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佐吉と紀之介

「…………」

「…………」


 沈黙が痛い、とはこのことだろう。

 このまま夜が明けるのではないかと思いきや、吉継が口火を切った。


「およしなさい」 


 吉継の言葉は、史実通りの拒絶だった。


「話はこれまで。私は何も聞かなかったことにします」

「刑部、俺の話を――」

「気は確かか、佐吉(さきち)

「――っ」


 吉継が突然三成の幼名を口にしたことで、三成は息を飲んだ。

 吉継のことだからこの場の感情でとっさに口から出た言葉ではないだろう。

 その証拠に、口調まで変わっている。


 つまりここからは大名の石田三成と大谷吉継ではなく、秀吉の小姓(こしょう)時代からの付き合いである、佐吉と紀之介(きのすけ)として腹を割って語らおう、というのだ。


「佐吉、お主はたかだが19万石。対して徳川は250万石。勝負になるまい」


 大名の石高(こくだか)、すなわち領地で収穫できるお米の総量は、戦時下の兵力動員数に直結する。諸説あるものの、1万石で250人から300人程度だと言われている。

 つまり三成はどう頑張っても5,000人ほどの兵力しか動かせず、家康は6万人以上の大軍勢を率いることが可能ということだ。

 5,000と6万では勝負にもならないというのは、誰が見ても明らかだ。


「紀之介、聞いてくれ。挙兵に及ぶのは俺だけではない」

「ほう?」

「近々、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)殿がここ佐和山までお越し下さる手筈(てはず)になっている」

「毛利家を動かすため、あの外交僧(がいこうそう)を抱き込む気か」

「ああ。毛利輝元(もうりてるもと)殿を筆頭に、宇喜多(うきた)秀家(ひでいえ)殿、小西行長(こにしゆきなが)殿、ほか西国(さいごく)大名が続々と同志になりつつある。俺の呼びかけに対する諸侯の返書がこれだ」


 言いながら、三成は背中から数枚の文を取り出し、吉継にも見えるよう広げた。しかし吉継はそれをひと目見ただけで、すぐ三成を真っ直ぐ見つめる。

 白頭巾の合間から覗く双眸(そうぼう)は、先ほどふたりで固い握手を交わした時とは打って変わって、ひどく冷たい。


「佐吉、お主のことだ。心より豊臣家のご安泰(あんたい)を願っているのだろう。しかしいま挙兵に及ぶことは、かえって豊臣の治世(ちせい)を乱すことになるとは思わんのか」

「背に腹は代えられぬ。このまま家康を野放しにしていては、確実に豊臣家は打ち滅ぼされる。それならばいっそ――」


 三成はそこで一度口を閉じた。


「いっそ?」

「…………」


 吉継の追及にも、三成は先を続けようとしない。

 俺には、次の言葉を口にするのを躊躇(ためら)っているように見えた。


「豊臣家さえ続くのであれば、世が乱れることも(いと)わず――か?」


 三成の言葉を待たず、先に口を開いたのは吉継の方だった。

 

「…………」


 三成は答えない。


「徳川と上杉の争いに加えて、毛利らの西国大名が加われば、もはや日本(ひのもと)を二つに割った比類(ひるい)なき大戦(おおいくさ)になる。さすれば有力な大名はどちらに加担(かたん)しようとことごとく疲弊(ひへい)し、家康亡き後で豊臣の天下は安泰になる。それが(まこと)のねらいか」


 吉継が言葉を(つむ)ぐたび、背筋に汗が流れるのを感じた。

 なんという読みの鋭さ。なんという思考の深さ。


 今回の家康に会津征伐を起こさせ、東西から挟み撃ちにするというのは、三成と直江兼続(なおえかねつぐ)による共同の作戦だ。しかし敵味方問わず、世の大名すべてを弱体化させようというのは、恐らく三成だけが思い描いていた構想だろう。


 史実としても、三成にそのような考えがあったことは残っていない。つまり自分の中に秘め、腹心の左近含めほかの誰にも明かしていないのだろう。

 それを古き友とはいえ、こうも言い当てるとは――


 これが大谷吉継か。


「佐吉、お主の思い描く通りに事が進めば、たしかに豊臣家を守ることはできるだろう。しかし民はどうなる。武士が疲弊すれば、当然民も苦しむことになる。豊臣家あっての日本(ひのもと)ではない。民あっての日本だ。それが分からぬお主ではあるまい」


 吉継の言う通り、誰よりも善政をしき、民の声に耳を傾けて来たのが三成だ。


「多くの民が飢えて死ぬぞ。それがお主に耐えられるのか」

「覚悟の上だ」

「佐吉、お主に修羅(しゅら)の道を()く覚悟はあるのか」

太閤殿下(たいこうでんか)の最期を看取(みと)ったのは俺だ」


 ここで急に秀吉の話になり、吉継が(まばた)きをした。


「太閤殿下の最期の言葉を聞いたのも俺だ。ゆえに覚悟はとうに固まっている」

「あの太閤が、民の不幸をお(ゆる)しになると思うのか」

「それは分からぬ」


 三成はきっぱりと言い張った。


「ただ――太閤殿下は俺に、秀頼(ひでより)を頼む、とご申しつけなされた。そのご遺言を守るためならば、この三成喜んで(ごう)を背負い、()(ごく)に堕ちるとしよう」


 俺の中で三成は、愚直で融通のきかない正義感の強い男だった。ただ秀吉への恩義に報いるため、家康という巨大すぎる敵に立ち向かった男だと思っていた。

 しかし実際の三成は違った。史実通り、いや史実で残されているよりも遥かに頭の切れる男で、物事を深いところまで捉えることのできる人物だった。


「佐吉、お主はそこまで――」


 三成の背負った十字架はあまりにも重い。それがひしひしと伝わったのか、吉継は目がくらんだかのように目頭を押さえた。


「私は可能ならばお主と共に会津へ()き、上杉中納言(ちゅうなごん)を説き伏せ、徳川との間柄を調停しようと思っていた。不要な乱を(しず)めてこそ、秀頼(ぎみ)のお為になるはずだ」

「それはできぬ相談だ。俺は上杉とも気脈(きみゃく)を通じている。兼続(かねつぐ)殿による家康への挑発も、俺の作戦によるものだ」

「やはりそうであったか……」


 三成から挙兵の話を持ち出された時点で察しがついていたのか、吉継は両目を閉じ、諦めたように呟いた。


「佐吉、私の考えは変わらない。お主では徳川には勝てん」

「しかし、会津と我らで東西から江戸を挟み撃ちにすれば――」

「あの用心深い徳川が、考えなしに会津を攻めると思うのか。あのお方はお主が知るよりずっと(ふところ)の深い男だ。お主が動くのを誘っているのではあるまいか」


 こちらの動きは家康にすべて筒抜けである。それと同じような吉継の物言いに、石田家の家臣らに動揺が走った。

 黙ってその言葉を噛み締めているのは左近だけだ。

 大坂の上杉屋敷で行った会合にて、すでに勝利は疑いないものだと自信に溢れた直江兼続とは違い、左近は初めから疑っていたような節があった。


 いまこうして吉継に耳の痛い言葉として突き付けられなくとも、左近はあの時すでに、三成と兼続が考え付くようなことは、家康なら読んでくるに違いない。そう確信していたのかもしれない。


「それは百も承知。この機会を逃しては、二度と家康を討つ機会はない」


 三成はさしたる動揺も見せず、毅然(きぜん)と言い放った。

 三成とて今回の挙兵が必ず上手くいくとは(つゆ)ほども思っておらず、一世一代の賭けであることは分かっている。あえて火中(かちゅう)の栗を拾おうとしているのだ。


「私にはお主が生き急いでいるようにしか見えぬ。徳川は御年(おんとし)59。お主よりも必ず先に死ぬ。みすみすこちらから機会を与えてやることはあるまい」

「紀之介、聞いてくれ。こうしている間も家康は着々と力を増し、反対に豊臣恩顧の大名は削られてゆく。いま討たねばならんのだ」

「私は御免(ごめん)(こうむ)る。これ以上の会話は無用だ」


 吉継は前のめりになった三成を手で制し、そのまま腰を上げた。

 背後に控えていた吉継の従者(じゅうしゃ)が、すぐさまその補助に入る。


「紀之介、待て」

「くどい。これ以上は聞かぬ」

「いや、そうではない」


 三成は被りを振って、あろうことか俺の方へ向き直った。


「権兵衛」

「はっ」

「紀之介を垂井の宿まで送って差し上げろ」


 ここで俺が呼ばれることも、吉継の送迎を頼まれるのも予想外だった。しかも俺に頼むということは、すなわち吉継にプリウスの存在を明かせ、ということだ。


「いいや結構、表に輿(こし)を待たせてある」


 このとき吉継の病気はかなり進行しており、足腰は乗馬が出来ないほどにまで弱っていたという。


「いいや、紀之介。お主に是非乗ってもらいたいものがある」

「乗ってもらいたいものだと?」


 吉継が眉をひそめる一方、俺はいまきっと顔面蒼白(がんめんそうはく)になっているはずだ。

 この俺に吉継の送迎を申し付け、さらに最も秘匿(ひとく)しなければならないプリウスを吉継に開示する。そのことから導き出される、俺の役目とは。


 まさか――三成は、俺に吉継を説得しろと命じているのか。

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