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左近と大阪へ

 左近はこれから大坂へ向かうと言ったが、日が沈み、周囲に夜の(とばり)が完全に下りてからの出立(しゅったつ)となった。この時代に街灯(がいとう)なんてものはなく、夜となれば本当に真っ暗になる。この時代に外を出歩こうとする者はよほどの事情がある者だけだ。


 夜中に大坂へ向かおうという島左近こそ、よほどの事情があるのだろう。


「殿がそうせい、と申したのよ」


 佐和山城の石段を下る途中、前を行く左近がそう言った。


「あの乗り物は人目につきすぎる。特に家康の息のかかった者にあれが露呈(ろてい)するのは、よからぬことになると踏んだのだろうな」


 新しい物好きとして知られ、南蛮(なんばん)由来の物をなんでも取り入れたという織田信長や豊臣秀吉であれば、たしかに喜んで欲しがりそうなイメージがある。

 その点、慎重な家康はどうするだろうか。敵にしろ味方にしろ訳の分からないものを置いておくのは危険だと判断し、俺たちを斬った後で自動車を沼に沈めるか、穴を掘って地中深くに埋めてしまいそうな気がする。


 それにしても左近の言い方だと、家康は三成の動向を監視しろと部下に命じていることを確信しているような節があった。

 いまの三成は五奉行の任も解かれ、自由に佐和山城から出ることも許されない。飛ぶ鳥を落とす勢いの家康が、三成をそこまで警戒するだろうか。


 さらに左近は(とも)も連れず、大坂までふたりだけで行くと言う。仮にも大名の筆頭家臣が供なしで遠出するなんてことは、この時代にあるまじきことだ。

 これも左近の大坂行きを、家康に悟られないためだという。


「家康とはそこまで執念(しゅうねん)深い人物ですか」

「わしからすれば、さほど執念深いとも思わん。むしろ当然の配慮(はいりょ)だろう」


 配慮ときたか。思ってもいなかった単語が左近の口から出てきたことで、危うく石段を踏み外すところだった。


「ここ佐和山は家康のいる伏見に近く、近江(おうみ)から京に掛けての中山道(なかせんどう)沿いに手勢を配置しておくだけで、殿の動きは筒抜けになる。気を張る側としては楽なものよ」


 なるほど、言われてみればそうだ。家康からすればわずかな人員を割くだけで、三成がおかしな動きを取ればすぐ察知できる。そう思えば決して執念深いわけではなく、味方を配置するのはまさに当然の配慮だ。


「楽なものと言えば、家康からすれば警戒に値する人間は少ない」


 左近はまだ話している。


「家康に唯一対抗できた前田大納言まえだだいなごん殿の亡き今、二百余の諸大名は、もはや次の天下人は決まったと言わんばかりに、家康めに低頭(ていとう)している」


 その様は見苦しくてかなわん、と左近は毒づくように言った。

 前田大納言とは、加賀(かが)百万石で知られる前田利家(まえだとしいえ)のことだ。加賀とは現在で言う石川県のことであり、実際百万石になったのは子の代だが、それはさておき。


 利家は豊臣秀吉とは親友の間柄だったと伝わっており、豊臣政権に対する思い入れも強かったらしい。秀吉という絶対的大黒柱をなくした豊臣政権がなんとか安定を保っていたのは、利家の尽力(じんりょく)によるところが大きかった。


 だがその利家はもういない。利家という強力な後ろ盾がなくなった直後に、三成は福島ら七将による襲撃を受けている。


時流(じりゅう)に逆らって家康の天下を阻もうと画策(かくさく)する者など、もはや数えられるほどしかおらぬ。それ故に家康からすれば、警戒するのもたやすい」

「その家康に逆らう人物は、誰だと思いますか」

「間違いないのは二人だな」

「ふたり!?」


 つい大きな声を出してしまった。左近がばっと振り向いて、顔の前で人差し指を立てる。あまりの衝撃で、今が隠密行動だということを忘れてしまった。


 左近の話では、この時代に大名と呼ばれる人物は二百ばかりいるらしい。これは正確な数なのか、数えられぬほど多いという比喩(ひゆ)表現なのかは分からない。

 それなのに、家康が警戒するに値する大名がたったふたりとは。


「続きは(なか)で話す」


 左近はそう言って、足早に石段を下りてゆく。

 中とは言うまでもなく車内のことだろう。まるで自分の物かのような言い草だが、俺が三成の家臣になった以上、俺の車は石田家の所有物になったということだろうか。


 幸いなことに車は昨日と変わらず停めた位置にあった。違うところがあるとすれば、そのわきに(わら)が山のように積まれていることだ。

 はて、昨日こんな物はなかった気がするが。


「殿の指示で、藁で(おお)って隠しておいたのよ。それをつい先ほど退()けさせた」


 なるほど、どうりで屋根やボンネットが木屑(きくず)のような物にまみれているわけだ。


「…………」


 このプリウスは中古で買ったとはいえ、俺にとっては人生で初めてのマイカーであり、綺麗に乗ってゆくつもりだった。

 それがこんな木屑まみれの状態になっているのは、少し悲しくなる。車のカラーが黒なので、なおのこと目立ってしまう。


「なにかまずかったか……?」


 表情に出ていたのか、左近がばつの悪そうな顔をしたので、逆に申し訳なくなってしまう。それに車を城外に停めておくのは俺としても不安だった。藁の山に隠れていたほうが安心できる。


「いえ、大丈夫です」


 そう言って俺はドアノブに手を振れる。これで短い電子音が鳴り、ロックが解除される。普段車のキーはズボンのポケットに入れているが、着物にポケットはない。それで持ち歩くのは不便だろうと、文羽が(すそ)の内側、つまり(たもと)の部分に結んでくれた。本当によくできた後輩である。


 袂に入れていてもインテリジェンスキーは作動することが分かったところで、続いて助手席側へ周ってドアを開ける。


「どうぞ」

「ふむ。どうやらこの乗り物がお主にしか乗れない、というのは本当らしい。今朝がた試しにやらせてみたが、昨晩は開いたはずの戸がびくともしなかった」


 その言葉を受けてもそれほど衝撃はなかった。左近は佐和山へ無事帰還できたからといってすぐ大の字になって休むようなことはせず、まずは殿をお連れした乗り物はなんだったのかと探りにかかるだろう。左近はそういう人間だ。


 だから部下に探らせていることは大方予想がついていた。しかし自分の大切な車を知識のないこの時代の人間に触られるというのは、引っかかる部分がある。

 まさか力づくで無理やり開けようとしたんじゃないだろうな。


「今後、わしや殿も含めて誰ひとりとして、これに触らないと誓おう」


 俺の沈黙を見て、左近は申し訳なさそうに続けた。


「いえ、お気になさらず」


 筆頭家臣である以上、同じ家臣でも新参者の俺とは格が違う。もっと堂々としていいと思うし、そもそもこの車が石田家所有同然になった以上、探りを入れるのは普通のことだ。


「では、失礼する」

 

 身を屈めて車に乗る際、背の高い左近は三成よりもだいぶ苦労していた。

 いま気付いたが、左近は前もって腰の刀を外し、手に持っている。おそらく事前に三成から乗車するときの作法(?)を聞いたんだろう。


 そして左近も三成に習うかのように刀を立て、抱くようにして身を落ち着かせた。こうしていると杖を使っているようにも見える。

 とはいえ邪魔だろうから、刀を横にして後部座席にでも置いておいたらどうかと勧めようと思ったが、やめておいた。やはり武士たるもの刀は手放したくはないだろう。


「妙な座り心地だな」

「殿も同じことを仰っていました」


 実際に乗ったことはないが、この時代の(かご)よりはだいぶ居心地がいいと思うが。


「シートベルトをお願いします」

「これがこの乗り物の手綱(たづな)だったな」


 これも三成から聞いていたらしい。左近は左側にあるベルトを引っ張ったが、さすがに固定する仕方は分からなかったようだ。横から手を伸ばし、バックルに固定する。仕方のないことだが、俺はあと何度これをしなくちゃいけないんだろうか。さすがに三成や左近以外の人物を乗せることはないと思うが。


「では、出しますね」

「ああ」


 シートベルトの感覚に戸惑いながらも、左近はしっかりと答えた。

 ブレーキペダルを踏んでパワースイッチを入れ、シフトをリバースへ。反転した後に、ドライブへと切り替える。この動作の間におかしなところはなく、異音も発生しなかった。

 良かった、どこも問題ないようだ。左近らは車を調べたと言ったが、現代の整備士のような真似事ができるはずもない。そもそも横になって車の下に入ったり、エンジンルームを開けたりといった発想もないだろう。


「殿は物怪(もののけ)(うな)り声が聞こえたと仰ったが、静かなものだ」

「それはスピード……いえ、速度を出した時ですね」


 この時代の人間と話す時は極力カタカナ言葉を使わないように心がけているつもりだが、なかなか慣れないものだ。だからあの双子と話すときは安心する。

 あのふたりは大丈夫だろうか。一応家臣となった俺の従者ということになっているから、滅多なことはないはずだが。


「奇妙な感覚だな。馬とも籠とも違う」


 始終緊張していた三成と比べ、左近は楽しそうに言った。

 この分だと、車酔いの心配もなさそうだ。


 心配があるとすれば、ここと大坂を往復することで、どれだけガソリンの残量が減るか。そもそも俺たちは無事に帰って来られるのか。それに尽きる。


「ところで、この乗り物に名はあるのか?」

「プリウスと申します」

「ぷりうす……なんともおかしな響きだな」


 400年後の日本でおそらく最もありふれた車です――とは、当然言えなかった。

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