信長の血筋
「殿、内府殿にお味方なされよ」
「治部少輔の言葉に騙されてはなりませぬ」
織田の家老、木造と百々が声を大にして言う。
三成の家臣としては聞き逃せない言葉だが、それよりへりくだってお願いするというよりは、聞き分けのない子どもを叱るような言い方なのが引っかかる。
秀信がまだ若いことに加えて、このふたりは長く織田家に仕えているのだろう。かなりの発言力を持っていそうだ。
「し、しかし当家は豊臣家に恩義があるではないか……」
対して、秀信の反応はあまりにも弱々しいものだった。ここまでふたりが強固に反対するとは、思ってもみなかったのだろう。
これではどちらの立場が上なのか分からない。あの焦り様を見ていると、本当に信長の血を引いているかどうかも怪しく思えてしまう。
「ここで豊臣家に弓を引くのは、織田の面目が立たぬではないか」
とはいえ最初に感じた通り、秀信としては三成派のようだ。
しかも秀信からは、美濃・尾張二か国の恩賞よりも、豊臣家のために戦いたいという気概すら感じる。それ俺にとって追い風だが、家老のふたりはどうしてこうも強い言葉で反対するのだろうか。
「恩義とは片腹痛い。かの太閤は信長公の勝ち馬に乗ったまで。本来であれば殿が天下に号令すべきところを、殿が幼少であるがゆえに付け込まれ、みすみす天下を奪い取られたのです。恨みこそあれ、恩義などあろうはずもございません」
よくもまあ息継ぎを挟むことなく、早口で言い切れるものだ。
「しかし太閤殿下はその気になれば、当家を取り壊すこともできたのだぞ。それを所領安堵だけでなく、官位まで用意してくれた相手を、俺は恨みはせぬ」
「それはずいぶんとお人のよいことで」
秀信が言い返すも、木造は聞くに値しないとばかりに跳ね除けてしまう。かなり歳の離れているふたりとはいえ、主従関係を感じさせないやり取りだ。
「それに書状には治部殿ではなく、毛利が総大将とある。西国大名がみな挙兵に応じれば、会津へ向かっている徳川軍を数の上では凌ぐのではないのか」
秀信の読みは正しい。今ごろ東海道のどこかにいる徳川軍は5万人ほどだが、大坂城に集った西軍は10万人近くにまで達する。
「それこそ毛利は、治部少輔殿の言葉に騙されているのでしょう」
「然り。毛利は保守的な家系ゆえ、豊臣家への忠義よりも自らのお家を守ることを第一に考えるはず。治部少輔殿に言われるまま飾りの総大将になっているだけで、内府殿と決戦に及ぶつもりはないかと」
おお、西軍の痛い所を突いてくる。このふたりは単に三成アンチ家康びいきというわけではなく、諸大名の事情にかなり通じていると見ていいだろう。
美濃は日本の中心であることから、情報収集がしやすいのかもしれない。
もしくは、家康からすでに裏で勧誘工作を受けているかのどちらかだが……仮にそうだとすれば、家康は本当に恐ろしい相手ということになる。
さて、どうしたものか。俺としては言葉を挟む余地もない。
「分かった、もうよい。この話は止めじゃ」
最終的に秀信はどんな判断をするのかと思ったが、虫を払うかのようにバタバタと手を振ったかと思うと、勢いよく立ち上がってしまった。
おいおい、まさかこれで話を終わるつもりか。その短気なところだけ信長に似てしまったんじゃないだろうな。
「権兵衛殿、今宵はもう遅い。城内でゆるりと休まれよ」
「はっ、しかし――」
「そういうことだ。では御免」
どういうことだ、とは言えなかった。さすがに城主が話はここまでとした以上、俺に秀信を呼び止めるほどの権限はない。
下がる時に木造と百々を見ると、ふたりは秀信が三成への加担を踏みとどまったことに、ひとまず安心しているように見えた。
◆
その日の夜、あてがわれた部屋の戸を叩く音がした。
「権兵衛殿、夜分にすまぬ」
聞き覚えのある、独特な高い声。
山登りの疲れで横になっていた俺は布団を跳ね除けて起き上がり、戸を開けた。
予想通り、そこにいたのは織田秀信だった。
「先ほどの続きがしたい」
こんな時間に俺の部屋を訪れる理由なんてそれくらいしかないが、家老のふたりはいなくていいんだろうか。
ひとまず俺がさっきまで寝ていた布団の横に、ふたりで向き合って座る。
「先ほどは権兵衛殿の話が聞けなかったのでな」
確かに俺はほとんど喋っていない。だが、三成からの書状に詳しいことは書いてあったはず。つまり秀信は俺の話を聞きたいわけではない。
「私の話というより、秀信様が本当に聞きたいことがおありでは?」
「うむ、その通りだ。さすが治部殿の家臣は聡明だな」
満足そうに秀信は頷き、
「はっきりと申してくれ。この戦、石田方は勝てるのか?」
単刀直入にそう言った。
いち大名にあるまじきあまりにもストレートな物言いに、思わずずっこけそうになったが、秀信の顔つきは真剣そのものだ。
なるほど、そこが気になったのか。たしかに家老たちの前では体裁を気にして聞きずらいことだ。それにあのふたりは間違いなく家康が勝つと断言するだろう。
「勝てます」
「間違いないか」
「はい。必ずやお味方は勝利します」
「で、あるか」
秀信が何気なく発したであろうその一言に、思わずどきっとした。
あかりが燭台ひとつしかないせいで、部屋は暗い。その台詞も相まって、信長がそこにいるかのように錯覚してしまった。
熟考する秀信の顔つきは、先ほど家老に言いくるめられていた時とは別人だ。俺はもちろん信長の顔を見たことがない。それでもこの男が信長の血を引いているのは間違いない……そう感じた。
秀信は揺れている。
おそらく秀信としては家康よりも三成につこうとしている。しかし家老のふたりが反対するのであれば押し通すことは出来ないし、自分にあのふたりを説得できる自信もないのだろう。
しかし諦めきれずに、こうして密かに俺の下へ訪れたのだ。
「秀信さま」
「なんだ」
「先ほど家老のお二方は、織田家が太閤殿下に天下を盗まれたかのような言い振りをしましたが、お言葉ですがそれは違うと思います」
「ほう?」
秀信の目が輝いたように見えたのは、気のせいじゃないだろう。
秀信からすればあのふたりの意見は絶対に等しい。特にここ岐阜城には、あのふたりに異を唱える者などいなかったはずだ。
「本能寺の変が起こった際、織田家の所領は近畿、東海、北陸などおよそ400万石でした。それでは天下に最も近くとも、天下を獲ったとは言えません」
たしかに日本の中央を掌握した信長は俄然有利であり、盤面に大手を掛けていたのは疑いないが、それでも中国の毛利、四国の長曾我部、東北の上杉、関東の北条など、ほかの有力大名はまだまだ健在だった。
「そこから天下統一を果たしたのは、間違いなく太閤殿下の功績です」
「確かにその通りだ。故殿下は決して当家の勝ち馬に乗ったわけではない」
そう言って、秀信は何度も頷いた。
「故殿下に恨みがあると言われても、俺にはまるで分からぬ。まだ幼き頃に俺を抱き上げてくれた、好好翁の顔しか思い出せないのだ」
好好翁とは、優しくて気のいい老人のことをさす。
幼い秀信に対して、秀吉はまさに気のいい老人そのものだっただろう。
秀吉からすれば、秀信は都合の良い存在でしかなかったはずだ。しかし後世にも伝わる通り、秀吉は人心掌握の天才だった。稀代の役者と言ってもいい。
秀信を自分の孫同然に扱ったのも、織田家の家督を継がせて特別待遇を与えたのも、すべて自分が天下を獲るためだ。しかし秀吉はそういった野望をおくびにも出さず、相手の懐にするりと入ってしまうことを得意としていた。
「俺は故殿下に恩義がある。この城も、美濃国13万石も、故殿下が与えてくださったもの。ゆえに遺児である秀頼様のために使うのは、当然のことだ」
やはり秀信は義理堅い。ここらへんは血も涙もないと言われた信長にはなかった部分かもしれない。秀信が家老に逆らってでも西軍につくことを決心するまで、もうあと一押しといったところだろうか。
よし、このタイミングだ。
俺の切り札を使う時が来た。
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