備兵は多くありません」


 清州攻めを行うねらいは他にもあり、野戦にこだわる織田秀信に城攻めを経験させておくことだ。そうすればもし戦況が変わって人数不利になった際に、納得して大人しく岐阜城に籠城してくれるだろう。


「城攻めの途中で、敵の軍勢が戻って来たらどうする」

「敵は遠い会津の地。まだ()きません」


 敵が小山評定の後にすぐさまこちらへ攻め登ろうとしたところで、現在の栃木県小山市から愛知県清須(きよす)市までは、直線距離でも300km近くある。

 史実では東軍の先鋒(せんぽう)を任された福島正則(ふくしままさのり)らが清州城に到着するのは8月11日。東軍の出現まで20日ほどの猶予があるということだ。


 うーん、敵がいつ来るかを正確に分かっているのはあまりにも有利すぎる。

 俺はこの時代の兵法なんてまるで分からないのに、未来を知っているというだけで天才軍師と呼ばれるほどになれてしまう。

 いわゆる知識チートというやつだろう。歴史オタクで良かった。


「石田勢がいち早く尾張方面へ進出し清州城を落とせば、伊勢の本隊も自然と足が速くなるでしょう。輝元殿も重い腰を上げるかもしれません」

「また殿の悪名を利用して、諸侯を()きつけるのか……」


 左近は苦笑しながらも、同意してくれた。


「私は車でひと足先に佐和山へ戻ります」

「ああ。我々の軍は美濃へ行く前に、必ず佐和山城へ立ち寄ることになるだろう。留守居役にその旨を伝えてくれ」

「了解しました」


 こうして俺は三成たちといったん別れ、夜のうちに車で佐和山城を目指した。



 しかし、予想外のことが起こる。


 東軍の先遣隊が清州城に到着したとの知らせが入ったのは、史実より10日以上も早い、8月1日のことだった。

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X(成瀬仁助@zinsuke_nrs)で小説の更新告知や設定紹介、その他雑記を書いておりますので良ければフォローお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 果たして東軍の巻きが主人公の行動の成果によるバタフライエフェクトなのか、それとも東軍の側にも……
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