家康の刺客
上杉屋敷を後にした俺たちは、宿屋へ向かうことになった。
このまま一睡もすることなく近江にとんぼ返りかと不安だったが、鬼の左近もそこまで鬼ではなかったらしい。
俺の体力が限界であることに加えて、車での移動は夜しか無理だ。
よってひとまず夜まで仮眠を取ろうとのことだ。
左近は大坂の町に慣れているらしく、すいすいと歩を進める。俺からしたら木製の長屋なんて全部同じに見えてしまうのに、左近は角を曲がる際に迷いもしない。大した記憶力だ。
そうして辿り着いたのは、左近ほど身分の高いものが泊まるとは思えないような安宿だったが、今回はお忍びだ。三成の家臣がふたりも大坂にいると割れれば、面倒なことになるだろう。伏見や大坂のような大きな町には、家康の刺客が放たれていることは間違いない。
部屋に通されると、すでに布団が二人分敷いてあった。
なるほど、やはり事前に左近から声の掛かった宿だったか。
「休まないんですか?」
早速横になろうとした俺は、左近が素早く身支度を整え、またすぐ出ていこうとしていることに驚いた。
「まだ民の声を聞いていないのでな。ちょっと栄町へ出て来る」
「はぁ」
栄町とは遊郭の建ち並ぶエリアのことだったはず。なるほど、ああいった場所こそ情報があるのだろう。相手客から情報を引き出すために、左近の命令で潜伏している遊女のひとりやふたりいるのかもしれない。
「くれぐれもこの部屋から出ないことだ」
「もちろん」
俺は即答する。
この時代の大坂の町並みや、庶民がどのような暮らしをしているかなどに興味がないと言えば嘘になるが、俺ひとりで勝手に出歩くのは自殺行為にも等しい。どこに家康の刺客がいるかも分からないし、そうでなくても町人に絡まれるだけでも面倒なことになる。
どちらにせよ、俺にはもう町を出歩くような体力も残っていない。
「夕刻には戻る」
「了解です」
そう言って、俺は左近の足音が聞こえなくなるのも待たず布団にもぐり込んだ。
この時代の道路を一晩運転した疲れに、歴史に名前を残すような人物同士の会合に同席してしまった気疲れだ。
薄っぺらく、埃臭い布団でも、いまの俺には高級羽毛ベッドに等しい。
◆
ふと目が覚めた。
正確な時刻は分からないが、差し込んだ西日でいまが夕暮れ時だと分かる。
左近は戻っていない。
隣に敷かれた布団は、寝る前に見た時とそのままだ。
左近はギリギリまで情報収集に徹して、帰りの車の中で寝るつもりだろうか?
いや、横になるつもりはないにせよ、もう戻っていてもいい頃合いである。
左近の身に、なにか想定外の出来事があったと見たほうがいいだろう。
どうする。俺ひとりで車のところまで走るか。いくら大坂に土地勘がないとはいえ、車を隠した山がどちらの方角にあるかくらいは覚えている。
いや、俺ひとりで三成の下へ帰ってどうする。
島左近のいない石田軍団など考えられない。左近を失えば、三成の力は半減どころじゃないだろう。三成には「過ぎたるもの」の左近が絶対に必要だ。
気付けば枕もとの刀を掴み、宿を飛び出していた。
◆
左近はすぐに見つかった。
宿を出るや否や「人斬りだ」「あっちで刀を抜いたぞ」と騒ぎながら駆けている集団がいたからだ。俺はその野次馬の後に続くだけで良かった。
現代の街中で人殺しなんて起きれば大騒ぎになるが、この時代の民衆からすれば、日常のちょっとしたスパイス程度のものなんだろう。
走り出して間もなく、一軒の遊郭らしき建物の前に立つ左近の姿を捉えた。
「嘘だろ」
信じられない光景に、思わずそんな声が溢れた。
左近はすでに刀を抜いている。いや、人を斬っていた。
左近の足元で地に伏しているのは、武士か。刺客なんて言うから忍者のようなものを想像していたが、俺たちと変わらない服装のようだ。
そして左近を取り囲むようにして、4人の武士が対峙している。みな一様に抜刀し、じりじりと左近との間合いを測っているようだ。
ここからでは暗くて表情までは見えないが、すでに仲間がひとりやられたというのに、諦めるつもりはないようだ。
「手前ら、徳川内府殿の手の内とみた」
と、ここで左近が大声を発したことで、群衆がすくみ上がった。
「栄場でのふい討ちに乗じるとは、武士の風上にも置けぬ者どもよ」
左近はもちろん意味もなく声を張り上げているのではないだろう。これだけ集まった人たちに向けて、既成事実を作ろうとしているのだ。
「我が名は石田治部少輔三成が家臣、島左近なり。手前らも武士の端くれであるならば、名乗りを上げい!」
石田三成の家臣が大坂の町にいたところを、徳川の配下が斬ろうとした。
その事実を、左近は欲しているということか。
「あっ」
群衆が思わず声を漏らしたのは、刺客のひとりが背後から斬りかかったからだ。
「左近殿、後ろ!」
俺は叫びながら、走り出していた。
「!」
左近は素早く反応した。振り下ろされた刀を素早く片足を横へ滑らし、わずかに身をよじっただけでかわす。さらにその勢いのまま刀を返し、斬りかかった刺客の動きに合わせるようにして刀身を走らせた。
「がっ――」
それが刺客にとって最期の言葉だった。刺客は冗談みたいな量の血飛沫を出しながら、そのまま前のめりに地面へ倒れ込む。
刺客からすれば、何が起きたのかさえ分からなかっただろう。完全に仕留めたと思いきや、左近の身が消え、次の瞬間には視界が真っ赤に染まったはずだ。
俺はなんとか人混みから出ることに成功し、一番前まで出た。
すぐさま刀を抜く。俺が頭数になるかは分からないが、少なくとも数の上ではこれで2対3の状況になった。
ちくしょう、こんなことなら誰かに刀の稽古を受けておくべきだった。
「同じく石田三成が家臣、権兵衛、助太刀いたす!」
「!」
左近の真似をして名乗りを上げると、刺客は驚いた様子で振り返った。
刺客たちは左近が伴も連れず、ひとりでいるところをチャンスと見て襲ったのだろう。そこにもうひとり現れるとは、完全に予想外のようだった。
俺に気を取られた刺客のスキを、左近が見逃すはずがない。
左近はさっと手首を返して刃の向きを変え、先ほどは振りぬいた刀を今度は引き戻す。俺に意識を向けていた刺客の背中を、左近の刀が横一字に切り裂いた。
さすがに両断こそはしないが確実に内臓まで達したであろう重い一撃に、刺客は血反吐をぶち撒けて崩れる。
しかし今度は、左近がスキだらけになってしまった。
残るふたりが、一斉に左近の両側から斬りかかる。
「左近殿!」
今度こそ危ないと思いきや、左近は体をくるりと回転させ、振り向きざまに刀を前へ構え、刺客の刀を真正面から受けた。
あれほどの長身からは信じられないほどの身捌きだ。
しかも不安定な状態で受けたにも関わらず、振り下ろされた刀の勢いを完全に殺している。技術の差か、それとも単純な膂力か、あるいはその両方か。
しかしもうひとりの刀が、左近に迫る。
「!」
気付けば俺の体は勝手に動いていた。
地面を蹴り、刺客の横っ腹めがけて、肩からタックルを決める。
俺は左近や三成にいい体躯をしていると褒められたが、それは俺が鍛えているからではなく、この時代の人間は背が低く、体重が軽いからそう見えただけだろう。おそらく肉を食べているかいないかの差でしかない。
だから現代人である俺の単純な体当たりは、驚くほど効果的だった。
ぶつかった側の俺も驚いてしまうほど刺客は簡単に吹っ飛び、家の壁に叩きつけられる。思ったよりも反動が少なかったので、俺も勢いのままだらしなく地面を転がってしまったほどだ。
一方で、左近と刺客は刃先を合わせて向かい合っている。
その刺客はこのまま左近と押し合いへし合いすることの不利を感じ取ったか、大きく身を引いて、鍔迫り合いから逃れようとした。
しかし、左近は逃さない。
相手が引くのを読んでいたとばかりに、大きく跨ぐようにして一歩を踏み込む。それで両者の間合いは完全になくなった。そのまま左近は相手の肩から斜めに切り下ろす。刺客の目には突如として刀身が伸びて来たように見えただろう。
「皆のもの見やれ、関東者とて血は同じ赤色ぞ」
左近は言いながら、崩れ落ちようとする刺客に左腕を伸ばして掴み、その場に留めた。俺が吹っ飛ばした刺客はまだ生きている。そのまま死体を盾にして戦うのかと思いきや、左近は血に染まった刀身を刺客の着物でさっと拭った。
そして突然、脱兎の如く駆け出したかと思うと、
「退くぞ」
俺の腕を掴んで引き起こし、そのまま群衆に向かってゆく。
「は?」
これには俺も、この場にいる全員が完全に面食らった。
左近は俺の腕を引いたまま、咄嗟のことすぎてその場から一歩も動けないでいる町民の間をするすると抜けてゆく。
「このままぷりうすの元まで駆ける」
訳が分からない俺に左近はそう告げ、手を離した。
刺客はまだひとり残っているが、これ以上は必要ないと判断したのだろうか。
俺はもたつきながらも刀を鞘に戻し、必死に後を追う。
「にしても、なかなかの立ち回りではないか。権兵衛殿は軍師や馬の乗り手だけではなく、武勇にも優れているとは。殿もお喜びになるだろう」
走りながら、左近は嬉しそうに話す。
あれは相手の油断とたまたま噛み合っただけで、下手をすれば俺も刺客と一緒にあの場で転がることになっていたかもしれない。
「刀では間に合わぬと分かり、とっさに身を当てるとはなかなかできないものよ」
いいえ、刀の使い方が分からなかっただけです。
それにしても――生まれて初めて、死体を見た。
生まれて初めて、人が斬られるのを見た。
胃の中からせり上がってくるものをぐっと飲み込み、必死に左近の後を追う。
不思議と身体は軽く、足はよく動いた。ここで左近とはぐれたら、俺の帰りを待つ双子姉妹と二度と会えない――なぜかそう感じたからだ。
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