緑色の感性
デート。
何とも甘美な響きである。
それもデートの相手は真琴というのだから、私は前
世で一体どれだけの善行を詰んだのか、想像すること
すら難しかった。
私は花咲駅のホームのベンチに腰掛け、彼女がやっ
て来るのを首を長くして待っていた。休日だというの
に、花崎駅は不思議なほど人が少なかった。
スマホを確認すると、時刻は八時五十分を過ぎたと
ころだった。昨夜、レインで待ち合わせをした約束の
時間の約十分前。普段の彼女の時間にルーズな様子を
見るに、まだしばらく現れないことが容易に想像出来
た。
デニムのポケットににスマホを仕舞い、目の前でゆ
っくりと列車が停車していく様子を呆然と眺める。
列車が停止し、開けられたドアに手を繋いだ若い男
女が消えていった。二人の年齢は、丁度、私達と同じ
位のように見える。
無意識に、手を繋ぐ彼女達の姿を、並んで歩く私達
に重ねていた。
私達は女の子同士だから、彼女達のものみたいな、
男女の恋愛感情みたいなそれとは違うかもしれないけ
ど、互いのことを知りたいと願うこの感情は、本物に
違いなかった。
もっとも、男女の間にのみ成立するらしい恋愛感情
とやらの輪郭すら、未だに私は掴めずにいるのだが。
恋愛感情だけじゃない。真琴の全てを知りたいと訴
えかけてくるこの感情の名前も、私には分からない。
そもそも、みんな顔も背の高さも違う、同じ人間な
ど存在しないというのに、感情においても、普通なん
てものがあるのだろうか。
人間の数の何倍も多く、他人に対する感情があるは
ずだが、その中の普通、更にそこから恋愛感情に区別
するなど、到底、不可能な事象としか思えない。
他人の心を覗く術も持たず、自分の心すら曇って見
えないというのに、誰かのことを分かった気になって、
感情に名前を付けるなど、傲慢なことなのではないだ
ろうか。
もしかしたら、私の真琴に対するこの感情に付けら
れた名前など、無いのかもしれない。
「心寧」
その時、女性らしい低音の声が私の心を震わせた。
刹那、鼻腔をくすぐった柑橘系のヘアオイルの香り
には、最近、愛おしさと共に、安心感を感じるように
なった。
「おはよう、真琴!」
言いながら彼女の方へ顔を向けると、ひらひらと揺
れる真っ黒なプリーツスカートが視界に飛び込んでき
た。
思い返してみれば、セーラー服以外の真琴を目にす
るのは、初めてだった。
上品な白いフリルブラウスに、黒いプリーツスカー
ト、レトロ風なショルダーバッグを掛けた彼女の姿は、
私の目にはあまりにも魅力的に映ってしまって、少し、
怖くなった。
真琴の両眼が、私の心を見つめている。
視線が交わり、心臓が貫かれ、世界が止まる。
「おはよう、心寧」
真琴はその場で小さく手を振った後、私の表情を一
瞥し、不敵な笑みを浮かべた。
髪の匂いとスカートが揺れる。
私の目の前に立った彼女は、まるで誘うように回り、
その姿を見せつけてきた。見惚れる私に顔を寄せ、ざ
わめく心を弄ぶように、彼女は囁いた。
「心寧がデートって言うから、気合い入れてきたよ?」
真琴を私の手で汚したい。
囁き声に初めて覚えたその黒くて醜い衝動を、必死
に抑えた。
彼女は、澄み切った結晶だ。それを私の手で、指紋
をべったりつけて触って、汚して、濁らせて、結晶だ
ったことすら、私以外には分からなくしてしまいたい。
これは、独占欲か?
この感情に、名前はあるか?
そんなことをすれば、真琴の全てを知りたい、とい
う私の願いを自分で潰すことになると、すぐに自覚し
た。だが、今すぐこの衝動を真琴へぶつけてしまえば、
私はきっと、耐え難い程の幸福を享受出来るだろう、
という確信が意識を塗り潰していく。
体の許容量を超えた感情が心から逆流する。
黒い欲望を喉元で無理に堰き止め、濾過された感情
の奔流は、純粋で重たい好意を孕んだ言葉に化けた。
「真琴、可愛い。私服姿も、すごく、可愛いよ」
「知ってるよ?」
「分かってない、真琴は、ちっとも自分のこと、理解
してない。真琴は、簡単に人間を狂わせちゃうくらい、
魅力的すぎる。自覚してくれないと、怖いよ、私」
「それは、心寧だから、だと思うけどな。少なくとも、
これまでわたしに狂わせられた人間なんて、心寧しか
知らないから」
真琴はピッタリ私の隣に腰掛け、少しだけ、寄り掛
かってきた。
「これまで、心寧みたいに、わたしを可愛いって言う
人もいたけど、そうじゃない人だって、沢山いたよ」
「そんなのただの嫉妬だよ!」
「人の趣味嗜好は、人の数だけあると思わない?」
私が言葉を失い、黙ると、真琴は自分の顔の両頬を
軽くつねってみせた。
「こんなに可愛いのに、贅沢な話かもしれないけど、
実はね、わたし、自分の容姿がそんなに好きじゃなか
ったんだ。誰も、本当のことを言ってくれないから。
本音で話さなきゃ、誰と話しているのか、分からない
もんね。でも、心寧は、純粋で、真っ直ぐだから。そ
んなに可愛い、って言われたら、わたしの容姿のこと
も、好きになっちゃいそうになるよ」
低い声が、体の芯に響き、脳を揺らす。
私が今、どんな表情をしているのか、自分でも分か
らなかった。すぐ隣の彼女が私の顔を覗き込み、視線
が交わると、真琴は驚いたように一瞬、目を見開いた
後、忙しなく手で口元を隠した。
「例えば、心寧は自分の姿を、自分で目にすることは
出来ないでしょ?」
唇を隠したまま、彼女は聞いてきた。
「直接見ることは、出来ないね」
「わたしの姿は、わたしだけには、見えない。だから、
実際に他人の目ににどう映るか、とか関係なく、わた
しは絶対に可愛いって思い込んで生きていこう、って、
思ってるんだ。可愛くない、って思うより、幸せでし
ょ?」
真っ直ぐに私の目を見つめ、真琴は続ける。
「わたしと同じように、心寧も、自分が見えてないと
思う」
「どういう、意味?」
「心寧も、簡単に人間を狂わせちゃうくらい、魅力的、
って、意味。まあ、わたしだから、かもしれないけど」
彼女の言葉を受け止め、分解したくとも、感情の整
理が一向につかない。ただ、確かに湧き上がった名前
も分からない昂った感情に任せ、私は言った。
「私達、超可愛いじゃん」
列車が来るまで、もう少し、時間があった。
列車が花咲駅に止まり、ドアが開かれる。
肩に重い負荷を掛け続ける安物のギターケースを背
負い直し、背中を伸ばしたりして適当に体をほぐした。
列車のガラスに反射して見えた俺の容姿は、今日も
変わらず格好良かった。染め直したばかりのこだわり
の青髪の発色がどこまでもよく、俺の魅力を引き立て
ている。ギターケースを担げば、その姿は紛うこと無
きバンドマン。絵に描いたようなギタリスト。正体を
隠すカモフラージュにも抜かりは無い。
ギターケースの中身は仕事用のライフルだ。コイツ
らを買ったのはまだ二十にもなっていない頃だったか
ら、かれこれ五年以上の付き合いになる。
しかし、コレが重いったらない。
だからだろうが、昔から、肩凝りが酷いのが俺の悩
みだった。愛着が湧いてしまって、ケースもライフル
も壊れるまで変える気になれないのが、全ての原因だ。
これは全くの余談だが、、俺は本物のギターを持っ
た事すらない。
「お」
開かれたドアから二人の若い女が入ってきた。まだ
高校生くらいだろうか?
背の低い、長髪の黒いプリーツスカートの女と、オ
ーバーサイズのシャツにデニムの女。ピッタリ並んで
空いている列車の座席に座った。
明るく話すデニムの女と、落ち着き払ったスカート
の女。異なる性質を持つ二人だが、隣り合うと、よく
似合って見えた。
ただ、二人の間には、友達同士なのだろう、と簡単
に決めつけることが憚られるほどの、異様な雰囲気が
あった。
互いが、互いの姿しか見えていないような仕草や目
線の動きもその要因だろうが、俺には、彼女達それぞ
れが普通の人間とはどこかが決定的に違っているよう
な、そんな気がしていた。
何にしても、二人は休日に仲良くデートでもしてい
るのだろう。
楽しそうで何よりなことだ。
これまた余談だが、個人的に俺はスカートの女より、
オーバーサイズのシャツの女の方が好みだ。こんな世
界で明るく振舞う質の人間は、それだけで強く美しい。
不意に、俺の隣には、ずっと誰もいなかったことを
思い出したからか、心に冷たい風が吹きつけ、妙なこ
とを思ってしまった。
もし結婚するなら、彼女のように明るい女性が好ま
しい。
そろそろ俺も、結婚とか、そういうことを考えるよ
うな歳になってきてしまったのだ、と実感する。
俺は、殺し屋、なんて名乗って物騒な仕事こなして
生計を立てているような男だが、所詮は一人の人間で
しかない。
直接的にも間接的にも、沢山の人間を殺してきた俺
にこんな言葉を言う資格は与えられないかもしれない
が、孤独のまま死ぬのは、寂しすぎる。
別に、女じゃなくてもいい。いや、そっちの趣味が
あるわけではないが、例えば、相棒、みたいな。そう
いう男が一人でもいてくれれば、少なくとも、孤独に
苛まれることは無くなる。無論、女の方が望ましいが。
しかし、俺は人付き合いが嫌いだった。他人に合わ
せる、ということがどうも気に食わず、自分一人と向
き合い、これまで生きてきた。
そのおかげと言っていいのか、孤独を背負う代償と
して、俺は常識、だとか、普通、だとかいうものをど
こかに落としてきてしまったらしく、街を歩けば、そ
こら中に死んだ顔して歩いている奴等みたいに、普通、
とやらに呑まれて馬鹿になることもなかった。
人付き合いは嫌いなくせに、添い遂げてくれる女は
欲するのか、と言われれば、普通の皆様には返す言葉
もない。勉強もせずに大学に入りたい、なんて我儘言
うのと同じだ。
だが、俺に言わせれば、そんなことは全て弱者の考
えることだ。女だって、いくらでも金と力で手に入れ
ることは出来る。勉強なんて放っておいて、裏口入学
してしまえばいい。
金で女を買い、侍らせれば、独りではない。
しかしそれでは、俺が本当に欲しいものは手に入ら
ないことも想像に難くなく、しかし、俺は弱くない。
弱者の真似事など滑稽なだけだ。
要するに、見つからないのだ。
例えば、愛情とか、友情とか、恐らく俺の求めてい
る、そういうものを手に入れる術も、手掛かりも。
俺は強くなりすぎてしまったのかもしれない。
強さは、孤独かもしれない。
もしかしたら、誰もが最初は強くて、だがいつから
か、友情や愛情の在処を弱さだと見抜き、その強さを
捨てていくうちに、普通、なんて人間が生まれるのか
もしれない。
つまり、俺は頭が悪かった、ってことか?
そう思ってみても、やはり弱者にはなりたいとは思
えない。
愛される為に強さを捨てるなんて馬鹿なことしても、
それで愛されるのは本性ではない。偽りの愛を向けら
れたところで、寂しさが増すだけだ。
愛されたい。
いい歳した男が言うには女々し過ぎる。気色悪い。
「はあ」
溜息と同時にドアが閉まり、列車が動き出した。
東京駅で列車を降りると、花咲駅とは比べものにな
らないほどの人混みに出迎えられた。ギターケースを
背負い直し、何度も他人にぶつかられながら人混みを
掻き分けていると、東京に近いが家賃が安く、人も少
ない花咲町の魅力を再認識させられる。その代わり、
会社のビルばかり建って、ろくにスーパーもコンビニ
も無いが。
東京駅を脱出し、タクシーを拾う。
目的地は近くにあるファミレスだ。そこで仕事の依
頼を受け、ついでにそこで昼食を済ませるまでが午前
中の予定だった。
依頼については、事前に依頼内容を連絡してもらい、
それから実際に会い、交渉、依頼を成立させる、とい
う仕組みを取っていた。対談をすることには、依頼の
信頼性や詳細を細かに探るためでもあった。
五分ほどタクシーに揺られながら、都市を眺めてい
た。似たような格好と顔をした働き者達の姿が多かっ
たが、道端には、死んだ顔をした不潔そうな人間達が
纏まって寝っ転がってもいた。
強さを捨ててまで得ようとした普通、の人生さえ、
掴むことのできなかった哀れな人間達だ。開き直って
人生やり直せば、彼等にしか出来ないことだって見つ
かるかもしれないが、その気力さえないのだろう。
料金を支払い、タクシーを降りる。
ファミレスのドアを開き、店内を見渡した。
休日だからだろうが、家族連れも多く、店内は混み
合っていた。ドアの近くに設置された椅子に座り、席
が空くのを待つ客達も、退屈そうな顔をしている。
混み合う店内の中、奥のボックス席に不自然な空き
があった。スーツ姿の冴えない男が、詰めれば六人く
らいは座れそうなボックス席を一人で占領している。
彼の目の前のテーブルの上には、むさ苦しい野郎に
は似つかわしく無い可愛い苺のパフェが置いてあるが、
あれはどういう意味だろう?
何かの暗号かもしれない、という可能性を否定する
根拠など存在しないが、まあ恐らく、彼が大の甘党と
か、それとも可愛いものに目がないとか、そういうど
うでもいい理由に違いない。
何にしても、依頼主はあいつだ。
「よう、おっさん。大事な話の前に、随分と可愛いも
ん食ってるじゃねえか。余程スイーツに目がないみた
いだが、そんなに美味いのかよ?俺にも分けてくれよ」
男の向かいに座りながら捲し立てると、彼は表情を
変えず、無感情に言った。
「直に来る」
「あ?来る、って何がだよ」
ギターケースを下ろし、席に深く腰を下ろした直後、
隣から声をかけられた。
「失礼します。こちら、季節の苺のパフェです」
店員の手から、大量の生クリームに苺の乗った可愛
いパフェが目の前に置かれる。
「食え。食わないなら、後から私が食う」
長いスプーンで器用にクリームを掬いながら、男は
どこか満足気に笑った。
「いや、食うけど。甘い物好きだし。にしても、調子
狂うな、お前」
「甘い物が好きなだけだ。許せ」
「パフェに免じて許すけど、変わった奴だな、本当」
話が途切れると、スーツの男は無表情、かと思った
が、よく見ると少し頬を緩め、パフェを黙々と味わい
始めた。
せっかくなので、俺もパフェに手を付けてみる。
確かに甘くて美味しいが、彼ほど幸せそうに食べる
ことは出来そうになかった。
「さて、仕事の話をしよう」
数分後、口周りに付着したクリームを拭きつつ、男
は口を開いた。淡々とした口調から、感情は読み取れ
ない。
「依頼内容は、警察官の暗殺、または拘束。事前に連
絡した通りだが、私達に同行して欲しい」
「ほう」
「対象は、花咲町の警察官、二人」
彼はスーツの内から茶封筒を取り出し、俺の前に置
いた。中身は、対象の顔写真やら何やらの個人情報だ
ろう。
茶封筒の封を切り、中を覗く。
中に入っていた二枚の顔写真には、俺より少し上く
らいの年齢の男女が写っていた。暗殺の対象になって
しまったそうだが、二人とはどこかで会った事がある
ような気がする。記憶違いかもしれないが。
「この蛍って女、美人だな」
「らしいな。私には、よく分からんが」
「こいつらはどうして殺されるんだよ?」
聞くと、男は溜息混じりに答えた。
「警察官、ってのは、恨みを買いやすい職なんだ」
「なるほどな」
「一つ、注意して欲しいことがあるんだが」
「何だよ?」
無感情に、男は言う。
「女の方は、殺すな」
「一応聞くが、何故だ?」
「さっきお前が言った通りだ。美人で、恨みを買いや
すいからだ」
「そうかよ」
俺は軽蔑を覚えながら、告げた。
「依頼料は半分、前払い。男の方は無力化してやる。
だが、女の方には手を出さない。お前等でなんとかし
ろ。俺はそういうのは嫌いなんだ。それでいいか?」
男は少し考えた後、静かに頷いた。
「私達の仕事は、信頼で成り立っている。それを忘れ
るな」
「俺はな、嘘も嫌いなんだよ」
花咲駅で列車を降りた時には日は落ちかけ、空は茜
色に染まっていた。寂しげな緑の匂いが風に乗って私
達の頬を撫でる。真琴の匂いに酔わされた脳内が、ほ
んの少しだけ醒めた気がする。
ショッピングデートの帰りだった。
互いのお気に入りのお店に入って服や化粧品を見た
り買ったり、試着して、可愛い、って感想を言い合っ
たり、最近出来た駅前のカフェに行ってみたり。
そうしている内に、すぐに時間は消えていってしま
った。
私達が片手に持っているお洒落なデザインの紙袋の
中には、夏服と化粧品、いくつかの小物が詰まってい
る。
あと、駅前で宝くじを一枚ずつ買った。
真琴がお嬢様だからなのか、宝くじの存在自体を知
らないことが発覚し、年に必ず十枚以上の宝くじを購
入してはただの紙くずに変えている文目家の長女とし
てその詳細を伝えたところ、彼女が異常なまでの関心
を示した為だった。
真琴には案外、ギャンブラーとしての素質があるの
かもしれない。競馬とかパチンコとか、大人になった
らやるかもしれない。
一抹の不安を抱えつつも、互いの財布の中には、確
かに一枚の宝くじが保管されていた。
「真琴の家まで、送らせてくれる?」
言いながら隣を向くと、すぐ近くに、夕陽に照らさ
れた真琴の横顔があった。
「心寧が疲れてないなら、送って欲しいな」
「もう、全然!疲れてないから!」
勢い良く口にすると、真琴は小さく笑った。
背の低い彼女の歩幅に合わせ、ピッタリくっついて
歩き出す。
花咲駅から私達それぞれの家までは、それほど遠く
なく、苦無く歩いて行ける距離だった。
「今日、一瞬で終わっちゃった」
真琴は夕陽を眺めながら、寂しげに呟いた。
「どこ行くにも、いつもは一人だったから。すごく、
新鮮だった」
「私も特別な感じした!真琴と一緒にデート出来て、
幸せだった!」
私の言葉に、真琴は目を逸らした。しかし、僅かに
上がったままの口角が、愛らしかった。
「デート、って言っても、ただ二人で買い物行っただ
け、だけど」
「特別な人と一緒なら、どこへ行くのもデートだよ」
「デート、っていうのは、本来ね。恋愛的に好きな人
同士で遊びに行く、っていう、ことなんだけど」
真琴は俯きながら、小さな声で、もごもごと話す。
あまり前を見ていないようで、転んだりぶつかった
りしないか、少し怖くなる。彼女の前方に注意を向け
つつ、口を開いた。
「気にしても仕方のないことは気にしない。考えても
どうしようもない事は考えない。これ、私のポリシー」「どういう意味?」
「大切なことを見失わないように頑張れ、っていう、
意味。私達が二人で遊びに行くことが、デートと認め
られるのか否か、なんて正誤関係無く、気にしても仕
方なくて、大切なのはズバリ!可愛いかどうかだよ!
真琴と買い物、って言うより、真琴とデート!そっち
の方が、超可愛いでしょ?」
「それだと、わたし以外の誰と行ってもデートになる
けど」
「まあ、それはそうかも、しれないけど」
真琴は茶化すように言った。
「浮気、みたいだね」
「意地悪な言い方しないでよ」
彼女は悪戯っぽく笑みを溢した。
真琴の家に近付き、街並みの雰囲気が変わっていく。
上品で清潔な雰囲気が私達を包んだ頃、真琴は急激
に歩く速度を遅くした。何かが彼女を襲ったのかと急
ぎ確認するが、一見、異変はない。
ただ、一歩一歩の足幅を小さく、そして極端にゆっ
くりと動作を繰り返している。
「疲れちゃった?」
聞くと、真琴は僅かに首を横に振った。
「別に。ただ、もうちょっと話したいな、って、それ
だけ」
彼女は抑揚の無い声で聞いてきた。
「心寧には、友達、いるんでしょ?私以外にも、沢山」
質問の意図が掴めず、ありのままに答える。
「高校では、ほとんど真琴としか話してないけど、中
学生の頃の友達なら、それなりにいるよ」
「そう。まあ、そうだよね」
彼女は俯き、声は掠れて夕陽に溶けていった。
寂しそうだ、と直感的に思った。彼女に触れあげた
い、と思った。
だからか、真琴の横顔は儚げに映ってしまった。
仲良くなっても、最後には傷つけあって終わる。
あの日の放課後、彼女が言った言葉が蘇った。彼女
のことを知っていく先で、傷付けるなら幸せだと言っ
たのは、私。
傷つく訳も、真琴が一人だった理由も、私はまだ、
何も知らない。
そんな私が、真琴のことを分かった気になって、勝
手に同情するなんて、彼女に無礼で傲慢だ。
大切なのは、不完全なものだとしても、私にしか知
り得ない、私の気持ちを伝えること。覗けもしない真
琴の心のことは、気にしても仕方がない、考えてもど
うしようもない。
正面から向き合わなければいけない。
互いの気持ちをぶつけ合う以外に、人間同士が通じ
合う術を知らないが、しかし、それ以外の方法を知り
たいとも思えなかった。
私は、彼女とそうするのが、内心、好きでたまらな
くなってしまったのだろう。
真琴の全部を知りたい、という私の欲望を叶える為
にも、愚直だが、人間らしく、綺麗で魅力的な彼女の
感情を孕んだ声と言葉をそれぞれ媒介の一つとして、
交わることの出来るところも。
真琴の力なく垂れる左手を盗むみたいに、私は自分
の右手で彼女の左手を握った。一本一本の指を、彼女
の小さな手の指の間に絡めて、縛りつけるみたいに抱
き締める。
かつて、真琴以外の誰かにそうしたように。
「真琴は、友達じゃないから」
「え」
右手から伝わってくる彼女の熱い体温が、私の温度
と交わっていく。
見開かれた暗い瞳の双眼が私を捉え、離れない。
「真琴は、私の人生の相棒、でしょう?これからもず
っと、私は真琴の隣にいる。真琴は、私の特別だよ」
言うと、真琴は私の手を優しく握り返し、体を擦り
寄せ、何か、心の中の固形化した感情を飲み込むよう
に、苦しそうに小さく頷いた。
「うん、わたしが特別、だよね」
手を繋いだまま、しばらく歩いた。
真琴が体を擦り寄せてくるから、緊張して体が強張
ってしまって、それを誤魔化すために、学校の次の授
業がどうだの、とってつけたような話題を繰り広げた。
そうしているうちに、段々と真琴もいつもの調子を
取り戻していった。
しかし、一日を活動的に過ごした事による真琴の汗
と体臭が混ざった彼女の匂いは、私の心の深い所を刺
激して止まなかった。
彼女とは反対に、私の心は煩く騒ぎ続け、体の強張
りは悪化するばかりだった。
遂に真琴の家のすぐ近くまで歩き進めてしまった頃、
彼女は口を開いた。
「やっぱりわたし、デート、とか人間関係が関わって
くる言葉は、ちゃんと分別をつけて使うべきだと思う」
「そうかな?」
「そうだよ。可愛いから、ってだけで誰のことも特別
扱いされたら、わたしが心寧の特別であることの意味、
無くなっちゃうでしょ」
私の手を握り直し、真琴は言った。
「ずっとわたしの隣にいたいなら、デートって言葉を
使うのは、わたしと、もしも出来たら、心寧の好きな
人。特別な、二人だけにして。分かった?」
彼女は上目遣いで聞いてくる。
真琴自身を引き合いに出されては、私に抵抗するこ
とは不可能だが、自分で特別だの言っておいて、彼女
の言う事に反論する文句も浮かばなかった。
「分かった。でも、これで、真琴しかデートに誘えな
くなっちゃった」
「それは、どういう、意味?」
「恋愛とか、よく分からないから。彼氏とか、まだ先
の話だし」
「そうだよね」
彼女は目を背けた。
「それじゃあ、またね」
「うん、また明日、一緒にいよう」
真琴の家に到着し、別れの言葉を告げ合った。
「また、デート行こうね」
「うん!絶対行く!」
絡み合っていた私と真琴の手が、離される。
愛おしい彼女の体温の残る手のひらを広げて、手を
振った。寂しそうな夕陽に真琴の体温が奪われていく
ことが、気に入らなくて仕方なかった。