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毛利の外交僧

 安国寺恵瓊(あんこくじえけい)という男がいる。日本で唯一、僧侶(そうりょ)にして伊予(いよ)(現在の愛媛県)6万石の大名にまでのぼり詰めた男である。

 安国寺は毛利氏に仕える外交僧(がいこうそう)、つまりスポークスマンだ。


 安国寺を大名に取り立てたのは他ならぬ豊臣秀吉であり、西国の大大名・毛利家との交渉窓口として尽力したことを評価されたからだという説がある。

 なんにせよ、毛利家との交渉事にはこの安国寺を通さなければならない。


 その安国寺が三成の呼び出しに応じて、はるばる佐和山城までやって来ていた。

 時は7月12日、関ヶ原の戦いまで残すところ2ヵ月ばかりである。


「食えぬ坊主(ぼうず)だ」


 安国寺を城門まで出て出迎えた後、左近がそう毒づいた。

 聞けば安国寺は大坂の屋敷で三成からの書状を受け取った際、届けた三成の家臣に「ようやくですか」と言ってのけたそうだ。


「それはどういうことですか?」

「殿が挙兵の時は自分を一番に頼るであろうと、あの坊主は分かっていたのよ」

「大した自信ですね」


 いまその安国寺は三成の奥の部屋で会合している。新参者の俺はもちろん、筆頭家臣であるはずの島左近まで入れないほど、徹底的な人払いが行われていた。

 しかしいつ呼び出しがあってもいいように、俺たちはこうして近くの部屋で待機しいるというわけだ。

 特にやることもないので、自然と安国寺についての話となる。


「実際にいまの毛利家を動かせるのは、外交を一手に引き受ける安国寺恵瓊と、毛利家現当主・輝元(てるもと)の補佐役、吉川(きっかわ)広家(ひろいえ)の二人だけだ」


 となれば三成からすれば選択肢も二通りあったはずである。

 しかし史実には三成と広家は不仲だったと聞いている。むしろ広家が一方的な憎悪を持っていたと言ってもいい。

 安国寺もそのことを理解しているからこそ、三成が毛利の助力を得ようと思えば、自分を頼るしかないと確信していたのだろう。


「あの坊主は、殿が必ず家康打倒の兵を挙げるだろうと予知していた。そして挙兵となれば毛利家の力添えなくては実現不可能なことも、よく分かっているようだ」


 左近からすれば、それが食えぬ坊主だということらしい。

 僧侶のくせに大名であり、さらには毛利家の顔のように振る舞う。そこがどうしても根っからの武人である左近には、好めないところなのだろう。


 しかし三成の挙兵を予見していたのだから、優秀であるのに疑いはない。


「あの坊主は大層な博打(ばくち)好きでな」

「博打ですか?」


 そう聞いて俺の頭の中には、刺青(いれずみ)の入った半裸のやくざ者が、サイコロを振って「丁か半か」と問う光景が浮かんだ。僧侶にはあるまじき行為だ。


「物の例えよ」


 俺の想像を読み取ったのか、左近は笑いながら訂正する。


「信長公の時代、あの坊主は次の天下人は太閤であると読み、率先して太閤に取り入って信頼を得た。その時の太閤は自分の居城も持たぬ、信長公の数多い家来のひとりでしかなかった」


 安国寺が秀吉に目を掛けるようになってから秀吉は異例のスピード出世を遂げ、翌年には長浜城主となり、天下人へと駆けあがっていったという。

 秀吉は早くから自分の才覚を認めていた安国寺をえらく気に入り、毛利家の外交僧としてではなく、自分の側近として大名にまで押し上げてしまった。


 つまり安国寺は賭けに勝った、ということなのだろう。しかしギャンブルどころか、もはや神がかり的な予言に近いんじゃないだろうか。

 もしかしたら俺と同じく未来から着たのではないか。


 しかし結果論で言えば、安国寺は今回のギャンブルでは負けてしまう。

 安国寺は首尾よく毛利家を動かすことに成功したものの、吉川広家は家康側と通じており、所領の安堵と引き換えに、不戦を約束している。

 毛利家は戦わずして負け、安国寺は三成と共に処刑される運命にあるのだ。


「権兵衛はあの坊主が、殿に何を話していると思う?」

「おそらく毛利家が加担(かたん)に応じる条件を伝えにきたのではないかと」


 おそらく、と言ったものの史実ではそうなっている。


「ふむ、条件か……」


 左近は渋い木の実を噛み締めるように、顔を強張らせた。


「安くないであろうな」


 左近の推察通り、この場で安国寺が三成に出した条件は三つ。

 家康討伐について豊臣秀頼のお墨付きを得ること、三奉行の同心を得ること、そして家康の失脚に成功した後には、筆頭大老の地位に毛利輝元を置くこと。 


「安国寺はいまの家康がいる地位に、毛利を()えたがるのでは?」

「わしもそう睨んでおる。あのがめつい坊主ならそれを望むだろう。しかしそれでは徳川が毛利に代わるだけで、豊臣家安泰(あんたい)とは言えぬ」


 左近がそのように警戒するのも無理はない。

 しかし毛利家からすれば、秀吉に恨みはあっても恩義はさほども感じていないはず。どれだけ三成が豊臣家への忠義を訴えたところで、自分たちにメリットがなければ、毛利家が動く理由はない。


 三成としてはこれらの条件を呑まざるを得ないだろう。なんせ毛利家が動かなければ、三成の挙兵は失敗したも同然だからだ。


「殿の狙いは、有力大名の力を削ぐことです。徳川と上杉、毛利の三家が全力でぶつかり合えば、ほぼ共倒れのような形になる。そうすれば毛利が高い地位についてもさほど脅威にならず、豊臣家安泰の世が続くと踏んでいるのでしょう」

「まさしくその通りだ。しかし――」


 左近は()に落ちない様子で、しきりに顎髭(あごひげ)を撫でている。


「徳川方にどれだけの大名がつくか分からんが……かなりの数になるだろう。我々が勝利すれば、かの者らの所領は没収ということになる。そうなれば毛利や上杉、宇喜多などは豊臣家を越える力を得るのではないか」

「そこは秀頼さまを取り立て、豊臣家の所領ということにするのでは?」

「もちろん殿ならばそうする。しかし毛利らはそれを許すだろうか」


 なるほど、そこまでの考えには至らなかった。家康打倒の戦力が家康亡き後は、そっくりそのまま秀頼打倒の戦力に移り変わることも考えられるのか。


「また日本全土の大戦となれば、どさくさに紛れて己の領土を拡大しようとする大名も出て来るだろう」


 左近の読み通り、九州では黒田如水(くろだじょすい)が挙兵する。彼は有力大名らが留守になった隙をついて九州全土を掌握しようとしたが、関ヶ原の戦いが予想よりずっと早く決着してしまった為、戦果を広げられなかった。


「とはいえ今は、家康との決戦に勝つことのみ尽力(じんりょく)せねばなるまい」


 左近がまとめたとき、ドタドタと足音を立てて従者が部屋に入って来た。

 なにかあったのか、ただならぬ様子だ。


「島さま、殿にお目通りを願います」

「ならぬ。今は人払いじゃ」

「それが火急(かきゅう)の知らせにございますれば……」

「ならばこの場にて申せ」


 よほど慌てて来たのか、従者は息を整える時間を置いた。

 そして大きく息を吸い込んだかと思うと、かっと目を見開き、


「大谷吉継殿、軍勢を率いてご到着!」


 声高々に、そう宣告した。


「なんじゃと?」


 それを聞くや否や、左近は弾かれたように立ち上がった。


「間違いないか?」

「はい。違い鷹の羽紋を確認しました!」


 大谷吉継の家紋は2種類ある。2匹の蝶が向かい合っている「()かい蝶紋(ちょうもん)」と、鷹の羽根が重なり合っている「(たが)(たか)羽紋(はねもん)」だ。大谷吉継といえば有名なのは蝶の家紋だが、関ヶ原の戦いでは「違い鷹の羽紋」のほうを使用したとされている。


「権兵衛、やったな!」


 左近は座ったままの俺の両肩に手を置いた。


「お主の手柄(てがら)がまたひとつ増えたぞ!」

「は、はい」


 吉継が再び佐和山城を訪れた。しかも垂井にいるはずの手勢を率いている。そのことから、会津へ出立する前にわざわざ挨拶に来たわけではないだろう。かといって攻め入るのが目的ではない。

 そうなれば目的はひとつだが……俺は吉継の説得に成功したのか。

 俺が喜べずにいるのは、本当にあれで良かったのか信じられないからだ。


「早速殿にお伝えしなければ」


 左近はそう言って、奥の部屋まで走った。

 三成にとって安国寺との交渉は一大事だが、こちらも負けていない。


 やがて数分も立たずして、今度は三成がドタドタと現れた。安国寺を部屋で待たせることにしたのだろう。そのまま左近を引きつれて、城外へ走ってゆく。

 さすがに俺たち家臣も腰を上げ、三成の後を追った。


 門の外には、板輿(いたごし)に座った吉継を先頭にし、後方は五助をはじめとする家臣団が固めていた。さらに後方には騎馬隊が最後尾も見えぬほどずらりと並んでいる。

 吉継はすべての兵を率いて、佐和山城に来たらしい。


「吉継殿、これは如何(いかが)なされたか」


 驚きに溢れた様子で、三成が問いかける。


「三成殿、私は腹を(くく)りました」


 三成の狼狽(ろうばい)をよそに、吉継は落ち着き払った様子で答える。


「三成殿はこの世に二人といない大うつけ者です。しかし私はそんな貴方の作る国が見てみたい。たとえこれが夢に終わろうとも――」


 吉継は相変わらず白頭巾を被っている。

 しかしそれでも、はっきりと破顔一笑したのが分かった。


「私は三成殿と共に死ぬことにいたしましょう」


 これは三成に加担するという意思表示に他ならない。


「吉継殿……いや、紀之介!」


 三成はそう叫ぶと吉継に駆け寄り、その手を強く握った。


「お主は死なぬ。そして俺も死なぬ。この戦、必ず勝とう」


 人目もはばからず涙をぼろぼろと零す三成に対して、吉継は静かに笑っていた。

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