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直江状

 俺たちがこの時代にやって来てから月日は矢のように過ぎ、ついに年が明けた。この時代で見る二度目の桜が咲こうかというとき、家康と上杉家の対立が決定的になる事件が起きる。


 大坂屋敷での取り決め通り、会津(あいづ)(現在の福島県)へ帰国した上杉景勝(うえすぎかげかつ)直江兼続(なおえかねつぐ)は、すぐさま新しく城や砦を築き、軍備増強に取り掛かった。

 しかし家臣の堀直政(ほりなおまさ)という人物が裏切り、上杉の動きを家康に密告してしまう。上杉が謀反(むほん)を企てているのではないかと怪しんだ家康は、景勝に対して申し開きをさせるために上洛(じょうらく)(地方から都へのぼること)を迫る書状を送った。

 

 それに対する直江兼続の挑戦的な手紙、世に言う「直江状(なおえじょう)」を見た家康は激怒し、会津へ攻め入ることを決めたのである。


「直江殿は上手く家康を焚きつけることに成功したようだ」


 左近が言うには、家康は怒りのあまり、すぐさま上杉を討つべしとわめき散らしたようだ。その対応に当たったのは奉行職の長束正家(なつかまさいえ)増田長盛(ましたながもり)らで、憐れな彼らは「相手は田舎者だから仕方ない」などと言って、必死に家康を収めたらしい。


「もうじき家康が天下に御触(おふ)れを出し、上杉討伐の連合軍を結成するだろう。殿が動く絶好の機会であり、わしらも忙しくなるぞ」


 そう言った左近はどこか嬉しそうで、鋭い眼光は燃えているように見えた。




 

 それから桜が散り、初夏の兆しが訪れはじめた時。

 左近の言う通り、家康が諸大名に号令を放った。


 会津の上杉景勝に謀反(むほん)(きざ)しあり。豊臣家ご安泰(あんたい)の為に討伐すべし――

 世にいう会津征伐(あいづせいばつ)の時が来たようだ。


 西暦で表せば1600年6月2日。これは俺の記憶と一致する。つまり現在は俺の知る日本の歴史と、同じ道を歩んでいるということだ。

 そしてこの道は、関ヶ原に続いている。


「すべての道は関ヶ原に続いている、ってやつっすか」

「それを言うならローマに続いている、だろ」

「カエサルの言葉っすね」

「ラ・フォンテーヌの言葉だよ」

「どっちも同じイタリア人じゃないすか」

「ラ・フォンテーヌはフランス人だよ」

「お前もか……」

「それがカエサルの言葉だ」


 詩羽は相変わらず適当な歴史を覚えている。


「ところで直江状って、どんなこと書いてあったんすか?」

「仕方ねえな、説明してやるよ。フミ、家康役をやってくれ。俺が兼続役をやる」

「なんで私なんですか……」


 離れたところで本を広げていた文羽は、迷惑そうにこちらを見た。

 勤勉な文羽は最近この時代の文字が読めるようになってきたとかで、ああして佐和山城内にある文献(ぶんけん)に目を通しているらしい。俺や詩羽にはミミズが張っているようにしか見えないので、大した才能だ。


「現役JKにも分かる直江状でお願いっす」

「私も現役JKなんですけど」


 とはいえこの時代に来てからもう一年以上経っているので、本来ならとっくに卒業してJKじゃなくなっている。俺も大学2年生になっているはずだった。


「頼むよ。また新しい書物を貰ってきてやるから」

「しょうがないですねぇ」


 文羽は秀才だが、意外とチョロい。


「でも私は先輩ほど直江状の内容に明るくないですよ」

「適当でいいよ」

「それじゃあ」


 文羽はこほん、とわざとらしい咳ばらいをしてから、話し始めた。


「やいやい上杉、おいこらてめぇ!」


 意外と演技派だった。


「徳川くんと上杉くんは仲悪いんすか?」

「たしかに同級生にキレてるみたいだったな」

「上杉くんは掃除当番でもすっぽかしたんすかね?」

「それはお前だろ」


 詩羽の悪ノリに合わせてしまったせいで、文羽がこちらを睨んでくる。


「と、徳川殿、いかがなされた?」

「ウエスギ ムカツク セメホロボス」

「急すぎだろ」

「なんでカタコトなんすか?」


 それで攻めて来られたら直江状関係ないじゃねえか。


「こほん。えー、上杉家には良からぬ噂があるようじゃ」


 急に戻るのか……


「武器を買い集めているのは、どうしてじゃ?」

「我々はしょせん会津の田舎武士なので、鉄砲や弓矢を集めるのが趣味なんです。なので徳川様に文句を言われる筋合いはございませんし、そんな小さなことをいちいち気になさるようでは、徳川様の器が知れますよ」


「道路を整備し、川に橋を渡しているのは、どうしてじゃ?」

「それは国を治める大名の義務です。それに道を整備すれば、攻め込み易くなってしまいます。もし上杉家に謀反を起こす気があれば、道を開くよりも逆に国境を閉じて道をふさぐでしょう。常識的に考えれば分かることです」


「大阪城に出向いて、言い訳をするべきじゃろ?」

「上杉家は新潟から福島へお引越しして、さらに大阪でのお仕事を終えて昨年9月にようやく帰国したばかりです。それなのにまた大阪へ出向けとは、新幹線もない時代に無茶を言いますね。頭おかしいんじゃないですか?」


「……本当に、謀反を起こす気がないのか」

「だからないですって。こっちがどれだけ説明しても徳川様には理解できないようなんで、出来るもんなら会津に攻めて来ればいいんじゃないっすか。最強の上杉軍団がフルボッコにしてやるよ」


「先輩、すっげえ分かりやすかったっすけど、フミがキレそうっす」

「すまん。つい身が入ってしまった」

「…………べつにいいですけど」


 文羽はそう言うとこちらに背を向けて、読みかけの文献に戻ってしまった。

 慣れない口調が可愛くて、つい意地悪をしてしまった。


「なんか家康がキレるのも当たり前って感じっすね。本当に直江兼続はそんなことを書いたんすか?」

「いや、どんなことが書かれていたのかはっきりしていないんだ」


 実際のところ直江状の原本(げんぽん)は見つかっていない。写本はいくつか存在するものの、どれも内容が微妙に異なっており、偽文書ではないかという説もある。

 しかし左近の話を聞いた限りだと、後世に残っている直江状の内容が本物かどうかはさておき、兼続の送った返事の内容に家康が腹を立てたというのは、紛れもない事実のようだ。


「これから俺たちも忙しくなるかもな」


 関ヶ原の合戦まで、残り3ヵ月ほどしかない。

 この3ヵ月が石田三成の、そして俺たちの行く末を決めるのだ。佐和山城に引き籠って、こうして駄弁っているだけの生活もこれまでだろう。


「えぇ、悠々自適なシローライフも終わりっすか?」

「スローライフみたいに言うな」


 そんな悠長なこと言っていられるのもあと少しだ。


「これから何が起こるんですか?」


 いつの間にか文羽がこちらに向き直り、不安げに聞いてくる。

 双子は戦国武将オタクであるものの、関ヶ原の合戦までに起こった出来事の時空列を、完璧に把握しているわけではないようだ。


「家康と同じく石田三成も全国に(げき)を飛ばし、連合軍を結成する」


 まもなく関ヶ原の「西軍」が形を成す日も近い。

 もう数日もすれば家康は大阪城に諸大名を招集し、上杉討伐軍を結成する。そして豊臣秀頼に上杉討伐のお墨付きを貰い、遠路はるばる会津まで進軍するはずだ。


 一方で三成は、家康の要請に従う振りをして軍備を整えつつも、謹慎中であることを理由に居城の佐和山に留まり、これまで家康を討つためにしてきた準備を決行段階に移してゆく。


 その動きはまさに電光石火だ。

 後世には戦下手だと伝わる三成だが、俺は三成の真価は戦の本番よりも準備段階にあったと見ている。事実として三成には、豊臣秀吉が天下人になるまでの軍事行為を裏で支えてきた経験がある。

 だから1ヵ月程度の期間で、10万近い大軍勢を結成することができたのだ。


「私たちはどうなります?」

「ここ佐和山城に残るか、大坂へ行くことになるだろうな」


 佐和山城に残ると聞いて、文羽は青ざめた。

 三成推しとしては、この城の行く末がどうなるかくらい知っているようだ。


「これから俺たち三人は固まって、車で動いたほうがいいだろう」


 俺の提案に、双子はこくこくと頷いた。

 なんならここから先はなるべく車から出ないほうがいいかもしれない。車内が絶対に安全というわけではないが、生身のままその辺にいるよりは絶対にマシだ。


「ていうか、そろそろあのお方が登場するんじゃないすか?」

「あのお方とは?」

「うちの推しっすよ、推し!」

「ああ……」


 そういえば詩羽は推しの戦国武将がいるんだった。

 なんだか懐かしく、遠い昔のことに感じる。戦国愛好会(せんごくあいこうかい)の部室で推しの話を聞いてから、もう二年以上経つのか。


大谷吉継(おおたによしつぐ)なら、そろそろ来るんじゃないか?」

「まじすか、楽しみっす!」

「間違っても失礼なことするなよ。アイドルじゃないんだからな」

「遠くから見守るだけっすよ!」


 詩羽はそれがファンの節度っす、と胸を張る。


 その吉継が佐和山城を訪れたのは、6月末のことだった。

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