世界初の交通事故
突然だが『プリウスミサイル』という言葉をご存知だろうか。
これは国内に多く流通するトヨタ・プリウスが、交通事故の加害車両として多く見られることを揶揄したインターネットスラングだ。
2010年代後半に高齢者ドライバーによるプリウスの事故が、相次いで報道されたことが由来となっているらしい。
何故そんな話をいましたのかと言うと――
まさに俺がそのプリウスミサイルになってしまったからである。
「殿、ああ、殿ォ!」
「殿、しっかりしてください!」
時刻は真夜中で、おまけに濃い霧が立ち込めている。
そんな見通しの悪い状況のなか、車のヘッドライトに照らされて幾つもの人影が動いている。ひとりやふたりではない。10人近くはいるだろう。
そして倒れている人物に、血相を変えた様子で群がっている。
ちなみにその人物が倒れているのは紛れもなく俺のせいだ。
うん、俺は人を轢いてしまった。それは間違いない。
それなのになんでこんな冷静でいられるかというと、いま目の前に広がっている光景が、あまりにも現実離れ――いや、現代離れしているからだ。
「おのれよくも殿を……こやつは何者じゃ!」
「なんだこの光は! まるで昼間のようじゃ!」
「なんと面妖な……!」
はて、面妖とはたしか不思議なものや、奇妙な事柄のことを指していたはず。やけに古めかしい話し方だ。いや、気にすべき点はそこじゃない。
ここから見える連中は、全員が具足に身を包んでいる。胴具は身につけているものの兜はなく、下半身に至ってはほぼ無防備で、肌色の脛が覗いている。
頭の中で想像する侍のイメージよりも、かなり貧相な装備だ。これはいわゆる足軽というやつだろうか。
「なんだこいつら……」
事故を起こした側としてはあるまじき台詞が、自然と口からこぼれた。
「殿、ご無事ですか!」
「殿、返事をしてください!」
そして足軽たちは、俺が今さっき轢いてしまった人物に群がるようにして、助け起こそうとしている。さっきから気になっていたが、俺は殿さまを轢いてしまったということか。そんな馬鹿な。
「せ、先輩……」
呼ばれて助手席のほうを向くと、同乗者である土岐文羽と目が合った。
この学年で1個下の後輩は、ただでさえ大きな目を見開いて、からだを小刻みに震えさせている。こうして見るとまるで小動物みたいだ。
「これって、時代劇の撮影でしょうか……」
文羽はそう呟いたものの、その可能性が低いことを当人も分かっているだろう。
俺は改めてフロントガラスの向こう側に目を向ける。
連中の風体はたしかに時代劇からそのまま出て来たみたいだが、台詞を喋っているような嘘っぽさがない。そして車やヘッドライトを初めて見たかのように振る舞っている。これが演技だとすれば大したものだが、仮に撮影だとしても、こんなアクシデントが起こった際に、役になりきる必要があるだろうか?
「せ、先輩。どうしたんすか?」
今度は後部座席のほうから声がした。同乗者の土岐詩羽だ。
文羽の双子の姉で、ふたりとも俺が高校時代に在籍していた戦国愛好会の後輩である。かいがいしくナビをしてくれていた妹の文羽とは違い、詩羽はこれまで後ろでのんきに寝ていたが、さすがに事故の衝撃とこの騒ぎで目を覚ましたらしい。
「いったいどんな状況っすか、これ!?」
どんな状況かと言われても、こんな状況は誰にも分からない。
今年大学生になった俺は自動車免許を取り、親のツテで中古のプリウスを安く購入した。そして双子の姉妹を連れて、岐阜県の関ヶ原古戦場へ向かっていた。
そこまでははっきりと覚えている。
しかし高速道路を下りてから道を間違えてしまい、気付けば山道の中にいた。そして濃い霧が立ち込めてきたかと思うと、次の瞬間には人とぶつかっていたのだ。
それだけでも信じられないことだが、こうして足軽の集団が出て来たのだから、もはやわけがわからない。
「先方、如何した!」
その時、一際大きな声が周囲に響き、俺はつい身をすくめた。
「この灯りは……はっ、殿は如何なされた!?」
どうやら上の立場の人間が出て来たらしい。人混みがざっと別れ、道を開ける。
「分かりませぬ、急に物怪が現れましたでござる!」
「物怪だと……?」
「島様、こやつ徳川内府の手の者では?」
徳川内府? こいつらは何を言っているんだ?
どうしてこんなことになってしまったんだろう?
そもそも、ここは何処なんだろう。
いや――いまは何時なんだろうと言うのが正しいか。
「先輩……」
「どうした」
「いま徳川って言わなかったっすか?」
「ああ、そう聞こえたな」
「その前に島様って言わなかったっすか?」
「それも同意だ」
「ていうか、この人たちの旗印、すごく見覚えがあるんすけど」
「残念なことに俺もだよ」
さっきから視界の端で捉えながらも、見ないようにしていた。
足軽たちの甲冑に記された、大一大万大吉の文字。
ここにいる戦国愛好会のメンバーで、知らぬ者はいない。この旗印が本物だとしたら。そしてその旗印を身に纏った者たちが、殿と呼ぶ人物とは。
俺が轢いてしまったのは――
「石田三成……」
俺は恐る恐るその言葉を口にする。
「こ、これってタイムスリップってやつっすか……?」
もし仮にここが本当に戦国の世だとしたら。
「俺……世界初のプリウスミサイルになっちまった……」
「そこっすか!?」
プリウスミサイル――この言葉に沿う事案が発生したのは、2010年代後半ではなく、正しくは1599年(慶長4年)3月4日のことである。
ブクマ・評価頂けますと励みになります。