淀殿と三奉行
岐阜城へ行ったかと思えば、今度は大坂城だ。
さすがにそれはしんどいし、そもそも佐和山に着く頃には夜も明けてしまっていたので車を出すことはできず、俺は日暮れまでぐっすり眠りこけることにした。
そして双子姉妹とろくに会話もできないまま、これで俺が死んでもこの時代に労災なんて下りないよなあと考えつつ、ひとり大坂へ車を走らせた。
幸いなのは三成が気を利かせて、大坂城の外に車の隠し場所を用意してくれていたことだ。左近と来た時は山の中に置いただけだったが、今度は警備の者たちがいるので、より安全に置いておける。
車の隠し場所からは案内役がいたので、俺は後についていくだけで、しれっと大坂城の中に入ることができた。
「さすがに早い到着だったな」
通された部屋には三成ではなく、左近が待っていた。
「して、岐阜中納言の勧誘はどうだった」
「これに」
秀信から預かった書状は俺が持っている。寝る前に早馬を出そうか迷ったが、結局車のほうが早いということで、俺が持っていくことにした。
左近は封を解いて中身をざっと確認し、
「さすがは権兵衛」
にやりと笑った。どうやら満足のいく内容だったらしい。
それから左近は日本の地図を広げ、筆で美濃のあたりに丸を描いた。
「これで美濃国もこちら側だ」
現代の日本地図と大きく違うのは、岐阜県や大阪府といった都道府県名の代わりに、その土地を治める大名の名前が書かれていることだ。
先ほどの美濃ならば織田の名が、そこから隣の近江に入れば琵琶湖の西側は石田、その上の敦賀は大谷、琵琶湖を挟んで反対側は京極とある。
ほかに丸がつけられている個所は、中国地方の毛利や宇喜多、四国の長曾我部、それから九州の小西と島津などがある。どれも西軍の主力となる大名だ。どうやら俺が岐阜城へ行っている間に、三成の勧誘は成功していたらしい。
「島津殿もお味方になられたのですね」
「ああ……」
左近の声色は重い。聞かずとも理由は分かる。
島津の現当主は関ヶ原にも参戦していた義弘だが、今の時期はお家騒動で揺れている。よって義弘は薩摩(現在の鹿児島県)一帯の56万石という広い領土を持っているものの、本国の島津軍を動かす決定権を失っていた。
だから島津が自由に動かせるのは大坂にいた1,000人ほどであり、しかもその軍勢は伏見城の警備につこうとしたところを、留守居役の徳川家臣、鳥居元忠に入城を断られてしまい、やむなく西軍に加わったという背景がある。
島津軍は少数で、しかも積極的に参加したわけではない。
よって左近としても、最強と名高い島津が味方に加わったことを、手放しで喜ぶわけにはいかないと感じているのだろう。
「もうじき毛利、宇喜多の両名が大坂に入城される。さすれば毛利の名を借りて、さらに多くの大名の参戦を募ることが出来るだろう」
左近の言う通り、毛利が大坂西の丸に入ったことで、これまで様子見を決め込んでいた大名たちも「三成が勝つ」といった安心感を得て、続々と登城してくる。
つまり、いよいよ俗にいう西軍が結成されるということだ。
「殿はいずこに?」
そういえば、三成の姿が見えない。
別の部屋で寝ているのだろうか。
「三奉行との打ち合わせの最中だ」
もう夜明けも近い時間だというのにまだ話しているのかと驚いたが、それほど話の内容が深刻ということだろう。
三成がなんの役職もない以上、今後は三奉行を通して指示を出していくことになる。とはいえこの三奉行、くせの強い者ばかり揃っている。
増田長盛は積極的に西軍首脳陣として動きながらも、なんと裏では家康と通じており、書状でこちらの動きをバラしたりしている。そのくせ伏見城や大津城攻めなどの軍事行動に参加しているのだから謎である。
そんなどっち付かずの動きが家康の不興を買い、関ヶ原の後は命こそ奪われなかったものの、所領や財産を没収される改易処分となる。
前田玄以は長盛のように家康と内通はしていなかったが、一切の軍事行動をすることもなく、大坂城に引きこもってしまう。関ヶ原の後は豊臣家と中立の立場であったと言い訳し、なぜか許されて所領は安堵されている。
残る長束正家は軍事行動を積極的に行い、関ヶ原にも参戦している。しかし毛利軍と共に南宮山へ布陣し、ほとんど戦わないまま西軍の壊滅を見届けることになった。その後は自分の領地である近江水口(現在の滋賀県甲賀市)まで撤退したが、東軍による追撃を受け、最終的に城を攻められ自刃している。
つまり三成の元同僚であり、豊臣家に忠誠を誓うべき立場であるはずの三奉行だが、信頼できるわけではない。このように首脳陣ですら信頼できないというのが、西軍の大きな問題点だ。
「秀頼君のお墨付きは貰えそうですか?」
「はっきり言って、難しい」
左近が苦々しい顔で答える。
それは知っていた。三成は豊臣家のために家康を討つとお触れを出しているし、実際に織田秀信のようにその言葉で西軍になった大名も多い。しかし厳密に言えば秀頼が指示したわけではなく、三成が勝手に奉じているだけのことだ。
「豊臣家としては、あくまでも家臣同士の争いということにしたいらしい」
「殿と家康のどちらが勝っても、豊臣家は関係ないということですね」
「その通り」
もし豊臣家が三成を支持していれば、関ヶ原での戦いは楽なものになった。むしろ東軍のほとんどが豊臣恩顧の大名なので、戦いすら起きなかったかもしれない。
しかし豊臣家からすれば、もし三成に秀頼のお墨付けを与えて豊臣正規軍としたところで、負けてしまった時が怖い。豊臣家に抗う力がほとんどなくなった状態で、家康に豊臣家を潰す口実を与えてしまうことになるからだ。
「とはいえ殿が負けた場合、家康が数年のうちに豊臣家を潰しに掛かるだろうということは、少し考えれば分かることだと思いますが……」
「権兵衛に殿の口振りが伝染ったな」
左近が可笑しそうに言い、はっとした。たしかに少し考えれば分かるだなんて、嫌味がかった言い方になってしまっていた。
「儂も同意見だ。殿が負ければ、豊臣家は終わる。それならば殿の勝利に賭けたほうが豊臣家存続の道が拓けるのだが、それが奥方には分からんらしい」
「奥方とは淀殿ですか」
「そうだ」
淀殿、もしくは淀の方は秀吉の側室であり、秀頼の産みの親だ。秀頼がまだ幼いため、秀吉の死後は淀殿が豊臣政権を掌握しているも同然にある。
ちなみに淀殿はあまり良い名前の残し方をしているとは言えない。豊臣家を滅亡させたのは淀殿のせいであるとして、日本三大悪女に数えられている。
個人的に淀殿ひとりの責任であるとは思わないが、三成の挙兵に協力しなかった時点で、豊臣家の行く末は決まったも同然だ。
とはいえ母のお市の方と同じく、絶世の美女と言われた淀殿のご尊顔を拝んでみたいところではある。
「ところで、私はどうして呼ばれたんですか?」
「今後のことで権兵衛の意見も聞きたいと、殿の仰せだ」
「私の意見を?」
ここまで来たらあとは三成と三奉行、毛利や宇喜多などの有力大名が西軍を取り仕切るだろう。同じ家臣という立場でも名の知れた左近とは違い、俺なんかの発言力はないに等しいと思うが。
「軍議の中で思うところがあれば、遠慮なく申して良いとのことだ」
いやいや、それはさすがに荷が重すぎる。
これまで話した大谷吉継や織田秀信は大名ではあるものの、石高で言えば三成のほうが上だった。それが三成よりも官位が高く、さらに石高で言えば比べ物にならない毛利や宇喜多を前にして、意見など言えるはずもない。
「なに、聞かれたら答えるだけで良いだろう」
俺の不安が表情に出ていたのか、左近は笑いながらそう言った。
「ひとまず長旅で疲れただろう。隣の部屋で休むと良い」
「はい」
有難い申し出に、俺は甘えることにした。
「殿が来たら起こしてやろう」
「…………」
家臣としては当然のことかもしれないが、やっぱりブラック企業かもしれない。
労基に訴えてやろうかな。何百年後の話になるのか分からないが。
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