織田秀信の野望
「そうだ、うっかり忘れておりました」
俺はそう言って、枕元に置いていた包みを取り出す。
ちょっと演技くさかったか。いや、分かりやすいくらいでいい。
「我が殿より、これを秀信様にご献上するよう申し付けられておりました」
「治部殿が俺に?」
俺は素早く包みを取り、木箱を取り出す。
そして秀信にもよく見えるように位置を変えて、蓋を開けた。
「これは……なんと素晴らしい」
「ぜひお手に取ってご鑑賞ください」
「いいのか?」
「もちろん」
「で、では遠慮なく」
秀信は緊張した様子で、箱からそれを取り上げる。
「おお……こうして手に取って見ると、また違うぞ」
そして子どものように無邪気な顔つきで、様々な角度からそれを鑑賞する。
「これが天下の名器とうわさに聞く、狂言袴か」
「さすが秀信様、お目が高い。その通りでございます」
秀信が感動しているのは朝鮮渡来の茶碗だ。丸い模様が狂言の演者が着用する袴の文様に似ていることにちなみ、狂言袴と銘打たれている。
「ううむ、これひとつで城ほどの価値があると聞くが……たしかに素晴らしい。かねてより一度拝見したいと思っていたのだ」
現代人にとって、茶碗ひとつが城と同じ価値があるというのは信じられないかもしれないが、当時の名茶器といえばそのくらい高価なものだ。いかに大名という身分であっても、どれほど金を持っていても、入手は困難を極める。
「どうぞ」
「え?」
「見るだけと言わず、是非このお城でお使いくださいませ」
「くれるというのか!?」
秀信の驚き様といえば、今日で一番大きかった。
やはり俺の読み通り、この男はやはり軍事よりも茶事だ。信長の血を継いだのは、戦の才能ではなく茶器好きの一面だけだったらしい。
秀信の説得にあたり、なにかタネが欲しいと思った俺は、思い切って三成に茶器をひとつ譲ってくれないかと頼んだ。
秀信は武芸よりも、茶や歌などの遊芸を好んだと知っていたからだ。
三成が「いかに天下の名器とは言え、自分はこれから命を賭けた大勝負に出る。茶器など持っていても仕方ない」と言って譲ってくれたのが、この狂言袴だ。
「はい。我が殿は自分で使うよりも、信長公のご嫡孫であらせます秀信様の手のひらで撫して頂いたほうが、茶器も喜ぶであろうと仰せです」
秀信はまだ信じられないといった表情で、茶碗のふちを撫でている。
これが俺の用意した切り札だ。しかし秀信からすれば、俺や三成に物で釣られたと思われるのは癪だろう。
「我が殿は、秀信様の武勇を高く買っておいでです」
「なに、治部殿が俺の武勇を?」
もちろん嘘である。三成からすれば秀信は生まれついての大名で、武芸よりもただ華美な生活を好む俗物だ。岐阜城の重要性は理解していても、秀信に対して武将としての期待はまったくしていない。
「はい。是が非にも秀信様にお味方して頂きたいと。織田木瓜の御旗が軍門に加われば、秀頼君もご安心くださいましょう」
「ううむ……」
秀信は自分を信長の孫としてではなく、いち武将として扱われることを嬉しく思うはずだ。これで自分は茶器に心動かされたわけではなく、正統な評価を得たことで三成に味方すると決めたのだと、自分に言い訳できる。
さらにいつまでも自分を子ども扱いする家老ふたりに対し、心の底から嫌気がさしているようにも見える。俺は無礼を承知であのふたりの意見を否定し、秀信を納得してみせた。
「相分かった」
ここまで秀信の気持ちをよく汲み取り、道理にかなうようにすれば、秀信に決心させることはたやすい。
「この織田秀信、慎んで治部殿にお味方いたそう」
「ありがたき幸せ」
俺はそう言って、頭を低く下げた。
作法通りだが、思わず緩む口元を隠すためでもある。秀信はやはり若い。俺より2つばかり年上なのだが、あまりにも世間知らず、というより純粋無垢だ。
「それでは気の変わらないうちに、治部殿に返事を書くとしよう」
そう言って秀信は茶碗を小箱に戻して脇に抱えると、勢いよく立ち上がった。
まだ寝ないつもりらしい。
「すぐに渡すゆえ、暫し待たれよ」
「かしこまりました」
「明日の朝には出立されるか?」
「いえ、お返事を頂き次第、すぐに佐和山へ戻ります」
べつにそこまで急いでいるわけではない。ただ明日になれば、木造と百々の家老ふたりが、秀信の心変わりを知るだろう。すでに書状を書いてしまったと分かれば、俺が城から出ることを止めようとする可能性が高い。
あのふたりが寝ている隙に城を出て、織田の領地を抜けてしまえば、さすがに手が出せないはずだ。
「なんと。休まれないと申すか」
「はい。一刻も早く殿にお伝えしたいのです」
「で、あるか」
秀信は納得して、部屋を出て行った。
とは言ったものの、三成はすでに大坂へ向けて出立しているはずだ。
佐和山城まで戻ってほかの誰かに書状を託し、早馬を飛ばしたとしても、三成の下に届くのはまだ先のことだ。まったく、電話もなければメッセージも送れない時代というのは不便この上ない。
それにしても。
秀信の母は、かの武田信玄の四女、松姫だという説もある。これが真実だとすれば秀信は信長の孫であるだけでなく、軍神と謳われた信玄の孫でもあるのだ。
血統の優秀さだけで言えば、世に秀信ほどの男はいないだろう。
そんな信長公と信玄公の血を受け継いだ男が、茶器ひとつで味方に靡くとは。ふたりが知ったら、どんな反応をするだろうか。
「できたぞ」
やがて秀信が書状を携えて戻って来た。先ほど部屋を出てから10分も経っていない。ほんとうに急いで書き上げてくれたらしい。
てっきり書くことも忘れて、茶碗の鑑賞に没頭しているかと思った。
「内容を確認するか」
「いいえ、我が殿宛にございますれば」
「で、あるか」
文羽じゃあるまいし、どうせ俺にはなんて書いてあるか読めっこない。
それにこの秀信が、今更俺の意にそぐわないことを書いたりはしないだろう。
「では、我が殿にお渡しいたします」
「ああ」
書状を懐にしまうと、俺は素早く身支度を整える。
とはいえここまで一緒に来た、案内役と護衛たちを起こしに行かないといけない。たしか隣の部屋に詰めているはずだ。
「なあ、権兵衛」
「はい?」
あれ、急に呼び捨てにされた気がする。
この短時間で、そこまで距離が縮まったのか?
「俺に仕える気はないか」
「は?」
「そなたは俺と同じくらいの年齢だろう。それなのにあの治部殿から重宝されているということは、さぞ優秀な人物に違いない。実際そなたは頭が良く回り、当家の家老たちへの反対意見を、物怖じせず俺に言えるのは大した器だ」
まさかの展開だ。信長の孫から引き抜けを受けるとは。
「禄もはずむが、どうだ?」
禄とは武士の給与だったはず。
どうだと言われても、俺は三成から貰うことすら拒否している身だ。
「それと筆頭家臣の地位を用意しよう。そなたは俺の右腕だ」
ぽっと出の俺にその地位を取られては、ほかの家臣たちの立つ瀬がない。そんな針のムシロみたいな職場はごめんだし、そもそも秀信は口うるさい家老ふたりから守ってくれる人材を探しているだけじゃないのか。
「ありがたいお話ですが……」
「そうか、駄目か……」
秀信はがっくりと肩を落とす。この落胆ぶりを見るに、どうやら思い付きや勢いで勧誘したわけではなく、本気で俺を欲しいと思っていたようだ。
残念だが、俺は三成に末永く仕えると誓っている。
「その代わりと言ってはなんですが、老婆心ながらひとつ献策を」
「ほう?」
だが、秀信と岐阜城には三成のために奮戦してもらわなくてはならない。
そのために結末を知る俺が、策を教えておくのも悪くないだろう。
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