もう一つ理由に思い至った。
悪意のある作品を書かなくなったからかもしれないな、と思う。
何と言うか……あの感染症のストレスフルな中で、ネガティブなものを表現したらいけないような気がして、書かなくなっていた。
もしかしたら、イイヒトぶっていたのかもしれない。
だから作品は、可もなく不可もなく。
棘として刺さりもしない。
……そりゃ、読者さんからの反応もないわ。
別に、ものすごくとがった作品を書いていたわけじゃない。
ちょっとした、悪意。
シュールだな、って感じるような。
そんな作品しか書いてはいなかったけど、それも書かなくなっていたのに気づく。
作品としては需要はほぼなかったと思うけど、あの毒は、なくしちゃいけなかったものなのかもな、と思う。
なぜって、自分の芯を形成する一つには間違いないから。
毒舌三谷復活。
なるか?
この作品を超える作品は、未だ書けてない。
……これを超える作品って、どんな作品か想像もつかないけど(笑)。
気が向いたら、どうぞ。
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『盆栽に命を懸ける男、秋田。』
車から降りると、妻の声を振り切って、秋田は自宅に急いで入る。
目指すは、浴室。
本当は秋田は、旅行など行きたくはなかったのだ。
この5年間大切に育ててきた盆栽1号盆栽2号に水やりを出来ないからだ。
盆栽は繊細だ。だから、秋田が付きっきりで世話をしてやらなきゃいけないんだと思っている。
だが、秋田もしがない家族を持つ父親だ。家族サービスをしないわけにもいかない。しかも、最近とみにおしゃべりするようになった娘のしずかから「とーたんいこー」と請われれば、行かざるをえまい。
娘には甘い秋田である。
浴室にたどり着くと、秋田は異変に気付く。湿気を逃がさないために締め切っていたはずの扉が、少し開いている。
ギクリ、と嫌な予感が秋田によぎる。
盆栽は、その手のかけ方で、いくらにでも値上がりする。
だから、盗まれることだってあり得る。
秋田は愛する盆栽1号盆栽2号を、愛するがあまり毎日写真に撮り、SNSにUPして行っている。それは、自分が育てた盆栽の成長記録をつけたいと思う気持ちと、自分が育てた盆栽を、日本中の、いや世界中の盆栽愛好家に見てもらいたいという欲求もあったからだ。
でも、住所が特定されないように、写真に位置データが残らないよう細心の注意は払っていたし、SNSの中には住所が特定できるような言葉は、一切入れていない。
何よりも、住所が特定されて盆栽1号2号が盗まれては困るからだ。
だが、浴室の扉が、少し開いている。
秋田はその嫌な予感が予感で終わることを願いながら、そっと浴室の電気をつける。
秋田の目に、浴槽の中に置いてある盆栽1号2号のシルエットが見えて、秋田はホッとする。
もしかしたら、秋田が締め切ったと思っていたが、きちんと閉まっていなかっただけかもしれない。
秋田は自分の迂闊さを少し恨みつつ、扉を開けた。
2泊3日の旅行の予定が、台風の影響で1日滞在期間が延びてしまった。
それが秋田にとっては気がかりだったし、少し扉が開いていたことでどんな影響があったのか、それが気になる。
秋田は扉に手を掛けたまま、呆然と浴槽の中の盆栽1号2号を見つめる。
盆栽1号2号の葉先が、黄色くしなびている。
いやまさか。
秋田は信じたくない思いで、浴槽に駆け寄る。
だが、秋田の気持ちを裏切るように、近づいてもその葉先の色は黄色いままだった。
秋田は崩れ落ちるように洗い場に膝をつく。
あの、丹精込めて育てて来た盆栽1号2号が、葉先を枯らしている。
秋田が呆然としたまま、浴槽に手をつくと、その浴槽の中にあるはずの水は1滴も残っておらず、あまつさえ盆栽1号の鉢の上に、浴槽の栓がちょこんと乗っているのが見えた。
途端に、秋田の頭を怒りが支配した。
「隆司! 隆司!」
秋田は狂ったように息子の名前を呼ぶ。こんなことをするのは、一人しか思い当たらないからだ。
「えー? どうしたのパパ?」
小学生になって生意気になってきた隆司が、浴室に顔を出す。
「お前! なんてことしてくれたんだ!」
「え? 何のこと?」
秋田の勢いに、息子の隆司がうろたえる。
そのうろたえ方が、秋田には自分が犯人だと言っているようにしか見えなかった。
「浴槽の水を抜いただろう!」
「そ、そんなことしてないよ!」
隆司が否定しても、秋田にはそれが嘘を言っているようにしか思えない。
「本当のことを言いなさい!」
「してないよ!」
素直に認めない隆司に、秋田は更に激高する。
その恐ろしさに、隆司は半べそ状態だ。
「とーたん、どーしたの?」
娘のしずかが浴室に顔を出して、きょとり、と可愛らしい顔で秋田を見る。
秋田は娘の存在に、少し落ち着きを取り戻して、怒るばかりじゃいけないと、息をつく。
このままじゃ、隆司が嘘をついたままになってしまう、と秋田は渦巻く怒りをぐっとこらえ、隆司を見た。
「隆司、怒らないから、本当のことを言いなさい」
「もう怒ってるじゃん!」
隆司は泣きだしてしまった。
「とーたん、おこっちゃだめ」
娘のしずかに言われて、秋田も愛する盆栽のためとは言え、愛する息子に対して大人げなかった、と反省をし始めた時、妻が浴室に顔を出した。
「隆司? どうして泣いてるの?」
「ママー。パパが、パパが。僕がやってないって言ってるのに、やっただろうって!」
隆司が妻に泣きつく。ああ、これじゃ原因追及はもうできないかもしれない。そう秋田は諦めに似た気持ちを持つ。秋田が娘に甘いように、妻は息子に甘いからだ。
「あなた、どういうこと?」
「盆栽の水をやるために、浴槽に水をはっていたんだが、その栓を誰かが抜いたらしいんだ」
誰か、とは言いつつも、秋田の視線は息子の隆司にある。犯人は既にわかっている。
「あら、そう言えば……」
妻が、ポロリと言葉をこぼす。
秋田は隆司から妻へと視線を移す。
「旅行に出かける前、しずかが浴室から出て来たのよね。何で浴室から出てきたんだろうって思ったんだけど、もしかしてそれかしら」
妻の言葉に、ギギギ、と秋田は抱っこした娘を見る。
「しずか、が?」
「ほら、僕じゃないのに!」
泣いている隆司がムッとした顔で秋田としずかを見る。
「しずか、このお風呂のお水、流しちゃったのか?」
「おみずじゃーしたよ!」
ニコニコ笑うしずかは、悪気など一切ない。
「あら、盆栽枯れちゃったの?」
妻はようやく浴槽の中の盆栽の状態に気が付いたらしい。
「まあ、良い機会じゃない。もう盆栽なんてやめなさいよ。どこかに泊りに行くたびに浴槽に盆栽置かれるの、本当は嫌だったのよね」
「いや、それは……」
「それにあなた。盆栽がって言って、旅行の計画立てるたびに渋るじゃない。もうあれ嫌なのよね」
「でも……」
「しずかも、今回みんなで旅行に行ったの楽しかったって。また行きたいって言ってたのよ。折角だから、年末年始、海外に行きましょうよ。盆栽のせいで、海外旅行諦めるの、本当に嫌だったのよ」
「いや、でも……」
「それともあなた、自分の家族より盆栽の方が大事だって言うの?」
「いや、それは……ない……」
しりすぼみな秋田の言葉に、妻が大きく頷く。
「それなら、その盆栽もちゃっちゃと片付けちゃって。土を洗い流さないといけないんだから! その上の木は燃えるゴミ? 鉢植えは粗大ごみになるかしら?」
盆栽に命を懸ける男、秋田。
彼の命は、今尽きた。
完




