もし戦場に自動車があったら
佐和山を出発し、30分ほど走っただろうか。
車は中山道を進んでいるが、今のところ誰とも遭遇していない。
この先の道がどうなっているのかは知らないが、大坂までは130キロから150キロくらいだろう。この分だと明け方頃には到着すると思われた。
「――して、先ほどの続きだが」
そろそろいいだろう、という頃合いで左近が話し始めた。
「主だった大名の中で、家康に真っ向から立ち向かおうという気骨のある者は二人しかいない。会津の上杉と、我らが殿のおふたりだ」
左近はそうきっぱりと言い放った。
会津の上杉とは、五大老のひとり上杉景勝である。有力大名の中でも上杉だけは家風からして違う、と庶民の間で謎の信頼があるという。
『侠見たけりゃ 会津においで』
そのような歌が、庶民の間で流行っているらしい。ここに出て来る侠とは個人ではなく、上杉家全体のことを指しているとみていいだろう。
戦国最強の武将は誰かと言われれば、上杉謙信の名を推す人は多い。景勝はその養子であり、越後の龍の血を受け継いでいるわけでないが、後継者争いを制し、正統な上杉の後継者に認められるほどの戦上手である。
戦にめっぽう強いこと。それが名門・上杉家の君主になる絶対条件なのだ。
そんな上杉家だけは徳川家康に靡くことはなく、家康の野望を打ち砕いてくれるに違いない――この歌にはそんな期待が込められているという。
「上杉公はともかく、殿は意外だったか?」
「いえ、そのような」
俺からすれば、徳川家康の対抗馬として石田三成の名前が上がるのはごく当然のことに感じる。ただそれは俺が歴史を知っていること、そして石田三成という武将を好いているからだ。
しかし京や大坂の庶民らが、上杉と三成の名を並べているのは意外だった。
何故なら大名としての力を示す石高を見れば、その差は歴然としている。徳川家康は関東255万石、上杉は会津120万石、三成は佐和山19万4,000石だ。
桁が違えば格も大きく違うということだ。
「殿はああ見えて、京や大坂の庶民の間では人気があるらしい」
とはいえ三成が豊臣政権において重要な役職に就いていたのは事実だ。
現代風に言い換えれば、三成は実直すぎて会社の同僚からは嫌われていたが、真面目で良い仕事をするので、顧客からの評判は良かった、といったところか。
しかしそのポストも今となっては失い、三成は謹慎処分中の身である。家康からすればようやく邪魔者がいなくなったとばかりに、豊臣政権を牛耳るだろう。
「あの石田三成がこのままで終わるはずがない、と庶民は噂している。そしておそらく、家康もそう考えているに違いない」
火事と喧嘩は江戸の華、という言葉が生まれたのはこの時代より先のことだが、都会に住む者たちにとって、娯楽といえば大名の噂話だ。
次の権力者はだれか、どの大名とどの大名の仲が悪いか、もうじき合戦が起こるのではないか――そんなことを好きに言い合って楽しんでいたに違いない。
「そこで大坂の町に出て、その噂を確かめに行くのよ」
それが今回の大坂まで行く理由らしい。たしかにどの時代においても情報収集は重要だが、部下や忍を使うのではなく、立場のある人間が自ら赴くとは。
左近はどこまで本気か分からない。これはあくまでも勘だが、それだけが理由ではない気がする。
「ほかの有力大名といえば」
まだ道のりは長い。会話が途切れて気まずい空気にならないように、今度は俺から話を振った。
「毛利や宇喜多はどうなんです?」
「宇喜多の現当主である秀家は血気盛んだがまだ若い。誰かが立ち上がればそれに習うだろうが、自分から大事を成そうとする器量はない」
宇喜多秀家は五大老のひとりで備前国57万石。備前は現在で言う岡山県のあたりだ。関ヶ原では西軍で最大戦力となる1万7,000人を動員し、西軍の中では数少ないまともに戦っていた軍勢である。
「毛利家の現当主輝元も、家康と競って天下を狙うほどの役者ではない。かつて毛利家を支えた小早川隆景と吉川元春の毛利両川はすでになく、小早川・吉川の現当主は、はっきり言って出来が悪い」
毛利輝元は西軍の総大将として君臨するものの、大坂城から動くことなく関ヶ原での敗戦を聞くことになり、徹底抗戦を呼びかける味方を無視して領地の広島へと逃げ帰っている。そもそも関ヶ原の前日には三成らに黙って、家康と和睦を結んでいたとする説もある。どちらにせよ役者ではないとの評価は間違いないだろう。
そして左近に出来が悪いと称された毛利両川の当主とは、小早川秀秋と吉川広家だ。この二人については言うまでもなく、関ヶ原の裏切者である。
関ヶ原で合戦が起こるどころかまだ西軍が立ち上がってもいない現段階で、左近が出来の悪い二人と評価しているのは面白い。
「それにしても、この乗り物は素晴らしい」
左近はまだ話を続けたいらしい。この時代の武士というのは寡黙を良しとする風潮があると思っていたが、違うようだ。
三成もそうだったが、左近は意外と話好きみたいだ。
「外の音は聞こえにくく、中の音は漏れにくい。密談には最適な空間だな」
左近は妙なところで感心している。なるほど、その発想はなかった。
先ほど双子姉妹との会話を左近に聞かれてしまったように、日本の伝統家屋はプライバシーが薄い。天井裏や軒下など、身を潜めて盗み聞きすることが容易だ。しかもこの時代には、そういった諜報活動のプロである忍がいる。
その点、車の中なら絶対に安全だ。
「さらに馬よりも速く駆けられるとは。殿も大層な見付け物をしたものだ。やはり殿の勘は良く当たる」
そういえば気になっていることがあった。こうして密室で左近とふたりきりで話すというのはまたとない機会だろうから、聞いてみることにしよう。
「島様はこれを戦場で使うとしたら、どのように使われますか?」
「そうさなぁ」
言いながら顎をしゃくる仕草を見せた左近は、どこか楽しそうでもあった。
「まず一に思いつくのは伝令だな。馬よりも速く、敵に捕縛される恐れもない。味方へと迅速かつ確実に指示を届けることができるとなれば、これほど頼りになるものはない」
その考えは俺にもあった。仮に戦場へ出たとしても、俺は伝令の役目を請け負うのが良いのではないかと。
「二に騎馬隊。これは恐ろしく強固で、鎧武者であろうと吹き飛ばすだけの力があろう。それでいて小回りも効くようだ」
それは即座に思いついたが、すぐに無かったことにした案だ。これで人を轢くなんて冗談じゃない。関ヶ原でプリウスミサイルをやれと言うのか。
「聞くところによると、そなたは殿を脱出させるために、大層見事な立ち回りをしたそうではないか。殿が童子のように語りきかせてくれたぞ」
あれはたまたま上手くいっただけだ。あの時はとにかく必死だった。敵とはいえ相手は人間だ。人は轢きたくない、しかし捕まりたくもない。バリケードを突破することができたのも、運が良かっただけのことだ。
あの時のことを思い出しただけでも、ハンドルを握る手が震えそうになる。
「それから三つめ」
まだあるのか。俺には先ほど出た二つしか思いつかなかった。
「神輿だ」
「へぇ?」
まったく想像していなかった単語に、つい間抜けな声を出してしまった。
神輿といえば、祭りで大人が数名がかりで担ぐあれか。
「つまり戦場で大将を運ぶ役目よな」
「大将を運ぶ?」
「武将には大きく分けて二種類ある。自軍の先頭に立って味方を鼓舞し、戦いながら指揮をする者。もしくは最も安全な後方にいて、頭の中で全体図を描きながら指揮をする者だ。前者はわし、後者は殿のような人物が長けておる」
言われてみればそうかもしれない。
「しかしこの乗り物――ぷりうすといったか。ぷりうすであれば、どのような将であろうと常に最前線で指揮ができる。身の安全は保障され、移動も容易い。これはことのほか大きい」
なるほど、その発想はなかった。
つくづく面白い。もし戦国時代に自動車があったらどうなるか。そんなことを現代の人間が真面目に議論するのは、たとえ酒の席であっても難しいだろう。
しかしこうして実際に島左近という歴史に名を刻んだ武将が、真面目に考えている。しかも左近の口からは、この時代の戦場を駆けた人物でないと出て来ないであろう考えが生まれたのだ。
俺が三成を乗せ、プリウスで戦場を駆けることになるかもしれない。
三成の指示で窓を開け、三成が窓から身を乗り出すようにして檄を飛ばす。
あるいは左近あたりが助手席から槍を繰り出すことになるかもしれない。
鎧武者たちの集団へ颯爽と突っ込むプリウスを想像して、身震いした。
漫画や映画だったら画になるシーンでも、現実は違う。そもそも俺に人間の集団に向かってアクセルを踏む勇気はない。
できることなら、戦場でのお役目は、伝令あたりに留めたいものだ。
心の底から、そう思った。
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