4.進展と仮説と体調管理
研究室に通うこと3ヶ月。
強かった日差しが少しずつ弱まって涼しい日が増えてきた頃。状況に変化が出てきた。
先輩は魔法陣を解析し、部分的に書き換える魔法陣の構築に成功した。色々説明してくれたけど、要はエーテルに触れると発動する特性を利用するらしい。術を施した試験官に涙を入れると、修復が行われるより先に硬質化させることができる。涙を入れた試験管の底に、液体を含んだ小さな石がころころと溜まる様はとても不思議だ。
あとはポーションのレシピを応用して、魔力を摂取できる形に加工する。試行錯誤の結果、タブレットが出来上がった。丸くてコロリとしていて味はない。魔力補給が目的だから別にいいと先輩は言う。
私もそれを利用することで、髪よりも魔法が使いやすくなった。マジックアイテムへの加工はまだうまくできないけど、割って使ったり、取り付けて発動させるような物を作ったりしている。小物やアクセサリも作るようになり、ちょっとした趣味が増えた。
タブレットのストックも順調に増え、涙を提供する頻度も落ち着いてきた。
こうして改善はできているけど、根本的な解決には至っていない。
先輩は太陽に当たると魔力を消費するし、私の封印も解けていない。
研究室には週に3回くらいの頻度で通い続けている。
最近は魔法の練習に付き合ってもらったり、解読を手伝ったりしている。先輩が集中していて何も聞こえてない時もあるし、リネットさんに窘められて軽い口げんかのようになってるのを見ることもあるけど。それを見ているのも楽しいし、私に向き合ってくれる先輩は、いつも丁寧で優しい。それは私が研究対象だからかもしれないけど。
それでも、この時間は私の楽しみになっている。
■ □ ■
今日は珍しく、お茶の用意がされたテーブルに真っ直ぐ案内された。
「魔法陣については、資料の取り寄せに時間がかかるらしい」
研究ノートに書き連ねた書物のタイトルを指でなぞって、先輩はそう話を切り出した。
「他国の書物になるからね。この国にあっても希少本で貸出手続きに時間がかかる。俺の体質についても手がかりがないのが現状だけど、君のお陰で他の方向から仮説を立てることができた」
「仮説、ですか」
うん、と先輩は頷く。
「魔力が減るという現象は「太陽が何かを引き起こす」という前提で、呪いと体質の両方から原因を探っていた」
「そうですね。太陽に当たると魔力が減るなら」
「うん。この前提は大きく間違ってはないと思うんだが、長いこと手詰まりだった」
しかしだよ、と先輩は指を組む。
「君のお陰で、俺の目が月と同等の効果を持っていることが分かった。ということは。俺の目、あるいは俺自身に、月に関する何かがあるかもしれないという可能性が出てきた」
「なるほど」
「星呑みの伝承には月に関する記述もある。だから、そこから当たり直してみようと思って」
いくつか書物に当たりをつけたんだが、と並んだタイトルを指で叩いた。
「何冊かは図書館にあるのを確認してる。禁帯出本に指定されてるのもあるから、先生の許可が必要。なんだが……」
あの先生めんどくさいんだよな、と先輩は少し嫌そうな顔をする。
図書室の先生といえば、リオフィリー先生だ。いつも静かに本を整理している姿しか見たことないけど、背が高くてちょっと物憂げな雰囲気の人、という印象がある。
「めんどくさいんですか?」
「めんどくさいんだ」
思い出したのか、ため息。リネットさんではなく、私にこういう表情を見せるのはちょっと珍しい。
「司書という点では彼以上の適任は居ないし、本来なら王宮の文書管理を任されてもおかしくないくらい優秀なんだが。本や物語というものに対する執着がすごくてさ」
「そんなに、ですか」
うん、と先輩は疲れた顔で頷き、お茶を飲み干す。
「ま、そうは言ってもいい先生だ。事情を話せば閲覧程度なら許してくれるだろう。と、いうわけで俺はこれから図書館へ行ってくる。君は」
「あ、一緒に行ってもいいですか?」
「え」
先輩の眉が少し寄った。
「私も調べたい物がありますし、何かお手伝いができればと思ったんですが……ダメ、ですか?」
「ダメというか。君、体調良くないだろう?」
だから帰った方がいい、と先輩は言う。
体調、と繰り返す。確かに頭痛と熱っぽさのようなものはあるけど、別にこのくらいよくあることだ。大したことじゃない。
「これは分かってないな? リネット」
「はい。クラレック嬢、失礼いたします」
先輩の一声で、後ろからするりとリネットさんの手が伸びてきた。前髪をかき上げるように額に手を当てられる。
「少々熱があるようですね。ルナ様の言う通り、今日はもう帰られた方がよろしいかと」
「あ。あの。これは別に風邪とかじゃなくて」
「風邪とかじゃなくて?」
先輩が何か言いたげに目を細める。先輩の滅多に見せない威圧感にちょっと身を引く。後ろにリネットさんがいる。肩をそっと押さえられてしまった。逃げられない。
「その。昔から時々あるんです。熱だけがでるってこと。しばらくなかったので油断してて。でも今日のはすごく軽いのでべつに」
大丈夫ですよ、と訴えてみる。先輩の反応は「ふうん」という一言。
「最後にその症状が出たのは?」
「えっと……覚えて、ないですね……。よくあるので。でも、寝込むほどだったのは暑くなる前なので、4ヶ月くらい前、かなあ」
「普段は寝込むレベルと。薬はあるのか?」
「いえ、薬は効かなくて。でも、寝てたら治りますし。今日の感じだと、一晩寝たら」
「……ふむ」
「あの」
「リネット。ちょっと押さえてて」
「はい」
「えっ!?」
肩を抑えるリネットさんの指に力が入る。立ち上がれない。私の前にやってきた先輩が顔を上に向かせ、目を覗き込んできた。
「あ、あの。ルナせんぱ――」
「いいから。こっち見て」
言われなくてもそうするしかない状況。視線を合わせると、当然ながら涙がこぼれた。先輩の眉が少し寄ったけど、視線は外れない。指が濡れるのも厭わずに、私の目を見つめ続ける。
「あ、あの。涙。袖が汚れ」
「気にしなくていい」
分からないまましばらく。先輩の視線と指が唐突に離れた。
「これでどうだ」
「え。……あれ」
なんだかスッキリしていた。身体の中にあった熱がなくなっている。
「やっぱりそうか」
「何がですか?」
「それは魔力暴走の初期症状だ。かなり軽度だけど……って、どうして分かったのかって顔をしてるな」
「はい」
素直に頷く。
「最近はなかったと言っていたから、アタリを付けてみただけだよ。君の大きな変化といえば、ここに通うようになったことだろう。期間も大体一致する。魔力量だと仮定すれば、魔法陣での消費に加えて涙の提供をしているから、いつもより魔力が減っていたと推測できる。けど、ここ1ヶ月はその頻度も減ってたし、満月も近いから回復量が――」
「と、色々言ってますが。要は、研究が貴女の負担になってないか心配なんですよ」
「負担だなんてそんなこと……って、そうなんですか?」
先輩の方を見ると、すごく不思議な表情をしていた。話を途中でへし折られたからか、リネットさんの一言が図星だったからか。困ったような怒ったような、なんともいえない目で私、じゃなくて後ろのリネットさんを睨み上げる。
「余計なことを言うな」
「失礼しました」
はあ、と大きな溜息。
「ともかく、今日はもう帰って休んで。さっきのは一時的な対応だから」
「え、でももう」
「リネット、部屋まで送ってやって」
「はい」
大丈夫だと訴える隙すら与えてくれない二人に抗えるわけもなく。私は研究室の廊下へと放り出された。
□ ■ □
リネットさんと二人、寮へと向かう。
一人で帰れると言ったけど、「主人の命令ですから」とリネットさんは引かず。交渉の結果、寮の入り口までということで妥協してもらった。
「送ってもらっちゃってすみません。体調、気を付けます……」
「クラレック嬢が謝ることはないですよ。実際平気なんでしょう?」
「はい」
「わかりますよ。自分の中では慣れきってしまって大したことじゃない、ということはよくあります。でも、それは知らずに無理をしているのかもしれない、という事を忘れてはいけません」
「はい」
「それに、あの人心配性ですからね。少し付き合ってあげてください」
「心配性……?」
思わず聞き返した私に、リネットさんはくすりと笑った。
「ルナ様はああ言いましたけど。クラレック嬢のこと、いつも心配していますよ」
「え」
「隠されてるその目を暴いて泣かせてますからね。そこでなんの感情もなかったら問題かと」
言い方、と先輩がつっこみそうな言葉だ。でも、リネットさんはそんなの気にかけた様子もなく続ける。
「貴女は目を見られることを気にされてるようですし、親しくもない異性に涙を見られるのも、思うことがあるでしょう」
「思うこと……」
少し考える。
いつも真っ直ぐな先輩の目は、私がこれまで目を背けてきた月とは違う。確かに、真っ直ぐ見られると涙は出るし、恥ずかしくもある。けど、真面目に向き合ってくれると分かる眼差しだ。
普段から人の目を避けて生きてきた私が、こうして思い出せるくらい先輩の目を見てきた。そう思うと、なんだか嬉しい気もする。
「いえ。……先輩なら、大丈夫ですよ」
リネットさんは「そうですか」と少し嬉しそうに頷いた。
「先輩だって体質に悩んでるんですし、私も色々教えてもらってます」
それに、と言葉を繋ぐ。はい、とリネットさんは待ってくれる。
「私の目を綺麗だって言ってくれたの、すごく嬉しかったんです。涙を出す時も真剣な目をしてますし。私が役に立てているなら嬉しいです」
「それはただの研究馬……失礼。ルナ様に直接言って欲しいんですが、今は置いておきましょう。――しかし、彼には貴女のような柔らかな人が必要なのかもしれませんね」
「? 今なんて――」
後半がよく聞こえなくて、聞き返そうとした瞬間。
「あ、ティアちゃん!」
後ろからよく知った声が飛んできた。二人とも足を止めて振り返ると、ぱたぱたと駆け寄ってくる影がある。レヴィだ。
「今日研究室だったんでしょ。こんな時間に珍しいね」
「うん、今日は体調悪そうだから早めに帰っていいって」
「いつもの熱? 随分久しぶりだね」
顔色は良いみたいだけど、と言いながらレヴィの手が頬にぺたりと当てられる。走ってきたからか、少し暖かい。
「うん。今は大丈夫なんだけど、念のためね」
「そっかあ」
レヴィは手を離し、いつの間にか端に寄っていたリネットさんを見る。
「ええと。この間の……」
後半の確認するような小声にそうだよと頷く。
「送ってくれたの」
「そうなんだ。先輩、わざわざありがとうございます」
レヴィはまるで保護者のように頭を下げる。リネットさんも丁寧に頭を下げて「先日はお騒がせしまし
た」と微笑んだ。
「申し遅れました。私、ルナイル=ヴァンカリア様の従者でリネットと申します。敬称等は不要です。どうぞリネットとお呼びください」
「あ、あわわ……えっと。私、ティアちゃんの友達で、レヴィリア=キサラギと言い、申します」
リネットさんの端正な微笑みに、レヴィの頬がちょっと赤くなる。分かるよ、と心の中で頷く。
「キサラギ嬢。失礼ですが、そのお名前は」
「ああ、珍しいですよね。曽祖父が東流大陸の出身なんです」
なるほどそれで、と頷いたリネットさんは私とレヴィを見て少し体を引く。
「ご友人がいらっしゃったことですし、私はここまでといたしましょう。キサラギ嬢、クラレック嬢をお任せしてもよろしいでしょうか」
「あ。はいっ。しっかり部屋の布団に放り込んでおきます!」
「よろしくお願いいたします」
「えっ。いやだから。レヴィ」
「ティアちゃん。ダメだよ。こうして送ってもらってるんだし、ちゃんと休まないと」
レヴィの言葉にリネットさんもうんうんと頷いている。
「そう、そうだね。うん……」
私は大人しく頷くしかなかった。