大谷吉継
石田三成を語る上で避けては通れない人物がいる。それは主君の豊臣秀吉であり、仇敵の徳川家康であり、筆頭家臣の島左近だったりする。
越前(現在の福井県)敦賀5万石の大谷刑部吉継はその筆頭だろう。
三成と吉継の間柄は奇妙であり、面白い。
というのも、この時代に人間関係を表す「友情」という概念は存在しないからだ。しかし後世に、吉継は三成の掛け替えのない友人だったと残されている。
三成と吉継は共に近江(現在の滋賀県)の出身であり、秀吉に小姓として仕えるようになった時期も同じである。その後もふたりは秀吉の下で一緒に行動することが多かったため、友情が育まれるのは当然という見方もできるだろう。
しかし世は戦国時代である。武士の人間関係は主従という縦の繋がりのみであり、唯一の例外は家族や親族といった血の繋がりしかない。だからこそ当時は婚姻が政略的に使われていたのだ。
つまりこの時代に結ばれる人と人の縁は、圧倒的な力の差か、血の繋がりか、もしくは利害関係かのどれかだった。しかし三成と吉継はそのどれにも該当せず、ただただ友人同士として親しかったとされている。
横柄者と呼ばれ、豊臣家臣のなかで嫌われていた三成にとって、唯一の親友と言っていいのが、吉継だった。
その大谷吉継が佐和山城へ来訪するとあって、城内はざわついている。
「刑部殿が味方してくれれば殿も安泰じゃ」
「百万の味方よりもよほど心強い」
吉継の来訪を告げる使者の到着に、家臣たちは一様に気分を高揚させた。
家康による会津征伐が始まり、三成は挙兵を明日にも控えている。よって吉継が三成に味方するべく佐和山城を訪れるタイミングとしては、いま以上にない。
だから家臣たちも「流石は大谷吉継」と声を揃えているのである。
しかし三成から挙兵の話を持ち掛けられた吉継は、味方するどころか、まずそれを止めさせようとしたと歴史に残っている。だから手放しで喜ぶことはできない。
当然そうなることを夢にも思わない三成は、親友の到着を誰よりも喜んだ。
「よくぞお越し下さった。此度の来訪、これに勝る喜びはない」
吉継の手をがっちりと掴み、三成は声を震わせた。
ここ佐和山城と敦賀城はそれほど離れてはいない。直線距離にしておよそ60から70キロほどしかなく、現代であれば北陸自動車道を使えば、車で1時間程度で行けてしまう距離だ。
もちろんこの時代にそんな便利なものはなく、また大名同士ともなれば、そう簡単に自分の領地を留守にすることもできず、国をまたいでの移動にも制限がある。だからこうして顔を合わせて話す機会は、人生においてそう何度とあるものではない。こうしてふたりが手を組み交わすのは、当然のことだった。
「私もぜひお会いしたかったです」
吉継はそう言って、目を細めた。笑ったのかもしれない。
表情が分からないのは、顔のほとんどを白い頭巾で隠しているからだ。
吉継は三成と同い年だったとする説と、三成よりひとまわり若い36歳だったとする説がある。しかし顔が隠れている以上、実際のところは分からなかった。
吉継が顔を隠していたのは、業病によって肌が崩れていたからだとする説がある。業病とはこの時代における難病、あるいは不治の病のことを指す。
「今生の名残りとして、ぜひあなたと話したかった」
「今生の名残り、とは?」
「この体はすっかり病に蝕まれてしまいました。もはや自力で歩くことも叶わず、目もほとんど見えません。私に残された時間はもう長くないでしょう」
「そんな状態で、よくぞここまで……」
三成の瞳に涙が浮かんだのが、ここからでも見て取れた。
「それはひとえに戦のおかげでしょう。内府殿の申し出を聞いた途端、力が溢れてきました。私にも、まだやるべきことがあるのだと」
「つまり――刑部は、上杉征伐に加担すると申すのだな?」
「ええ。私の率いて来た軍勢はいま、美濃の垂井に宿を取っています。せっかくなので三成の顔を見ておこうと思いまして」
ここから現在の岐阜県垂井町までは30キロほどだ。その隣に、このふたりにとって運命の場所になる関ヶ原がある。もちろん現在は知る由もない。
「俺の顔を見るために、わざわざ佐和山まで?」
「いえ、重家殿を迎えに来ました」
「隼人正を?」
石田隼人正重家は、三成の長男だ。
この時たしか12歳かそこらである。
「三成は蟄居中の身の上で、此度の会津征伐には参戦できないと思いまして。そこで代わりに、ご嫡男を私の陣に加えてはいかがでしょうか」
「隼人正を、そなたに預けると?」
「ええ。そうすれば内府殿との諍いも、上手く収まりましょう」
三成の親友として知られる吉継だが、家康とも懇意にしていたとされている。現に秀吉の死後、前田利家と家康の間に緊張が走った際は、家康を守るために病を押して、伏見の徳川屋敷へ駆けつけている。
吉継としては親友の三成が、いまや絶大な権力を誇る家康と不仲であることを悲しく思い、仲を取り持とうとしているのだろう。
「そのことだが――」
三成は言葉を濁し、左近のほうをちらりと見た。目配せの意図を理解した左近はすぐさま膝行と呼ばれる作法で、座ったまま吉継に近寄る。
「三成が家臣、島左近にございます」
「おぉ、お噂はかねがね」
紹介を受けた吉継は、さぞ嬉しそうに目を細めた。
「あなたが三成に過ぎたるもの、島左近ですか」
「お戯れを。そのような称賛こそ、私には過ぎたるものです」
「いえいえ、貴殿の武勇は遠く敦賀まで届いておりますよ」
「かの太閤殿下様より、100万の軍勢を率いさせたいとまで言わしめた刑部さまにそのようなお言葉を頂けるとは、恐悦至極に存じます」
「なんのなんの、いまはひとりで歩くこともままならぬ身です」
お互いに褒め合い、お互いに謙遜するといった日本人的なやり取りが交わされた後に、左近は本題へと移った。
「せっかくの申し出ですが、重家殿はお預けいたしかねます」
「なんと?」
「そして無礼を重ねて言上たてまつる。刑部さまにおかれましては、会津行きをお見送り頂きたい」
「ほう?」
空気が変わった。それは武士ではない俺でも分かるほどだ。
まるで突然現れた一本の糸が、ぴんと張りつめられたようだった。
「いま、なんと申されましたか?」
最初に吉継を見たとき、大名にしては腰が低く、温和な雰囲気を纏った人だと感じた。この人が本当に秀吉や家康の認めた天才軍師なのかと拍子抜けしたほどだ。
しかし、このプレッシャーはどうだ。俺は吉継に声を掛けられてもいないし、見られてもいない。しかし胡坐をかいだ足が小刻みに震えている。額に汗が浮かんできたが、暑くはない。むしろ深い井戸の底のような冷たさがある。
あの猛将・島左近ですら、低頭姿勢のままぴくりとも動けない。聞かれたのに、口を開くこともできずにいるようだ。
これが大谷吉継か。
「……俺から話そう」
吉継と対等に話せるのは、この場には三成をおいてほかはない。
そのことを痛感したのか、三成が重い口を開いた。
「俺も刑部も、太閤殿下の御恩を一身に受けた、豊臣の申し子だ。そんな我らが、卑しくも天下を狙う不忠の家康の下に、堂々馳せ参じるわけにはいくまい」
「されば会津行きを取り辞めて、三成はどうなさるおつもりでしょう」
吉継は挑むようにそう尋ねたが、答えを分かっているように思えた。
「…………」
「なるほど。挙兵に及ぶ御所存ですか」
俺の予想は当たった。つい黙り込んでしまった三成を見て、吉継はすべてを悟ったかのようにそう言った。
「……如何にも」
諦めたように、三成は首肯した。
はじめから三成は、ここへ訪れた吉継を自分の陣営に引き入れるつもりだった。とはいえこれほどの大事を単刀直入に言うわけにもいかず、ワンクッション挟んで誘いをかけるつもりだったのだろう。
しかし吉継の賢さと理解の早さは、三成や左近の想像以上だった。会津征伐への不参加を告げられるや否や、瞬く間に挙兵まで行きつくとは。
こちら側からすれば、完全に出鼻を挫かれたかたちになった。
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