島左近の采配
1599年3月4日。
福島正則、加藤清正、加藤嘉明、池田輝政、細川忠興、浅野幸長、黒田長政といった三成を憎む7名が、大阪の三成屋敷を襲撃した。
世にいう石田三成襲撃事件である。
三成がどうやってこの窮地を脱したかについては、諸説ある。なかでも伏見にある徳川家康の屋敷に逃げ込んだという説が、一番有力だったはずだ。
なぜ三成は仇敵であるはずの家康に助けを求めたのか。
それは家康が豊臣家を二つに割り、弱体化させることを目的としているから、ここで嫌われ者の自分が死ねば、豊臣家はひとつにまとまってしまう。だから家康は自分を助けるだろう、と読んだからだ。
三成の度胸と頭の良さがうかがえるエピソードだが、この状況を見る限り、それは後世の創作だったということだろう。
現に、こうして三成は伏見の外にいる。
つまり徳川屋敷には行かず京都を出て、隣の近江(現在の滋賀県)にある自分の根城、佐和山城へ逃げ込む段取りだったということだ。
とはいえいま目の前にいる三成は、伏見の徳川屋敷へ乗り込もうとしている。しかも助けを求めるのではなく、やろうとしているのは討ち入りだ。
このままでは、俺たちもそれに付き合うことになってしまう。
「あの、ちょっといいですか?」
流石にそれは避けたい。
「ほう、会話が出来るのか!」
三成は驚きながら喜ぶといった、なんとも器用な表情を見せる。
まるで新しい玩具を手にした子どものような無邪気さだ。
「それならば話は早い。して、其の方は何者か」
「…………」
正直、何者かと聞かれるのが一番困る。出身地と名前を言えば良いだろうか。
まさか400年以上先の未来からきました、とは言えまい。
「怪しい物ではございません」
とっさに出たのは怪しい奴の常套句だった。
だめだ。こんな言葉は怪しい奴しか使わない。
「しかし現代に生きる者ではないことは確かです」
慌てて次の言葉を繋げる。
「現世の者ではないということか?」
現世とは、いま生きている現実のことだった気がする。ここで肯定してしまうと、いよいよ俺たちの存在がややこしくなってしまう。
しかしどれだけ上手い言い訳したところで、俺たちはこの時代の人からすれば、怪しい物にしかならないだろう。
「取り急ぎはそれでお願いします」
「ふん、妙な話し方をするものよ」
「殿、お気をつけあれ」
左近はそう言って、あくまでも三成を窘めるようなスタンスを崩さない。
鋭い眼光は俺の一挙一動を捉えたまま微動だにせず、右手は腰に差した刀の柄に伸びている。よく見れば逆側の左脚は半歩ほど下がっており、いつでも刀を抜ける状態にある。その立ち振る舞いはまさに歴戦の武士だ。
主君はともかく、俺はお前たちを信用しないぞ、ということだろう。この時代の武士としては当然であり、家臣とはこうあるべきという姿を見た気がする。
むしろろくに身元も明かせない、それどころか人間かどうかも疑わしい俺たちに、早くも気を許している三成が異常とも言える。
「左近は討ち入りに反対か?」
「面白い、というのが忌憚なき意見です」
「そうこなくては!」
懐刀である左近の同意を得て、三成はその場で小躍りせんばかりに喜ぶ。
「キタンってなんすか?」
「遠慮のない、正直な意見のことだよ」
詩羽がのんきな声を上げ、文羽が小声で答えた。詩羽と比べてだいぶ気の弱い文羽としては、正直すぐにでもこの場から逃げ出したいというのが本音だろう。
「とはいえ大坂にて申し上げた通り、ここは逃げの一手が最良と存じまする」
左近はきっぱりとそう告げた。
そういえば三成の一行は、大坂からここまではるばる逃げて来たようだ。人目を忍ぶようにして、今いるこの場所のような山道を来たのだろう。
どんな体力だ。まったくこの時代の人間は化物じみている。俺らからすれば彼らのほうがよほど物怪だ。
「討ち入りはせぬと申すか」
「ただし」
不満げな声を上げる三成を遮るように、左近は付け加える。
「この者たちに助けを乞う、というのは賛同仕る。よって殿には急ぎこれに騎乗して頂き、佐和山に向かっていただく」
「はぁ!?」
「はぁ!?」
俺と三成が、まったく同じ声を上げた。
これに乗るって、プリウスに? 石田三成が?
なんの冗談だ。
「某の見たところ、これは人が乗るものであろう」
とっさに口を開こうとした三成を制するように、左近が続ける。
おそらく三成は何らかの反対意見を唱えようとしたのだろう。あまりにも慣れている左近の所作に、つい笑ってしまいそうになる。
「はあ……まあ、この通りです」
「これは馬よりも早く走れるのか」
ええと、この時代に日本にいる在来馬はサラブレッドではないから、全力で駆けたとしてもせいぜい時速30キロか40キロ程度のものだったはずだよな。
「おそらく倍のスピードは出せるかと思いますが……」
「すぴーど?」
そりゃそうだ。今の日本にそんな言葉はない。迂闊だった。
「この乗り物は馬の倍早く、駆けることが出来ます」
「ふむ、それならば話が早い」
左近はしたり顔で頷く。どうやら本気らしい。こんな得体の知れないものに主君を委ねるのはいかがなものかと思うが、何やらよほどの理由がありそうだ。
おそらく三成の一行はかなりの窮地に立たされている。大坂からここまで来るのは相当苦労したはずだ。しかし決死の脱出劇もここらが限界で、佐和山まで逃げ切るのは不可能である、と左近は踏んでいるに違いない。
それならば先ほど三成の言った台詞ではないが、この未知なる存在を神の思し召しとして逃走の足に使うことは、まさに名采配なのかもしれない。
そしておそらく、三成は一度言い出したら折れないタイプだ。よって三成の意見を取り入れつつ、本来の目的である佐和山を目指す方向性に切り替えた。
さすがは三成に島左近あり、と後世に語り継がれる名軍師である。
「先輩、本気すか?」
思わず感心してしまった俺に、詩羽が弱々しい声を上げた。
「ここにあの人を乗せちゃうんすか?」
詩羽は細かいことを気にしないタイプだと勝手に思っていたが、さすがに戦国時代の大名が隣に座るのは抵抗があるらしい。というかそんな状況を、平然と受け入れられる人間が稀か。
となれば文羽は後ろに行ってもらい、三成は助手席に座ってもらうしかない。
「本来なら目上の人は運転席の斜め後方に座るべきなんだがな」
「この時代にビジネスマナーなんてないっす」
その通りだった。
「殿、それで宜しいですな?」
「ううむ」
左近の念押しに、三成は揺れているようだった。
その態度でピンときた。三成は先ほど伏見へ引き返し、家康の屋敷を襲撃すると息巻いていたが、ようは得体の知れない物に乗ってみたかっただけかもしれない。本音を言えば、一刻も早く安心できる佐和山の城に戻りたいはず。
つまりさっき言った家康襲撃は建前だ。左近の出した案ならば、三成の本音と建前を同時に叶えることが出来る。
なるほど、これが三成に過ぎたるもの、と呼ばれた島左近か。
「其の方もそれで良いな?」
「あ、はい」
車の所有者も、運転するのも俺なのに、確認が一番最後とは。違和感を覚えたが、身分の高い者からすれば当然の振る舞いに違いない。
たとえ相手がどんなに得体の知れない物だろうと、間違っても立場が大名より上になることはないのだ。
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