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ある仙人

作者: 雉白書屋

 秘境。というほどではないが、人里離れたとある山奥。その男はかなりの時間を費やし、崖の上までやって来た。

 なにも自殺しようというわけではない。ただの趣味。湯を沸かし、コーヒーを淹れ、この景色を独り占めしたく……


 ――えっ


 と、彼は思った。一瞬、岩に見えたがそれは間違いなく人。人間が崖の先っぽに座っているのだ。

 後ろ姿だが、恐らく男。そのボロボロの服の土汚れで周りと同化していた。

 一体、あの男はここで何をしているのだろうか。それこそ自殺。で、あるならば人として見過ごすわけにも……。

 そう思った彼がとりあえず声をかけようと近づいたときであった。

 またしても彼は「えっ」と思った。まさかこんなときに、よりによってと。彼は躓き、転びかけた。そして、反射的に伸ばした手はその男の背を押し……


「や、や、や、やってしまった……」


 震えながら崖の下を覗き込む彼。

 もしかしたら木に引っ掛かって……うんよく段差があって……などということがないのは耳に残るあの衝撃音でわかっていた。

 有り得ない方向へ曲がっている手足。頭部を囲う血溜まりに先程の音が耳の奥に蘇る。

 潰れた虫。あるいは蛙。目にした瞬間、そう連想したがあれは間違いなく人間。それも自分が殺したもの。込み上げる嫌悪感と吐き気。そのまま下に向かって吐こうとした彼だったが、それを息ごと呑みこんだ。


 男が動き出したのだ。しかも、曲がっていた手足が戻っていくではないか。

 生きている。いや、治っていく。彼がそう感じた通り、男はやがて立ち上がり、そして、ため息をついたようだった。


「あ、あの! ちょ、ちょっとそのままで、ま、待っててくださーい!」


 彼はそう言うと来た道を慌てて引き返し始めた。

 向かう先は当然、崖下の男のところ。急いで走るその間、頭に繰り返し浮かぶ文字はやがて男を前にした途端、口から勢いよく吐き出された。


「せ、仙人、あ、あなたは仙人様ですよね……?」


 人気のない山奥。ボロボロの身なり。不死の肉体。仙人。そう連想するのは当然だった。


「まあ、そう言われることはよくあるね」


 彼は「ほわっー」と感嘆の声を上げた。仙人。つまり不老不死。それがまさか現実に。ああ、なんと――


「羨ましいかい?」


「え、あ、はいっ。あの、心をお読みになれるんですか?」


「いや、顔に出てたよ」


「ああ、はははっ。それはなんとも、お恥ずかしいというかへへへへ……あ! そ、その先程はあの、事故とはいえ、その、突き落としてしまい申し訳ございませんでした……」


「ああ、いいんだ。気にしてない」


「ああ、なんとお広い……それでその、大変厚かましいお願いかとお思いになるかもしれないのですが、その」


「不老不死の法が知りたいと」


「は、はい! ぜ、ぜひに、あの、私を弟子に!」


「ふぅー……」


「あ、あの。覚悟はあります! 修行を、何でもします!」


「ふぅー…………違うんだ」


「え、えっと、違う……?」


「仙人ではないんだ。違う。違う違う違う」


「え、と、でも不老不死なんですよね……?」


「偶然そうなっただけだ。大昔にな、なにか変な生き物を見つけ、調理して食べたらこんな体になった」


「え、え、それはどんな」


「わからん。いくら調べてもわからないままだ。新種。もしかしたら宇宙生物かもな。まあ、どうでもいい。探しても見つからなかったし、あれ一匹だけかも」


「えぇ、それはそうですか、残念な……」


「はっ、どうでもいい。あぁ、不老不死などうんざりだ」


「えぇ!? ああ、いや、そう仰りたい気持ちはわかりますよ。ありますよね。漫画とか創作物で、親しい人の死を見届けなくてはならないのが悲しいだとか、でも失礼ながら贅沢な悩みと言いますか、だって素晴らしいじゃありませんか! 世の中は娯楽に溢れてますし、それはこれからもどんどん新しい、面白いものが出てきますし、なんなら自分の手で作り出せる。そう、えっと料理に漫画、小説、武術に絵や陶芸、その道を極めるにはいくら時間があっても足りないと言われるものをその身体に修めることができるんですから! そう、人間ね、生涯学習と言いますし、さぞかし知識も豊富で知性に富んだ――」


「違う」


「……はい?」


「おれは元々、凡人以下だ。不器用だし勉強なんて嫌いだし集中力がない。働きたくもないし臆病者だ。だが人並みに寂しい。だからなんとか人と、社会と関わろうとしたこともあった。

しかし、先程見ただろう。怪我も治るし病気もしない上に歳も取らない。もし、不老不死だとバレたら捕まり生きたまま解剖されるだろう。だから一箇所に留まることができず転々と。それでも正体が知られ、お前のように他人から仙人や神様扱いされる。

しかし、今言ったようにおれは凡人以下。今で言うと、頭に、ええと忘れたが、なんとかという精神疾患もある。だが、求められる仙人像でいなきゃならないその苦痛。それが嫌で山に籠っているのだ」


 そう言うと、男は喋るのが疲れたとばかりに大きく息を吐いた。それから、しゃがみ、落ちている石を拾っては、茂みに向かって投げる。退屈だが何かをする気は起きないという態度。一際大きな石を掴むと手でそれを弄び始めた。確かに嘘を言っているようには見えない。言われてみれば頭も悪そうだし、鬱のようだ。しかし、それならそれでいい。うまく利用、どうにか説得できないものかと彼は思い、口を開く。


「ああ、なんてもったいない……それでは修行中ではなく世捨て人……。で、でも今の時代、上手くやればすぐに有名になって、そう教祖にでもなれますよ! 怯えて暮らさなくても金や人が集まりぐっ! 何を、やめ、あ、やめ――」


「……山で暮らすもう一つの理由はな、人を殺しても事故に見せかけられることだ。これだけは上達したよ」

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