石田三成
さて、どうしたものか。
この人物が本当に石田三成なら、感動ものである。
俺たちの目的は関ヶ原古戦場ツアーだ。しかしどういうわけか、関ヶ原の戦いで西軍を実質的に率いていた人物が、今こうして目の前にいるということか。
とはいえその石田三成(仮)は倒れてしまっており、完全に車の影になっていて姿を見ることができない。
そして俺は加害者である。石田三成を車で轢いた人間など、日本広しと言えどもそういないだろう。いや、他にいてたまるか。
とりあえずこんな時はどうするべきだろう。
俺は迷った挙句、ひとまず運転席側の窓を開けることにした。車を降りることはもちろん、ドアを開けることにすら抵抗がある。
まずは会話だ。顔を出すくらいなら大丈夫だろう。
「だ、大丈夫ですか……?」
交通事故の加害者側が取るべき正しい対応なんて分からない。なにせこちらは免許を取ったばかりの初心者ドライバーだ。この場合相手が何者なのかは置いておいて、とりあえず下手に出ておけば問題ないだろう。
「人間だ! おい、人間がいるぞ!」
「中におったということは、これは籠か!?」
「馬鹿を申すな、このような籠があるか!」
顔を出したことで、かえって相手を混乱させてしまったみたいだ。
「あのう、ぶつかっちゃった人、大丈夫ですか?」
会話にならなかったので、もう一度聞いてみた。
すると足軽のひとりがずい、と前に出て来る。
「き、貴様、なんと無礼な態度か! このお方を誰と――」
「控えいッ!」
びっくりした。
吠えたのは、先ほど島様と呼ばれた男だ。
「それは言ってはならぬ。なんのために身を忍び、灯火を消し、馬も使わずここまで来たと思っておるのだ」
「ははーっ!」
というか、石田三成そのばに控える島様って、島左近か。
三成を語る上で避けることは出来ない、筆頭家臣だ。
なんということだ。まさかこの二人を実際に見ることが出来るとは。
「左近、もうよい。俺は大丈夫だ」
その時、車の前方から初めて聞く声がした。
この騒がしい中で、やけに透き通る声だった。
「そんなに大声を出しては、それこそ忍んできた意味がなかろう」
「はっ、仰る通りです」
「もう離せ。大した傷ではない。ひとりで立てる」
男が立ち上がったことで、俺たちからは急に現れたかのように見えた。
この男が石田三成か。
肖像画の人物とはだいぶ違う。線の細い、小柄な男だった。
「左近。これをどう見る」
三成は着物の土を払いながら、そんなことを言った。
「と、申されますと?」
「俺にはこれが人ならざるものに見えるが」
そう言って、三成は改めてこちらに向き直った。
徳川家康をタヌキ、石田三成をキツネにたとえた話があったが、なるほど、たしかにキツネに見える。単にライトが眩しくて、目を細めているだけなのだが。
「ははっ、某も同意見でござる」
「やはりそう思うか。これは人外の使いか、あるいは物怪かのどちらかだろう」
もしかして、三成たちにはこの車が生き物に見えているのか。
言われてみればふたつ並んだヘッドランプは、目玉に見えなくもない。プリウスだから静かではあるものの、エンジン音だって唸り声に聞こえなくもないだろう。
「ふむ……なるほど、そういうことか」
「と、殿?」
「左近、俺は決めたぞ」
三成は顎に手を当ててしばし考えるような顔つきをしたかと思うと、突然名案が浮かんだとばかりに表情を明るくした。
「俺はいまからこれに乗って、伏見に戻る」
とんでもないことを言いだした。
「殿、何を申されます!」
左近や周りの足軽が慌てるのも無理はない。
彼らからすれば、まったく得体の知れない物怪に殿が殺されそうになったかと思いきや、今度は殿がその物怪に乗ると言い出したのである。
しかもどこへ行くだって? 伏見だと?
「俺はこいつを使って――あの憎き家康を討つ!」
三成は不敵な笑みを浮かべたまま、高らかにそう宣言した。
待て待て、家康を討つだと? この車を使って?
まったく理解が追い付かない。
「殿、それは一体どういうお考えで――」
「左近、しかと聞け。俺の前にかような者たちが現れたということは、物怪の力を借りてすぐさま伏見へ取って返し、家康を討てと神は仰せかもしれん」
「殿、しかしそれは――」
「さればこれをなんとする。この昼間の如く眩い明り、鋼が如き肉体、そしてこやつは駿馬のような速度で迫ってきおった! この世のものとは思えん!」
三成は興奮冷めやらぬ、といった様子で捲し立てる。
うーん、こうして実物を見ると、とても冷静な五奉行筆頭の石田三成像とは似つかわしくない。
おそらく戦国時代の人間に自動車なんてものを見せたら、誰でもこうなってしまうのかもしれない。もしくは事故に遭って、興奮状態にあるかのどちらかだろう。
まだアドレナリンなんて言葉のない時代だが。
「そもそも、この俺が左衛門尉や主計頭ごときから逃げるというのが気に食わん」
「殿、ここまで来てまだ申されますか」
左近はまたいつものが悪癖が始まった、とばかりにため息をつく。
左衛門尉や主計頭というのは豊臣家における役職で、左衛門尉は福島正則を、主計頭は加藤清正のことを指しているはずだ。
なるほど、それを聞いて今がいつ頃なのか、そして何が起こっているかを理解することができた。
石田三成が福島や加藤から逃げるといえば、関ヶ原の戦いの一年前に起きた、豊臣七将による石田三成襲撃事件だろう。
天下人である豊臣秀吉はすでに亡くなっており、徳川家康がついに自分の時代が来たとばかりに、天下を手中に収めようと行動を開始した時期だ。
「あいつらはどうしようもない馬鹿だ。いま俺を殺してなんになる。豊臣恩顧の大名が二つに分かれれば、家康が喜ぶだけだと何故分からんのだ!」
三成はまだ喋っている。
一度感情的になって相手の悪口を言い出すと、止まらなくなるタイプらしい。
歴史書で語られる三成という人物は、義理堅いが強情であり、とにかく融通が利かない。また尊大な態度で人に応じてしまう悪癖があり、陰では「横柄者」と呼ばれ、多くの大名から嫌われていたらしい。
そこで三成を憎んでいる大名たちが、あんな奴は斬ってしまえと、ついに腰を上げて行動に移したのが石田三成襲撃事件なわけだが……
その襲撃から逃げている最中に、俺と事故ってしまったということか。
なんとも間の悪い。
「先輩、ひとつ思ったんすけど」
「どうした」
必死に状況を整理しようとしている俺の心労もいざ知らず、詩羽が身を乗り出して話しかけてきた。その頬はわずかに赤くなっており、興奮しているのが分かる。
「うちはゲームに出て来る石田三成が若いイケメンなのも、大河ドラマの石田三成を若いアイドルが演じるのも、許せないタイプなんすよ」
「いきなりどうした」
それはちょっと分かる気もするが、いま言うことか?
「それがなんなんすか、実物も結構イケメンじゃないすか!」
「知らねーよ、良かったな!」
ちょっとは緊張感を持ってくれ。
「左近、もう俺は決めたぞ!」
「殿、お待ちくだされ! 何卒ご再考を!」
一方で、あちらはあちらで大変な様子である。
いよいよどうしたものか分からなくなってきた。
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