次は丹後田辺城
伏見城攻めの援軍として最初に到着したのは、やはり毛利軍だった。
率いているのは毛利秀元と、補佐役の吉川広家だ。秀元は毛利家当主輝元の養子であり、関ヶ原でも毛利軍を率いることになる。
続いて、三奉行から増田長盛と長束正家の両名。
そして小西行長、島津義弘、長宗我部盛親、小早川秀秋といった西国大名が続々と到着し、攻め手に加わった。
これで史実通り、攻め手は4万人近くになったわけだ。
そして到着した隊から功を争うように、我先にと城へ突撃してゆく。
「小早川殿もお味方か」
丸に違い鎌紋の旗印を見つけた左近が、そう呟く。
小早川秀秋。西軍の勝利を目指すなら、最も因縁の深い相手となる。
近年、小早川は最初から東軍だったのではないかという新説がある。しかし小早川は毛利の招集に応じて大坂城に入っているし、伏見城攻めにも参加しているので、どこかのタイミングで裏切ったのは間違いない。
俺は関ヶ原で小早川をどうするか問題を解決しなくてはならないだろう。
いっそのこと伏見城が陥落する前に、どこかで流れ弾に見せかけて暗殺してしまうのが一番手っ取り早い気もする。
重要なのは、寝返り武将を三成と左近に伝えるタイミングだ。
しかし史実でも宇喜多秀家と大谷吉継が小早川を怪しんで暗殺を謀ろうとしたが、あえなく空振りに終わったという説があるので、慎重に動く必要がある。
戦況の方は、数万の援軍が到着したことで、いよいよ石田勢はヒマになった。
とはいえ西軍全体の士気、もとい石田勢よりも手柄を立てなければならぬという気持ちを奮い立たせるために、攻める振りだけは欠かせない。
左近は戦況を見て時折簡単な指示で兵を移動させるだけで、本陣から動くこともなかった。
数時間後、ここからでも本丸に火の手が上がったのを確認できた。
もはや伏見城が落ちるのは時間の問題だろう。これで史実では10日以上かかった伏見城攻略が、2日で達成したことになる。これは大きいはずだ。
「次は丹後田辺城か」
燃える伏見城を見て、左近がそう切り出した。
すでに次の戦のことを考えているようだ。
「必要ないと思います」
俺がばっさり斬り捨てたので、さすがの左近も目を見開いた。
「必要ないとは?」
「どうしてもと言うなら、1,500人ほどで囲めばよろしいかと」
「しかし洛北の憂いはなくさねばならんぞ」
洛北とは京都の北側のことで、丹後田辺は現在で言う舞鶴市だ。
たしかに伏見を落としたのだから、続いて舞鶴も取っておこうと思うのは、地図上で見れば自然な流れである。丹後田辺城を獲れば、西軍は近畿を掌握したも同然なので戦略的にも正しいと思える。
しかし、その丹後田辺城の戦いがよろしくない。
西軍の勝利を目指すなら、避けなければならない戦だ。
「丹後田辺城は細川忠興の実父、細川幽斎が守っていると聞き及ぶが、忠興が兵の大半を連れて会津へ出馬したため、城兵はほとんど残っていない。それならばここ伏見同様、即座に落とすべきではないか?」
左近の言う通り、丹後田辺城の守備兵はたった500人だ。
しかし城を守る細川幽斎こそが問題である。
「攻め手は誰になりますか?」
「小野木重勝殿をはじめとする周辺の諸大名だ。総勢1万5,000にはなるだろう」
1万5,000人で500人の守る城を攻めれば、勝負にもならずあっけなく落城すると誰もが思う。しかし実際は、幽斎が城を明け渡すまでに2ヵ月を要するのだ。
そんなことになった理由は、城が強固だとか、幽斎が戦の天才だったからというわけではない。
「細川幽斎は歌人として有名です。丹後周辺の諸大名の中には、幽斎を歌道の師として仰いでいる者も少なくはないでしょう」
「裏切ると申すか」
「いえ、裏切ることはないでしょうが消極的になり、城を囲んでだらだらと時間を費やすだけになるでしょう」
挙句の果てには、関ヶ原の戦いに間に合わないという体たらくだ。
約1万もの兵力が関ヶ原にいるだけで、戦況が大きく変わる。
もちろんこの軍勢がいれば勝てるとまではいかないが、少なくとも小早川勢が裏切ってすぐ壊滅するなんてことにはならないはずだ。
「丹後田辺城は無理に落とそうとせず、他に兵を回すべきかと」
「して、その兵をどこにやる」
「美濃方面へ進出させましょう」
「美濃へ?」
この1万人をどう使うか。率いている小野木重勝は秀吉の家臣だった男なので、おそらく裏切る心配はないだろう。
岐阜城の守りに任せるか、それとも大垣城に入ってもらうか。
「たしかに殿は美濃が重要の地になると読んでいた。権兵衛も同意見か」
「はい」
「ふむ。美濃はひとまず石田勢のみが進出する予定だったが、そこに小野木殿や丹後の諸大名も加わって頂くとしよう」
三成の居城、佐和山城が美濃と隣接していることもあって、三成は美濃方面へ素早く展開する。すでに美濃地方を代表する岐阜城の織田秀信が西軍側なので、大垣城などの借用がスムーズに進むだろう。
伏見城攻めが早期に決着したことで、西軍の展開にかなりの猶予が生まれた。
近畿は西軍が掌握した。次に問題となるのは北陸、そして伊勢方面である。
京都と滋賀を制圧したので、次は福井と石川、そして三重だと思えばいい。
北陸では大谷吉継を大将とするおよそ3万人の軍勢が、東軍についた前田利長などと対立することになる。軍略の天才である吉継はチートすぎて、前田利家の息子であろうと放っておいても勝ってしまうので、そちらは気にしなくてもいい。
後は伊勢方面だが、こちらも毛利・宇喜多を主軸とした西軍主力が向かう上に、東軍側になっているのはいずれも小城なので、特に手を出す必要もない。
問題があるとすれば、北陸と伊勢の平定に向かった軍勢が、三成の要請を受けて美濃で合流を果たす時である。
この時には東軍の諸兵が引き返してきて、美濃で睨み合いが始まる。
まずいのはそうなった際、西軍に参加した諸大名の中で「自分はこのままこちら側でいいのか」という疑念が沸いてしまうからだ。
というのもここまで西軍は兵の数で絶対的な有利にあり、周りに合わせて自分も従っておこうという理由で、なし崩し的に西軍に参加している者も多い。
そこではじめて東軍、つまり徳川家康の率いる軍勢といざ対面すると、やはりあちらが勝つのではないか、今なら東軍と合流できるのではないかと思い立つのだ。
まず大谷軍からは、北陸から美濃方面へ進軍する際に京極高次が西軍から離反し、そのまま手勢3,000人を率いて大津城に籠城してしまう。なお高次の弟である京極高知は、東軍として会津征伐に向かっている。
地図を見てもらえば分かりやすいと思うが、大坂から京都、そして滋賀から岐阜方面へ抜ける上で、大津を敵に抑えられているというのは非常に厄介である。
そこで大津城を放置しておくわけにはいかないと、西軍は攻め手に1万5,000人を費やすハメになってしまう。この軍勢も関ヶ原には間に合わない。
西軍の大津城攻めは、丹後田辺城攻めと同じく負けフラグだ。
なので吉継に連絡を取り、高次の離反を伝え、事前に防ぐ必要がある。
それから伊勢方面の毛利・宇喜多連合軍でいえば、宇喜多秀家は大垣城へ入城したものの、毛利秀元は大垣城ではなくそのまま南宮山に登ってしまう。南宮山は大垣、垂井、関ヶ原、養老にまたがる標高419mの山で、はっきり言ってこの山に登る戦略的な意味はまったくない。
東軍が大垣城を攻めた際にすぐ動くこともできないため、この時点で毛利軍が日和見を決め込んでいる姿勢が表れている。
正直、毛利軍の動きを止めることは難しい。すでに補佐役の吉川広家が東軍側になっている以上、俺の立場ではどうすることもできない。
毛利軍を伊勢方面に向かわせずに最初から大垣城に入れてしまうか、それともその先へ進軍させ、早めに東軍とぶつけてしまうか。
しかし俺がどう進言したところで受け入れてもらえないだろうし、それこそ吉川広家を暗殺するしかないんじゃないか。
「宇喜多勢から伝令。本丸にて鳥居元忠を討ち取ったとのこと!」
「うむ、祝着じゃ」
やがて伝令がやって来て、左近が満足げに答えた。
俺の予想通り、伏見城は2日で陥落した。
史実より11日も早い。西軍にはそれだけのポテンシャルがあるということだ。
「宇喜多勢の死者数が気にかかるな。調べよ」
「はっ」
左近が身近にいた者に指示を出す。
宇喜多勢は果敢に橋を渡って城門にかじりつき、あるいは城壁を登ろうとしたが、次々と落とされていた。犠牲者はゆうに100は超えるだろう。宇喜多勢は関ヶ原で主力となる軍勢なので惜しくはあるが、仕方ない。
この戦で石田勢の損害がほぼゼロだったことが、なによりも大きい。
関ヶ原がもし俺の思い描いた策通りに実現すれば。
最も熾烈な戦いを繰り広げ、地獄を見るのは、我らが石田勢になるからだ。
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